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巨人ガルガンチュワがぺったらこを聴く日

 ガルガンチュワはヨーロッパにおける伝説的な巨人ですが、息子のパンタグリュエルともども、16世紀のルネサンス当時の風俗や世相を風刺した長編小説「ガルガンチュワ=パンタグリュエル物語」の主役にも抜擢されています。

 その全5巻からなる長編小説の『第一之書 ガルガンチュワ物語』第19章に次のような個所があります。

 施療院近辺に家を営みまする何某とか申すさるラテン語の達人は、或る時、タポンヌス――いや間違いでござった――俗世詩人ポンタヌスの権威を援用いたして、かく申しましたのじゃ。――鐘が鳥の羽根ででき、鐘鐸が狐の尻尾でできていたら、さぞかしありがたかろう。何故なら平仄合わせて詩作に耽る折に鐘が鳴り出すと、脳の腹綿に頭下痢が起こるから、とな。しかし、ぺったらこ、べったんこ、ぺったら、べったん、ぺったんこと、この男は異端邪説の徒と宣告されてしまいましたじゃ。

フランソワ・ラブレー『第一之書 ガルガンチュワ物語』(岩波文庫、1973、p. 101)

 パリを訪ねた幼少期のガルガンチュワが、ちょっとした思いつきからノートルダム寺院の鐘をひょいと持ち出してしまい、その返却を求めてやってきた人物による説得の一節ですが、もってまわってよくわからない喩えを延々述べ立てるあたり当時の学者の胡散くささを揶揄しているのですが、問題はそこではありません。

 ぺったらこ?!

『ゲゲゲの鬼太郎』好きの人でしたら驚くと思います。私も驚きました。

 この「ぺったらこ」という非常に特徴的な言葉は、1967年12月発売の「週刊少年マガジン」に掲載された『ゲゲゲの鬼太郎』の「さら小僧」の巻に登場してきた歌に酷似しているからです。

水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』第6巻(講談社、2018、p. 53)

 売れない歌手がふと耳にした誰かの口ずさんだフレーズとメロディーを気に入り、自らの歌として発表したところがこれが大ヒット。一躍スターの仲間入りを果たすものの、実はその元の歌はさら小僧という非常に強力な妖怪のもので、盗難を知り大激怒元売れない歌手だった人物を強襲する。
 そこから依頼を受けた鬼太郎がさら小僧と対決するという流れになるのですが、そのさら小僧がうたっていた歌こそが「ぺったらぺたらこぺったっこ」だったのです。

 ガルガンチュワ物語の方では「べったんこ」というフレーズがついていますが、それをおいても非常に似ています。

 水木しげるはガルガンチュワ物語も読んでいたのか?

 妖怪や怪異についての水木しげるの読書量はかなりなものですから、不思議とはいえないかもしれません。

 しかし、この「ガルガンチュワ=パンタグリュエル物語」を日本語に翻訳した渡辺一夫という人物はなかなか曲者なのです。

 旧東京帝国大学の仏文科の助教授から戦後は教授を務めた、単語の扱いひとつに執拗なこだわりを見せ、謹厳実直を旨としていかにも戦後的なリベラル節を文章の端々ににおわせながら、いざ翻訳するものはフローベール『聖アントワーヌの誘惑』ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』ボードレール『人工楽園』、さらには『千夜一夜物語』とエログロナンセンスに満ち満ちていて、本文を圧倒するような解説・訳注を併記したかと思うとそこに南方熊楠宮武外骨の名前や主張を紛れ込ませる、フランスルネサンスの人物評伝集にノストラダムスを加えてこれが日本における本格的なノストラダムスの初の伝記となっていたりする、糞真面目と不真面目の両面を平気な顔で往復する奇人で、そんな人物がわずかでも水木しげるが邂逅していたかもというのは想像するだけでも楽しくなってきてしまいます。

 けれど、「待てよ」と、楽しい妄想にブレーキがかかりました。

 本当に水木しげるはガルガンチュワ物語を参考にしたのだろうか?

