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社会科学研究会第二次活動報告

 社会科学研究会。

 主体となる最小単位である個が集合することによって、行動規範が生じ、各個との関係を考慮に入れつつ活動を行うコミュニティやその存在する世界そのものを社会という。そうした社会を形成する行為は、なにもヒトの独擅場というわけではない。類人猿はいうにおよばず、群生する鳥や小魚、はたまたある種のハチやアリにすらその萌芽を観ることはできる。しかし、ヒトがそれら生物と峻別される最も大きな相違点は、構築された一つの社会が別の社会と、空間時間直接的間接的を問わず影響しあい、より大きなコミュニティを形成していくところにある。秋津学園社会科学研究会は、そうした重層的に成り立っている社会を、特定の価値観に依拠することなく、多面的な視角を前提に、学際的な立場から相互の関係を考察する、有意義かつ非常に見識の高い学術系クラブである。

「そうだ。今、あたしんちに、夜になると鳴き出すっていう石があるんだわ」
 秋津学園高等部社会学研究会主筆栂丈京(つがたけ・みやこ)は、おもむろにそう切り出した。
「そう。それは、とっても興味深いお話ですわね」
 社会科学研究会会長梁木那緒(やなぎ・くにお)はニッコリと微笑み返す。ただし、心なしか、唇の端がやや引きつっている。
「ところで、京さん。貴女、今がどういう時間かご存知?」
「やだなあ、那緒サン、わかってますって。週に一度の研究会員発表……の終わった後でしょ」
「まだ真っ最中です!」
 那緒の鋭い語気のつっこみが部室をつんざき、京の隣に座っていた少女が、全身をびくりと震わせる。

「ほらほら、あんたが大きな声を出すから、びっくりしてえみりが起きちゃった。ひどいよねー、せっかく体育の後で、気持ちよくまどろんでいたのに」
「へ? ええ、ふわ、はい、おはようございまふ」
 社会科学研究会主宰井上えみりは、同クラブ内で最も厳格な合理主義者であり、世に蔓延する曖昧不思議をそのままにしておけない唯物論者でもあった。そのリアリストはこの時、ゆめうつつの寝ぼけ眼で状況理解が追いついていなかった。
「えみりさん!」
「ひゃい! え、えっと……太子は聖徳太子の事と考えられているが、実際は神の王子という意味で、冬至はその降誕会だとするクリスマスと同じような……」
「そこはとっくに終わりました!」
 あわてて手もとのプリントを持ち上げて朗読をはじめたえみりを、那緒の一喝が遮った。

 社会科学研究会では持ちまわりで、週に一度会員が研究の成果を発表することになっている。今回は那緒が当番だったのだが、御覧のような有様となっていた。
「まったく! 貴女たちはクラブ活動をなんだと思っているんですの?!」
「だったらさあ、あたしらばかりじゃなくて、アレを真っ先に怒るべきなんじゃないの?」
 前髪をあげている那緒の額が憤りで真っ赤になっている。しかし京はおかまいなしで唇を尖らせ、抗議の声を挙げる。
 京がじと目を送る先で、社会科学研究会御意見番隈楠(くまぐす)ミーナが大口を開けて眠っていた。
 椅子の背もたれに体をあずけ、遠慮なくかかれるいびきのたびに、全身が小刻みに震えて、たわわに実った胸の先にまで振動が伝わっている。
「アレはつっこんだら負けの類でしょう……」
 さすがに那緒もそのあたりはわきまえていた。

「んがっ」
「あ、起きた」
 ミーナが目を覚ましたのは、さらに十分ほど経ってからだった。
「やっとですの」
「おはよーございます、隈楠さん」
 しばらくの間、青い目をぱちくりぱちくり何度もしばたかせ、そばかすの消えない顔とウェーブのかかったブロンドの髪を両の手でもみくちゃに撫でまわした後に、開口一番、
「ウチも夜に鳴く石を見たいヨ」
「……あんたのソレは、いつ聞いても詐欺くさいよなあ」
 京は一つため息をついた。

