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10月に読み終えた本

10月はご覧の通りあまり本を読み終えていない。読み終えていないだけで読書はしていたのだが、長いものに手を出したり、途中まで読んでそのままだったりの本が多かった。まあ途中で止まるのはよくあることなので気にしてはいない。そのための本棚である。
別の理由として、秋アニメが始まったというのもある。今期は『呪術廻戦』がおもしろいなーと思っていたら原作を買ってしまい、とりあえず2周(1周目はすばやく、2周目はじっくり)したので、これまた、なかなか時間をとった。原作もかなりおもしろくて、『チェンソーマン』とともに月曜にネタバレを食らわないように気をつけている。野薔薇がお気に入りのキャラです。

石川美南『砂の降る教室』(書肆侃侃房)

現代短歌クラシックスの第二弾。はじめて知った歌人だった。
連続して読んでいるのでどうしても比べてしまうのだが、こちらはそこまで大胆な破調もなく、一般的な(?)イメージとしての「短歌」に近いかもしれない。五七五七七という定型に近いと、(頭の中で)読んだときのハマる感覚が今更ながら新鮮に感じたりもする。文字面から受ける印象と読んだときに印象の乖離というか。
日常のことを詠んでいると思いきや、幻想的なシーンも出てきたりするのが、最近読んでないが川上弘美作品のような感じを受けた。あるいは青春ぽいのもあったりして、いろんな角度から楽しめた。


川内倫子『そんなふう』(ナナロク社)

写真家の川内倫子の、出産と育児について書いた記録。東京都写真美術館に行ったついでにPOSTに寄ったら個展をやっていて、先行発売してたので買ってみた。近年の川内の作品やInstagramを見ると子どもの写真が出てくることが多かったので、その子かあと思って興味を持った。
出産と育児のことが中心だが、それ以外にも生活のこと、仕事のこと、友人や親類のことなどが書かれているのだが、子どもの存在によってそれらとの付き合い方が変わっていったりしたことが書かれていて、おもしろい。文章も非常に良くて、写真作品同様すばらしい文章を書くなあと思った。もちろん写真も収められていて、そちらもすばらしい。かわいい。
子どもが生まれてからと、それ以前の過去の思い出が一緒に書かれていることがしばしばあるのだが、川内の写真の感じ(淡さとかはかなさと言っていいのだろうか)も合わせてそれを読むと、実際にはこの光景はなかったのではないかという気持ちになってくる。当然読者の自分にはわからないけれども、そういう、現実はこうでなかったかもしれない、というような感触を川内は持っているんじゃないかなと思わせるような書きぶりと写真で、不思議な感じになる。裏返すと、高齢出産で無事に生まれてきた娘がほんとうに祝福であるということが伝わってくる。


村上春樹『意味がなければスイングはない』(文春文庫)

少し前に『小澤征爾さんと、音楽について話をする』を読み返したが、こちらの音楽本も読み返したいと思ったのでKindleで買った。ちょうど文學界がジャズ特集をしていて、村上春樹のインタビューを読んだというのもある。
まず思うのが、やはり村上春樹の尋常じゃない見巧者(聴巧者というべきか)っぷりで、徹底ぶりに頭が下がる。これは身の回りにいる音楽好きとかの話を聞いててもそうなのだが、一枚一枚、一曲一曲を大事に聴いてるなあというのがよくわかる。それをさらに村上春樹が文章にすると大変な厚みが出て、とりあえずSpotifyに感謝することになる(単行本で読んだときはそんな便利なものはなかった)。
再読すると、たとえば、ピアニストのルービンシュタインとゼルキンの文章で、ルービンシュタインの弾くシューマンの『謝肉祭』についてのちょっと触れてる部分が、最新短編集では一編の小説となっている(『一人称単数』の「謝肉祭(Carnaval)」)、というような繋がりを発見できて楽しい。あるいは、文學界のインタビューではスタン・ゲッツがメインだったが、この本でも一章丸々取り上げられていて、彼にとってのゲッツの切実さというべきものががわかっておもしろい。
こういうエッセイ、またぜひ出してほしいなと思う。村上RADIOでは話してるけど。