 渡辺一夫の「ガルガンチュワ=パンタグリュエル物語」翻訳は、太平洋戦争前から行われており、白水社より『第一之書 ガルガンチュワ物語』の初版が刊行されたのは真珠湾攻撃から1年以上後の、昭和18年(1943年)のことです。
 それから渡辺が亡くなる1975年まで執念深く翻訳の修正作業は続けられ、最初に引用したのは1973年に岩波文庫に入るに際して行われた改定版となります。
『ゲゲゲの鬼太郎』の「さら小僧」が「週刊少年マガジン」に掲載されたのが1967年12月なので、この時点ではぺったらこは鬼太郎の方が古いことになります。
 そこで1943年の『ガルガンチュワ物語』を調べてみました。

渡辺一夫訳『第一之書 ガルガンチュワ物語』白水社、1943年初版。本文中に何ヵ所か検閲による削除が認められるのがいかにも時代を感じさせます。

 長くなりますので、該当部分だけ。

 しかし、とってんかん、とっちんかん、とってん、かってん、とってんしゃんと、この男は異端邪説の徒と宣告されてしまいましたじゃ。

フランソワ・ラブレー『第一之書 ガルガンチュワ物語』(白水社、1943、p. 218)原文旧仮名を新かなに変更

 嫌な予感は的中しました。書かれていたのは、ぺったらことは似ても似つかない、とんとんとんからりと隣組っぽいフレーズでした。

 その後、『ゲゲゲの鬼太郎』の「さら小僧」が掲載された時期に最も近い1964年に刊行された第6版も調べてみたのですが、「とってんかん、とっちんかん、とってん、かってん、とってんしゃん」のままでした。

渡辺一夫訳『第一之書 ガルガンチュワ物語』白水社、1964年第6版。写真では判りにくいですが裏表紙にも「一九六四年版」と透かしで書かれています。

 おそらくこれが白水社版では最後の改訂と考えられますので、岩波文庫に入る際に「ぺったらこ、べったんこ、ぺったら、べったん、ぺったんこ」に変えたと推測されます。

渡辺一夫訳『第一之書 ガルガンチュワ物語』(岩波文庫、1973)

 これは大きな変更です。

 こうなってくると気になってくるのは原文なのですが、これは渡辺一夫が訳注に掲載してくれていますので、そのまま引用させてもらいます。

 ぺったらこ……=nac petition petetac, ticque, torche, lorne. 戯訳。

フランソワ・ラブレー『第一之書 ガルガンチュワ物語』(岩波文庫、1973、p. 313)

 中世フランス語なんて私は一言たりともわかりませんが、それでも原文が「とってんかん、とっちんかん、とってん、かってん、とってんしゃん」とも「ぺったらこ、べったんこ、ぺったら、べったん、ぺったんこ」とも読めそうにないことはわかります。
 つまりどちらも渡辺一夫の創作といってもいい翻訳であり、そして過去20年にわたって特に手を入れていなかったものを、唐突にぺったらこへと大きく変更したわけです。

 重要な点をもう一つ、この訳注は白水社版には存在せず、岩波文庫で初めて追加されたものなのです。

 注の充実といってしまえばそれまでですが、大きく文章を変更した部分にわざわざ加えているあたり、そこにこめられた趣向を示唆しているようにもとれます。

 もとのぺったらこが、さら小僧の歌を借用した話ですから、それをさらに頂戴した、そんな二重のお遊びをこめた趣向。「戯訳」という言葉の「戯」にはそんな意味も掛けられているんじゃないでしょうか。

 水木しげるがガルガンチュワを読んでいた、という驚きは残念ながら私の勘違いでした。
 けれども、一般的にお堅い印象のある渡辺一夫が還暦を超えた年でも自身の怪しげなもの好みの趣味をむしろ強めて、こっそりとライフワークともいえる翻訳の中に「ゲゲゲの鬼太郎」のネタをもぐり込ませたかもしれない、そういう新たな楽しみを見つけることができました。

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