 アメリカ系日本人のミーナにはいろいろと他人に真似できない、真似しようと思わない特技が多い。例えば寝ながら周囲の物音や話し声を聞くというのもその一つだった。
 正確には起き抜けの朦朧とした時に、寝ている間に耳を通して入ってきた記憶を反芻しているとのことだったが、初めてそれを聞かされたとき、那緒たちは半信半疑、どちらかといえば疑に傾いていた。
「それで、どんな風に鳴くネ?」
「さあ」
 京は肩をすくめる。
「でも、栂丈さんのお宅にあるんですよね?」
「うちにあるとはいっても、預かり物だしねえ。ずっと箱に入れたまましまいこんでいるから」
「あきれた。そんな程度の話で、私の発表の邪魔をしたんですの」
「いいじゃないの。もう終わってたんだしさ」
「貴女が横槍を入れたから終わらせたんです!」
 那緒がにらみつけても、京は涼しい顔だ。
「じゃあ、みんなで見に行こうヨ」
 だが、ミーナの提案は、そのポーカーフェイスを揺るがせた。
「え? ちょっと、まさか今日?」
 もっとも狼狽したのは、京ばかりではない。
「みんなって、もしかして、わたしや梁木さんも含まれているんですかあ?」
「そうネ」
 残りの三人の反応に、かえって驚いていたのはミーナの方だった。
「だって、預かり物ってことは、返さないといけないワケでショ。だったら早い方がいいヨ。善は急げネ。エミリはこういう不思議な現象を信じていないんダカラ、だったら直接実物に当たるのが一番ヨ。ナオちゃんは……マスコット?」
「ちょっと!」
「冗談ネ。けど、ナオちゃんだって興味あるデショ」
 ミーナは答えを出すのに躊躇をしない。この時も、真っ向から思うところをストレートに伝えただけに、だれも反論できなかった。
 ただ一人を除いて、
「私はナオじゃなくて、クニオです!」

 それから話はとんとん拍子に進んだ。
 夜に鳴く石とはいっても時間が明確でない以上、夜通し起きていなければならない可能性があり、つまりは泊りがけは避けられなかったが、京の両親は、ともに来客を厭わない性質で、初等部以来の腐れ縁の那緒はもちろん、高等部に上がって以来仲良くしているえみりとミーナは、なにかと家族の話題にも上っていたから、是非にもと話はまとまった。
 そうして、一旦それぞれ自宅にもどったうえで、乗り継いだ私鉄駅から京に案内されて栂丈宅に到着した頃には午後七時をまわっていた。
 郊外とはいえ、三階建ての立派な一軒家で、庭には一株きりだが柿の木が植えられていて、二階にある京の部屋の窓からも太い幹が見えた。

「これが、例の石ネ」
 ミーナの声が弾む。
 それぞれシャワーを終え、夕飯を相伴にあずかり、京が自室のテーブルの上に一塊の石を持ち出した。
 桐の箱に納められ、さらに袱紗に包まれていたそれは、四人のなかで最も小柄なえみりの拳よりもまだ小さな球体で、黒曜石のように光沢を持った墨色をしていたが、純粋な固体ではないらしく、手の平で転がすとところどころ異なる感触が伝わってきた。
「いかにもものものしい雰囲気ですけど、持ってきちゃって大丈夫なんです?」
 ツンツンと指先で転がしながら、やや不安げにえみりがたずねた。
「それが、父さんに聞いてみたら、そんなに大事なもんでもないんだって。もちろん預かり物だから、無碍に取り扱っているわけじゃないんだけど。そもそも持ってきたのが、父さんのお兄さんて人でね、放浪癖があって、普段なにをしているのかちょっとわからない、変わりもので通っているおじさんなのよ。そのおじさんが一週間ほど前に、フラッとうちにやって来て、これだけ預けていったんだ。由来は、その時に父さんにしゃべっていったらしいけど、なにしろそういう人で、おまけに夜に鳴く石でしょ。父さんにしても母さんにしても、たいして本気にしていなくて、右から左に聞き流していたらしいのよ。だから傷をつけたりなくしたりでもしない限りはどうでもいいってさ」
「ず、ずいぶんとおおらかなんですね……」
「深刻にするほどの話題じゃないってことなんでしょ」
 ジャージ姿の京は立て膝になって、両手を後ろにつき、大きく背筋を伸ばして天井を振り仰ぐ。

「で、そっちはなにかわかった?」
 石自体への観察はそっちのけで、箱と服紗にかじりついていたのは、那緒とミーナだった。
「ウン。この袱紗は、一本一本染め抜いた絹糸で織られているネ」
 紫地に黒く家紋らしきものが織り込まれた布を、ミーナはルーペでのぞき込んでいた。
「それと多分、科学染料じゃなくて、昔ながらの顔料で何度も染め抜かれたものヨ。前に飛騨染めの古い鯉のぼりを見せてもらったのがこんな感じだったネ」
 やたら歓声をあげながら、ミーナは布地を観察して御満悦だった。
「こちらも箱書きに少々興味深いところがありますわ」
 那緒は蓋だけを京に手渡してきた。
「表面には諏訪国産幽明石と書かれていますわね。裏面には和紙を張りつけた上で、由来が書き込まれておりますわ。そこに記してあります通りと考えますと……」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ。あんたらじゃあるまいし、スラスラと読めるわけないでしょ」
 蓋の裏に書かれていたのは、仮名まじりの漢文体で、かなりの達筆のおかげもあって、京では一文字ずつ追っていくのにも一苦労だった。

