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5月に読み終えた本

富士山。富士急ハイランドコニファーフォレストで開催されたアイドルマスターミリオンライブ!の7thライブのときに撮った。
このあたりは友人の配属先だったりキャンプだったりで何度か訪れたことがあって、出不精な自分としてはめずらしい。それでもあまり富士吉田らへんにちゃんと降りて見てみるということはなく、今回はじめて冨士浅間神社に行ってみたり、モンベル富士吉田店でゆるキャン△の聖地巡礼めいたことをした。ちなみに富士山に登ったことはない。
歩いていたら石川直樹の富士山の写真や積んでいる武田百合子の『富士日記』などを思い出したので、いろいろと読みたいなと思った。

呉明益『複眼人』(角川書店)

タイムラインで見かけて気になって買ってみた。台湾の小説を読むのは多分はじめて。
ワヨワヨ島という架空の島を言い伝えにより出ることになった少年アトレと、夫と子を亡くし、いまにも自殺しようという状況の台湾の大学教授のアリスが話の中心。神話の舞台のような島の話と、近未来の台湾の話が交互にやってきて、不思議な感覚になる。
やがて、人間が海に投棄したゴミの渦が島となり、アリスの家のある海岸に押し寄せてくるという、これまた神話のようでありながら環境問題の寓話のような災害が起こり、ふたりが出会う。このゴミの渦の話は実際にあったニュースらしく、ここから着想を得たそうだ。
これ以外にもアリスの友人で先住民族の布農族の男や、これまた先住民族の阿美族の女、ドイツのトンネル掘削の専門家の大学教授、ノルウェーの海洋生態学者など、さまざまな登場人物が出てくる。彼らはこのゴミの島の衝突(津波)をきっかけにして出会い、また関係を結び直す。
太平洋の島々の海を中心とした神話的想像力と、環境問題という現代的な問題、それぞれの登場人物が抱える身近な人の死などが絡み合い、さまざまな視点から書かれて、複雑なように見えるのだがとても読みやすい作品だと思った。
アリスのような絶望の淵のいたような人も、アトレやその他の人々(や猫。けっこう大事)との関係の中で「回復」していく。当然劇的ではないのだが、しかししっかりとした書きぶりが好ましい。
タイトルの複眼人というのは登場人物(?)としても出てくるが、この辺のパートはなかなか不思議な感じであった。


戸田山和久『科学哲学の冒険――サイエンスの目的と方法をさぐる』(NHKブックス)

その名の通り科学哲学の入門書。対話形式で書かれていて、わかりやすい

「科学」という営みがどういうものであるのか、「方法」や「理論」や「説明」というのはどういうことなのか、科学哲学というのはそういった科学にまつわるあれこれを考える(大雑把に言うと)。おもしろかったのは、科学が他の信念体系(宗教とか)のひとつであるという相対主義的な考えに対して、科学が「実在のありさまについて詳しく知るという目的には、他の方法よりずっと優れたものになっている」(241頁)という、当たり前なんだけどある意味控えめな言い方をしているところで、それは科学という営みやその方法論があまりにも強力であることの反省(間違っているいることを正すとかそういう意味の「反省」ではない)として科学哲学が意義があることなのかなと思った(急いで付け加えるなら、科学哲学は科学の「外」からではなく「内」から科学を考え、基礎づけていくことを目指すもので、科学によって科学を見定める学問であるとされている)。科学的思考の強さとは、そういう再帰的(reflective)な営みによって鍛えられてきたもので、その中に科学哲学があるという感じだろうか。
著者は科学的実在論という立場で、その擁護が本書の目的のひとつだが、それにまつわる話、本書では第5章以降の「電子」の「実在」についての議論も非常におもしろかった。ここで出てくる「実験」の話なんかは、素朴でありながら科学のおもしろさをストレートに伝えている感じがしてよかった。以前科学哲学のことを知ろうとしてここで紹介されるイアン・ハッキングの『表現と介入』という本を読んでみたのだが挫折したのだが、実はその本は科学的実在論の話をしていたというのが今更ながらにわかった。よく考えたら解説は戸田山和久だったことも思い出した。いまなら読み通せるかもしれない。


君塚直隆『エリザベス女王――史上最長・最強のイギリス君主』(中公新書)

エリザベス2世の伝記。2022年に在位70年となるそうだが、その間ずっとイギリスの君主、コモンウェルスの首長として国際政治の戦闘に立ち続けてきたというのがただただすごくて、ため息が出る。たとえばチャーチルが生きているときのことを覚えている人はいるだろうが、彼と「直接」国家や政治のやりとりをしていて、しかもまだ現役の君主として公務をしていると聞くと歴史の凄さを実感する。日本人なので(?)どうしても昭和天皇が出てきてしまうが、若くして即位し、長く在位しつづけて激動の時代を生き抜いてきた者にしかわからない孤独があるのだろうなと想像する。
イギリス政治のことはほぼ知らないので、コモンウェルス(英連邦)という共同体がかなり重要なものなのだなということが本書を読んでわかった。その中でも元植民地で独立しているとはいえ、いまだにイギリスの君主(エリザベス2世)を元首とする国々があるというのはなんだか不思議だなと思ってはいたのだが、なんだかイギリスの君主というよりエリザベス2世という個人との紐帯がだいぶ大きなものとしてあるなあという印象を受けた。では、チャールズが首長になったら……とかそういう話ではないのだけど。
女王の話だけでなく、20世紀以降のイギリスの歴史をざっと概観できたのも良かった。先日亡くなったエディンバラ公(女王の夫)についての人となりもよくわかって、タイムリーだった。


