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東京云景  第一景 代官山

 その日、代官山は湿っていた。

 初めて行く街は、電車の中で幾度も地図を開いて閉じて開いて閉じて、開いて閉じても駅から降り立ったら全てが無駄になる。
 GPSほどあてにならないものはないね。あたしとあなたみたいに。
 とりあえず看板が見えたスタバ(幼少期から慣れ親しんでいたから敢えて、ね)の方角に進めば良い。画用紙を切るとき、端にチョンとえんぴつで印をつけるくらいの頼りなさで、歩いてみる。
 ライブに向かうときはだいたい、グッズを身に着けている人についていけばいいのだが、サニーデイ・サービスとeastern youthではそうはいかない。斯くいう私もどちらのグッズも持っていなかったので、エレキコミックのTシャツを着てきた。ちょっとだけサニーデイ・サービス贔屓である。肌寒い予報だったので、下にシアーでメロウなインナーシャツを着ていたが、それでも代官山は拒むように湿って暑い。

 代官山UNITは心配になるくらい地下である。爆撃がきても助かりそうだし、誰にも気づかれず一生外に出られないような気もする。
 ライブハウスは緊張する。程度は葬式とちょうど同じくらいである。D代を払うのと焼香は似てる。だいたい500円だと思ったら800円取られたし、3回だと思ったら「宗派的に2回です」とか言われるし。

 フロアは既にぎっしりである。年齢層は高く、40代くらいが一番多いだろうか。オヤジばかりである。
 ライブといえば、出演者を模した出で立ちのファンを見かける(白スーツの永ちゃんファンやオールバック酒焼け声のチバユウスケファン)が、この2組はそうではないらしい。確かに、曽我部恵一になろうとは思わないし、吉野寿になろうとも思わない。なんだか苦労しそうだし。それっぽいのと言えば、丁度目の前にいるハゲ頭でメガネをかけ、ピアスを開けたオヤジくらいである。あとは仕事帰りのサラリーマン風などがちらほらしている。

 気持ちのいいBGMを聴いていたら、サニーデイ・サービスが出てきた。DOKIDOKI新規なので、最初の何曲かはわからなかった。
 ハゲ頭と酒を飲むサラリーマンの隙間から、曽我部恵一の顔が丁度見える。
 今は気のいいおじさんみたいな顔をしてるし、何年か前にエレキコミック発表会のアフタートークで観てからずっとそんなイメージだったが、YouTubeで青春狂走曲の映像を観て驚いた。目つきが鋭すぎるからである。反抗的で、無口で、オレンジ色のトレーナーとは正反対の暗そうな青年が、口もほとんど開けずに、キョロキョロと周りを威圧しながらギターを抱えている。そんな奴が「どうにもならんよ」なんて歌っている。なんか心配だから一回とっ捕まえて話を聞いてやった方がいい。
 それが1996年で、当時子種だったのがこうしてチケットを買ってライブにくるまでに成長した現在、この良いおじさん振りである。
 曽我部恵一の顔とライムを食った斜め前のサラリーマンを交互に見ながらそんなことを考えている。

「君がいないことは君がいることだな」
桜superloveである。
この0の概念を既に持ち合わせていたせいか、オシャレで力の抜けたメロディのせいか、音源では耳馴染みがよく聴き流していた。
しかし今日は涙が出てくる。
曽我部恵一の歌声が優しいせいか、音数がシンプルで暖かいせいか、先週父親が死んだせいかはわからない。
いや、父親が先週死んだせいだ。
ここ1週間、葬式やら何やらの準備で忙しく、ろくに悲しんでなかったことに気がついた。
今、やっと。悲しくなった。
そういえば、サニーデイ・サービスを好きになった話は父親にまだしていなかった。
父親と私の好みは似ているから、もしかしたら好きになったかもしれない。
生きてるうちは「ライブが終わったらLINEしよう」と思えるのだが、死んだのでそうはいかない。
ああ、悲しい。
やっぱり曽我部恵一のせいにしておこう。

泣いていたら次の曲で
「今夜でっかい車にぶつかって死んじゃおうかな」
とか言い出す。
そういうことじゃないんだけど、「生きたくても生きられない命だってあるんだぞ!!」とキレそうになる。そういうことじゃないんだけど。

セツナも良かった。アウトロのセッションが長すぎて、最初は釘付けだったが、途中で一度飽きて斜め前のサラリーマンがライムを口から出し入れするのを眺め、また終盤じわじわと魅了された。
サニーデイ・サービスの出番が終わったころには、歪みで耳がやられていた。


転換中、驚いたことに、私の目の前にいたハゲ頭メガネピアス親父が帰った。

easternyouthは正直5曲くらいしか知らない。
知らないけど、絶対良いに決まっている。
そういえばサニーデイ・サービスでも拳を突き上げるようなことをしてる人がいなかったし、ライブのノリもきっと大丈夫だろう。おじさんばかりだし、肩なんて上がらないだろう。
ハゲメガネのサニーデイ・サービスファンが帰り、その他前後左右の動きがあったせいでいつのまにか身長180cmくらいの後ろになってしまった。
隙間から辛うじて吉野のオヤジの頭が見える。ベースの村岡さんは友達のお母さんみたいだし、ドラムの田森さんはマジシャンみたいな恰好である。
変なバンドだな、と思う。若い頃が全く想像できない。オヤジのまま生まれ落ちて、オヤジのままバンドをはじめて、オヤジのまま死んでいくのだろうか、そんな気がする。

「夜明けの歌」も「街の底」も好きだ。
easternyouthの曲は、「怒り」のエネルギー成分だけが沸き立ち、自分が強くなった気がする。
ひとりでも大丈夫な気がする。悲しみなんて忘れた。
とにかく熱い。
ちなみに、ライブハウス自体も本当に暑い。
easternyouthは音源もライブもどっちも熱くて、サニーデイ・サービスみたいなギャップがない。すごくストレート。

熱くて痺れていると、吉野のオヤジが「ふぐの毒の話」を始める。長々と喋って、曽我部恵一には毒がある感じがするというオチである。
変な人だなあ。
でもわかるよ、吉野。

また何曲か知らないけど熱いものが沸き立って、MCのときにどこからか野次が上がる。否定なのか肯定なのかわからないオヤジの野次。
吉野のオヤジが「何つったんだ」とキレる。
会場はピリッとする。
野次の主は黙っている。
吉野のオヤジがゴニョゴニョ文句を言いながらチューニングをする。
落ち着け、吉野。

「夏の日の午後」はやっぱりいい。
サニーデイ・サービスは春だけど、easternyouthは夏の感じ。しかも、セミも太陽もジリジリの、もうギンギンの夏。

結果は打率3割というところだったが、とにかく熱い熱い。
ありがとう吉野。
元気になったよ。

最後にポケットのメダルを一杯のオレンジジュースと交換して、ぐっと飲み干す。
地上へ上がる。
両耳が聴こえにくいが、もういい気がした。
別に街の音なんて聴きたくないし。

こうして代官山に、毒をもった人間たちが放たれてしまった。
綺麗な街に、汚い川。プラスチック型の人間と、情緒的テロリスト。800円のフラペチーノと800円のオレンジジュース。
そんな街である。