「要約いたしますと、今より二百年ほど前の諏訪の国、現在の長野県上諏訪のあたりで産出したのが、この石だったとのことですわ。採掘当初は霊験あらたかということで、ずいぶんと持てはやされ、方々で珍重されたそうですが、所有が移り変わり扱いがずさんになるにつれて神秘が失せて、かわりに業罰が顕現するようになったのですわ。それを恐れた人々は、鎮めるために諏訪社の末社に奉納したとのことです」
「ずさん、ねえ。キャッチボールがわりにでも使ってたのかしら」
 京は人差し指で石の表面を弾いてみる。
「やってみようカ」
「ダメよ」
 京は言下のもとに却下するが、動きかけたミーナの手は止まらない。
「そうですよ。栂丈さんがいっていたじゃないですか。借り物なんですから、万一傷でもついたらたいへんですよ」
 それを体を張ってえみりがガードする。
「あたしらじゃ、受け損なって床とか壁をいためまくるのがオチよ。だからダメ」
「そちらですの……」
 那緒が呆れたようにつぶやく。

「へっちーだったら、落っことすこともないだろうからいいけどねー」
 へっちーこと糸瓜四季は、名字はいとうりと読むのだが、親しいものはみんなヘチマがらみでしか呼ばない。京たちと同級生で、文芸部と女子野球部のかけもちをしている変わり種だ。
「四季さんといえば、先ほどお会いしましたわよ」
「そういや、那緒の家と近いんだっけ」
「ええ、毎日大変ですわ」
「大変て、なにが?」
「知らないんですの? 四季さん、毎日ジョギングしながら帰ってらっしゃるんですのよ」
「げっ。いったい何キロあるのよ」
「シキちゃん、スマートだから大丈夫だヨ」
「そっちのキロじゃないわよ」

「はー」
 えみりはぶしつけとわかっていながらも、部屋を見回してため息をついた。
「やだ。そうあきれないでよ。色気のない部屋でしょ」
「い、いえ! ただすごいコレクションだなって思って……」
 主の京(みやこ)の言葉を、ブンブンと手を振りまわし、えみりはあわてて否定する。
 部屋にはベッドと衣装ダンス、机とそれに並んでデスクトップ型のPCが置かれている。たしかに飾り気は薄いが、とりたてて変わったところはない。壁の一面を埋める本を除けば。
 高校生だけに、本棚に整列させられた背表紙には、参考書の類もいくらかは見られるが、圧巻は大部分を占めるずらりと並んだスクラップブックだった。それぞれ新聞、雑誌ごとに分けられ、日付が背表紙に書き込まれている。最も古いものは、十年前にも及んでいた。
「新聞とか雑誌の記事ってさ、だいたいその場限りのものじゃない。そりゃ、調べようと思えば、きちんと保管しているところなんてどこにでもあるんだろうけど、基本的に書き捨てられて読み捨てられていくものでしょ。子供心に、それがすごくもったいないなーって思ったのよ。それで、昔から気になった記事は、こうやってスクラップすることにしてるってわけ」

 えみりは了承を得てスクラップブックをひもとく。すると、どのページにも薄鼠色の新聞紙がびっしりと張りつくされていた。
 記事、社説、コラムはもとより、読者による投書から広告まで、わるくいえば雑多に、よくいえば満遍なく種々様々な内容が記録されていた。
「ミヤコ、これはなに?」
 えみりばかりでなく、残りの二人もスクラップブックをのぞきこんでいたが、ふとミーナが顔を上げてたずねた。
 開いたページには梅の開花の写真つきの記事が張りつけられていたが、指さしていた個所はその隣で、日付と記事の乗っていた面数だけでなく、「見切れウグイス」と書き込まれていた。
「あー、それ、キャプションだよ。記事だけっていうのも味気ないから、コメントがわりの一言を書き入れることにしているのよ」
「でも、コレ、ウグイス写ってないヨ」
「いるよ。えっとね、ほら、ここ」
 京のいう先を凝視すると、たしかに荒い粒子の写真の端になにか影のようなものがわずかに入り込んでいる。
「鳥の羽みたいだけど、これじゃあ、なんの鳥かわからないヨ」
「いいのよ。シャッターチャンスに偶然見切れてしまった鳥。せっかくだったら、ウグイスの方がおもしろいでしょ。その程度でつけているもんなんだから」
「じゃあ、こちらの書き込みも……」
 えみりが示す先にも同じような短い一文が添えられている。
「そ。だいたいが、その時の直観的な連想よ」
 なんだかとても誇らしげに京はこたえた。
 しかし、当の本人が覚えているものならまだしも、京ですらその時の心境を失念しているものも多く、例えば衆議院議員解散についての社説に対して「朝晩ネクター二本ずつ」だの、金融会社の広告に「もろみ」だのと書いているのは、もう暗号以上の謎の組み合わせで、一通り首をひねっては大笑いするより他に利用方法はなかった。

