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7月に読み終えた本

夏こそは出かけたいと思っていたが、どうもそういうわけにはいかなそうな雰囲気である。まあ今年は観念して籠もって生活するのが吉なのだろうが、籠もっている言い訳に本が増えそうな気がする。

劉慈欣著『三体Ⅱ 黒暗森林』(早川書房)

ついにきた第二部。第一部もスケールのでかい話だったが、今回は輪をかけてデカい。第一部を読んでから少し時間が経っていたのでわりと忘れていたが、それでもはじめから楽しめた。
今回はSF的な部分(というとどこからどこまでが「SF」である、ということは自分にはできないが)以外にも人間同士、人間と異星人同士の関係が、ある極限状態になったときどうなるのか、というコミュニケーションや思考実験的な部分がおもしろかった。「黒暗森林」というのはそれを解き明かす重要なキーワードで、人間と異星人が出会ったらどうなるかという話であるとともに、人間同士にも起こりうる普遍的な原理として書かれているのが説得力があった。SFの醍醐味はこういうところにもあるのだと思う。
話がでかいのでそもそもまとめられないし、ネタバレにもなるので当たり障りのないことしか書けないけれども、とにかくどんどん読みすすめていける。第一部を読んだ人も読んでない人も、早く読みましょう。


『世界哲学史7――近代II 自由と歴史的発展』(ちくま新書)

19世紀まできた。終わりが近い。
この巻はプラグマティズムについての章がおもしろかった。プラグマティズムはアメリカという「新世界」で生まれた哲学で、実用性や実践を重じている。問題解決をよしとするという意味で、アメリカが覇権を握ってきたのはこの哲学潮流があったから(もちろんこれは相補的な関係だと思う)と章の筆者が言っているのは、さもありなんという気がする。
自分なんかは(怠惰な人間なので)実践とか実用とか言われるとなんとも居心地が悪い気がしてしまう。一方で、そのような態度は態度で、実用とは相容れない部分のある学問とか哲学とか、そういうものを神聖視しているだけなのかなとも思う。価値づけを否定して(事実と価値を峻別しないのがプラグマティズムの特徴だと書かれている)、行動するためにやっていこうぜ(超雑な大意)というような力強さは魅力的ではある。


村上春樹『一人称単数』(文藝春秋)

最近村上春樹の本をたくさん読んでる気がすると思ったら、今年で三冊目だった。しかし小説は今年初だ。
今回の短編集は、なんとなく「散文」といった感じの、小説ともエッセイとも違うものを読んでるなあという印象があった。『「ヤクルト・スワローズ詩集」』なんかはまさにそうで、というかこれは例外な気もするが、全体的に妙に「過去にあった」出来事をそのまま書いているような感じがした。とはいえやっぱり小説なんだけれども。
「品川猿の告白」、これは『東京奇譚集』に収録されている「品川猿」の続編的なもので、その登場人物(小説を読んだなら、猿だけど「人物」と書くべきだ)を知っていたにも関わらず、猿が登場してしゃべるところでおおっと思ってしまった。最近宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を読んでいて(チェロ弾きなので)、猫が「おみやです」と言ってトマトを持って家に入ってくるシーンを思い出したからだと思う。動物(など)がなんの違和感もなくしゃべり出すみたいなシーンがツボなんだと思う。だからどうしたという話だが。


アレン・ギンズバーグ『吠える その他の詩』(スイッチ・パブリッシング)

ギンズバーグやビート・ジェネレーションと呼ばれる同世代の作家や詩人(ケルアックとかバロウズとか)のことはなんとなく知識としては知っていたけど、作品を読んだことはなかった。この本は詩だし、(なんといっても)柴田元幸訳だし、読んでみようと思った。
「吠える(Howl)」という題からもわかるように、言葉を畳み掛けて叩きつけるようにして綴っており、閉塞感を、あるいはそれをどうにかしようという気持ちが伝わってくる。「アメリカ」という詩はより直截に50年代のアメリカという国の雰囲気を表しているようだ。訳者あとがきで紹介されているホイットマンとの違いを見ると、よりそれが伝わってくる(詩の書き方の影響関係があるだけに)。
原文がネットに転がっているようなので、訳文と比較しながら読んでみてもいいかもしれない。