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11月に読み終えた本

もう12月らしい。時間が速くすぎることをやばいとは思わないのだが、しかし11月は一瞬で過ぎ去った感がある。記憶がない。
そういえば沖縄に行ってきたのだった。でも、沖縄関連の本が多いのはたまたまです。写真は沖縄のとある公園から見た海とテトラポッド。

上間陽子『海をあげる』(筑摩書房)

主に沖縄で未成年の女性の調査や支援に携わる教育学者(最初社会学者と書いていました🙏)の書いたエッセイ。沖縄の風俗店に勤める未成年女性に聞き取り調査した『裸足で逃げる』という本で語られる女性たちの生活史は凄まじくて、それに寄り添う上間の書き方も印象的だった。
エッセイなので娘のことや家族のことが多く書かれていて微笑ましいし笑えるところもあるが、時折出てくるインタビューや基地の話などからは激しい怒りが読み取れることもあり、沖縄で生活すること、女性であることの困難さが伝わってくる。
にもかかわらず、文章は非常に美しくて、ある種爽やかにも感じれてすごい良かった。上間の研究仲間である岸政彦もそうだが、本業以外で書かれる文章もすごく魅力的で、人の話を聴いて考え、書くということを生業にしてきた故なのかなと思う。


片山杜秀『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』(文春新書)

クラシック音楽史を、社会や政治、文化とと絡めて(というかその影響として)捉える。一般的な西洋音楽史を求めると書かれないところがけっこう多いのだが(岡田暁生の『西洋音楽史』などと比べた印象です)、そういう世界史(西洋史)との相互作用として見ていくのもおもしろい。片山杜秀の文章はやはりこういうテーマで光るなと思う(音楽の知識が少ないとかそういう話ではない)。
タイトルにもなっているベートーヴェンだけど、例えば交響曲5番の「ジャジャジャジャーン」だったり9番で市民も参加できる合唱をつけたことに触れて、「市民」が誕生した時代の作曲家であるという話はよく聞くが、一方で弦楽四重奏などでは難解さを出していて、硬軟取り混ぜたレンジの広い作曲家であるという指摘が興味深かった。武満徹はシリアスな現代音楽の作曲もしつつ、映画音楽でも活躍した(武満以外も、日本の現代音楽の作曲家は映画音楽を多く手掛けていた)が、そういう意味ではベートーヴェンと立場が似ている。ベートーヴェンが現代にいたら、映画音楽をやっていたかもしれない。
シェーンベルクがバッハに接近していった話も、その時代の工業化(数値の厳密な管理とか)と関連づけられていて、これはいまの時代もバッハ流行りそう(もうリバイバルしてるのかもしれない)だなと思ってしまった。


岸政彦・打越正行・上原健太郎・上間陽子『地元を生きる――沖縄的共同性の社会学』(ナカニシヤ出版)

沖縄は地縁や血縁で繋がった共同体の強い社会が特徴(ゆいまーる)だと言われている。自分は母が沖縄出身で親戚の多くは沖縄に住んでおり、親戚付き合いも密なのでそれはそのとおりであると思っていた反面、どこかそういう感じでもないというものを漠然と感じてきた。社会学は大学・大学院通して(一応)勉強してきたが、沖縄を調査するわけでもなかった。しかし、自分の「沖縄」との関わりとか思いをうまく説明してくれるものはないだろうかとずっと頭の片隅で思っていた。そんな中でこの本の著者である岸や打越、上間の文章や調査を読んで、なんとなくしっくりくるなあと思うことがあった。その面子を含んだ共同調査の記録が本書である。
本書では沖縄の共同性・共同体との関わり方を階層に分けて調査している。安定層、中間層、不安定層に聞き取り調査をすることで浮かび上がったのが、共同体との関係が、安定層が「距離化」、中間層が「没入」、不安定層が「排除」という言葉で説明されている。この中で安定層と中間層の説明と、聞き取りで語られる話には共感した。共感というか、自分が親戚とやりとりするうちに(相手から)感じとってきた感覚がある、という話である。別に自分がわかっていたとかそういうつもりは毛頭ないのだが、このような仮説ともいえないような感覚を、丹念な調査によって炙り出していく過程をみるのが社会学の醍醐味という感じがして、頭が下がる。端くれにいたものとして。
不安定層の話は、打越や上間の単著(上間のものは↑でも紹介した)でも書かれていたように壮絶で、自分の「沖縄」の体験からは出てこない。しかしこういう調査から帰納的に見えてくる何重もの「差別」の構造(これを表現するのはすごく難しい)の根深さに息が詰まってしまう。なんと言えばいいのかわからないが、考えることはやめないようにしたいといつも思う。


岸政彦『100分 de 名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年12月 』(NHK出版)

伊集院光のNHK「100分 de 名著」、見たことはなかったが、ブルデューの『ディスタンクシオン』を取り上げると知り、さらに講師が岸政彦ということで驚いた。そのテキスト。
ブルデューは、大学院のサブゼミがブルデューの本を購読するゼミだったので、そこでそこそこ読んだし、どういう社会学なのかはなんとなくわかっていた。ただ彼の主著と言っていい『ディスタンクシオン』は読んだことはなかった。それを岸政彦が平易に解説している。
ディスタンクシオンの重要な概念は「ハビトゥス」「文化資本」「界」の3つと言われるが、この本ではかなりわかりやすく解説していると思う。ディスタンクシオンの話は、聞くとほとんどの人が身につまされるというか、心がざわつくというか、そんなところがあって、自分も例外ではない。それでもこういう、社会、人、自分を内側からえぐり出すような身も蓋もなさ(ちょっと大げさな表現だととも思うが)が社会学のおもしろいところだと、やっぱり思う。上でも書いているけど。
岸は「他者の合理性を理解する」ことが社会学(少なくとも「岸の社会学」)であって、たしかにブルデューはその傾向が強いなと思う。他者の合理性を知り、理解することが自分、人間を理解することであるというのが貫かれている気がする。岸の書くものはそういった他者への暖かな眼差しが感じられるところで、そこが惹かれるところでもある。
しかしこのNHKテキスト、はじめて買ったけど、安いし、かなり読みやすいのでさすがだなと思った。放送は12月だが、それも見てみようかなと思う。
今回番組で取り上げられるということで、なんと藤原書店が『ディスタンクシオン』の普及版を出版した。これまでの版は全2巻で一冊6,500円ほどする恐ろしい本で、気軽に手を出せなかった(ブルデューの本はだいたい高い)。とはいえ、普及版も一冊4,000円ぐらいする高めな本なのだが、せっかくだし(ブラックフライデーだし)、ということで買った。読めるのか……?