伊藤亜紗『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)

ヴァレリーの詩(詩論)を、身体との関係とともに論じた本。難しいところもあるけれども、元が著者の博士論文ということで、ちゃんと追えれば論旨は明快だと思う。
ヴァレリーにとっての詩は「読者を「行為」させ、身体的諸機能を開拓するという「大きな目的」を持った「装置」」である。例えば詩を音読することで「身体」が動き、そのことによって「予期」せぬことが生じ、知り得なかった身体の「機能」を発見することができる。詩にはそういう働きがあるとヴァレリーは語るが、本書を読みすすめると、むしろ身体を動かすこと、そのことがそのような「予期」や「機能」の発見につながるものであり、そういったものこそが狭義の「詩」を超えた「詩」であるというのが著者の見立てである。ヴァレリーはいわゆる「詩」について語りつつも、自らの身体の可能性を広げ、あらためて所有することについて考えたということた。独特の身体論だなと思う。
著者は他にも身体論の本などを書いているが、ベースにこういう研究があるのだなあと思って、他の著作も読んでみたくなった。


柿内正午『プルーストを読む生活』(エイチアンドエスカンパニー)

書店で見かけて、こりゃおもしろそうと思って買った。あとで調べたらnoteで毎日書かれていたものらしい。
プルーストの『失われた時を求めて』を「読む」日記、ではなく、「読んでいるあいだ」の日記という感じで、プルースト以外にも本当にたくさんの本を読んでてすごいなと思ったし、読みながらこれは興味あるぞと思ったものは自分で買って読んだりした。それ以外にも、fuzkueのことが気になって行ってみたりした。
全体で800ページいかないぐらいのけっこうな大作なんだけど、日記なのでふらっと読みはじめて、しばらく間が空いても後ろめたいこともなく(?)再開できたりして、いい本だなと思う。実際1月に買ってからチクチクよんで、4ヶ月ぐらいかかったけれども、はやく読まなきゃみたいな気持ちにならなかったのはけっこう珍しい気もする。
装幀も良くて、ウェブでほぼ同じものが読めたとしても、こうやって物理本の形で読むのは楽しいなと思った。著者が自分で書いた本(この日記の前身のZINE版)を自分で楽しく読んでいる記述があるけれども、その楽しさが伝わってくるような本でとても良かった。


石合 力『響きをみがく――音響設計家 豊田泰久の仕事』(朝日新聞出版)

赤坂のサントリーホールやミューザ川崎シンフォニーホール、ロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホールなどの音響設計を担当した豊田泰久の仕事に迫った本。
豊田の手掛けたホールは世界中のクラシック音楽関係者から高い評価を得ていて、新しいホールを作るとなると引っ張りだこな存在らしい。とはいえ「音響」というのが、設計家ひとりの仕事でどうにかなるものではなく、作るまでは建築家と、出来上がってからは指揮者やオーケストラとの共同作業によって成り立つということが、いろんな関係者へのインタビューで語られていておもしろい。
ホールの仕組みは大きく分けて、ウィーン・フィルの本拠地ウィーン楽友協会ホールのような長方形のタイプ(シューボックス型)と、ベルリン・フィルのベルリン・フィルハーモニーのような段々畑のようにブロックで分割されるヴィンヤード型という2つのタイプがあり、豊田は主に後者を手掛けることで世界的に有名になった。なぜヴィンヤード型が(とくに現代では)いいのかということも、音響学のことに少し触れられる形で書かれていて、なるほどなと思った。
とはいえ、ホールが良くても、それだけでは「良い音」になるわけではなく、そこで弾くオーケストラの技量、ホールの特性まで意識した配置まで細やかに把握する指揮者の気配りが何より大事ということが書かれていて、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、そこまで見据えた設計をして、設計後も適切な助言をすることができるからこそ、豊田が愛される理由なのだろう。ちなみに出てくる建築家や指揮者、演奏家の名前が超ビッグネームで、建築家ならフランク・ゲーリー、ヘルツォーク&ド・ムーロン(HdM)、指揮者ならヴァレリー・ゲルギエフ、ダニエル・バレンボイム、ピアニストのクリスティアン・ツィメルマンと、彼らの話を読むだけで楽しい。あと、ピエール・ブーレーズの耳がめちゃめちゃ良かった話が出てくるが、これは『オーケストラ』という本でも同じような話がされるので、本当に凄かったんだろうなと思った。
個人的には席の良し悪しの話が印象的で、演奏者に近いからと言って必ずしも良い音というわけでもなく、豊田自身は上方からの適切な反射音が来る上の方の席が好みということを書いていて、なるほどなーと思った。そして、コンサートに行くということは演奏者を「見る」ということで、そのことも聞く音に関係するのだ、ということも語られていて、なんというかとても誠実な話だなと思った。今度クラシックのコンサートに行ったら、いろいろと意識して聞いてみたい。