「それにしましても、おもしろいものですわね」
 那緒(くにお)の手の中にも、やはりスクラップブックがおさまっている。
「でしょ。ほんの少し前のことなのに、いま見るとすごく新鮮だよね」
 我が意を得たりとばかりに振り向いた京の鼻先に、開いたページが突きつけられた。
「ええ。この役者さん、そりゃあ、あの頃一世を風靡していましたものね」
 そこには両面見開きを使って、一人の若手男性俳優の記事や写真、番組紹介などで埋められていた。
 目を細め、片手で口もとを押さえる那緒の顔は、その時、とてもいい笑みで輝きださんばかりだった。
 それに対して、京は目を見開いたまま硬直してしまっていて、
「キャプションもふるっていますわよ。『ナイススタイル』『要チェック』『品物が引き立て役』このあたりは広告の切り抜きです。『謹覧謹聴』短いインタビュー記事ですわ。『テレビ欄で偶然発見!』ワイドショーの個所に出ている名前にアンダーラインが引かれていますわね。『(カワイイ)』これはもしかして、カッコカワイイと読むのでしょうか。そして、最もストレートかつ情熱的なのが、『絶対わたしの王子さ……」
「キャーッ!」
 冷静に注釈を加えながら読み進めるのを、しばらく見送ってしまった。ようやく悲鳴とともに、那緒の手からスケッチブックをひったくったものの、もはやあとの祭りではある。

「な、ななな、なななななななんてことすんのよ!」
「あら、わたくしは、京さんが読んでもいいと仰ったから従ったまでですわ」
 那緒は澄ました顔でうそぶく。
「ふ、ふーん。そんなこといっちゃうんだ。そ、それなら、あたしにだって考えってもんがあるんだからねっ!」
 いうなり、しかし、那緒に背を向けて、京は机の引き出しと格闘しはじめた。
「どんな考えをお持ちか存じませんが、どうぞお好きになさって、くだ……さ……いぃーっ?!」
 落ち着いた那緒の声が一八〇度ひっくり返る。
 紅潮と蒼白を足して二で割ったような、そんな器用な顔の色をして、那緒の目線は京の手に握られたものに注がれていた。
 それは一冊の小冊子だった。表紙こそ浅葱色の地にうっすらと花弁の舞うような厚手の漉き入れ紙を用いているが、中綴じのわずかにゆがんだホッチキスの跡も初々しい、一目で手製とわかるものだった。色むらのある文字だけの表紙には、ただ「まいんど・えこお」とだけ書かれている。

「お好きにといったわね。じゃあ、あたしも手加減なしでいかしてもらうわよ」
 いうなり、蚊帳の外になっていたふたりにふり返る。
「ミーナ、えみり、あんた達は知らないでしょうけど、那緒はね、今でこそ社会科学研究会に落ち着いているけど、中学時代は文芸部でも有名な詩人だったのよ」
 初等部からのエスカレーター組と異なり、えみりは高校からの途中入学、ミーナはアメリカの姉妹校からの編入という形で秋津学園高等部に籍を移した。
「もっとも、部活動っていっても中等部の学生は、ほとんど高等部学生の手伝いがメインだから、部内でを除いたら作品を発表する機会なんてろくにない。でもね、三年間の活動期間中、それでも何度かはそのチャンスが巡ってくることがあるの。それが、これよ。今から二年前の学園祭で発行された、文芸部中等部学生の詩集。この五番目に那緒の作品が収められているわ」
 これには、さすがにえみりもミーナも興味を引かれざるをえない。
「ど、どうして、それを……」
「そりゃもちろん、当日ゲットしたに決まってんじゃない。知っているでしょ? あたしが、学校で出されているあらゆる冊子やビラの類を集めているのは」
「それで、それをどうなさるおつもりですか……」
「どうする? そりゃ決まってるでしょ」
 いうがはやいか、おもむろに京は冊子のページを開いて、そこに書かれたものを朗読しはじめた。
「貴方のかんばせに憂鬱の色が宿るのはどうした理由でしょう。貴方の面立ちがあの方に似ているから? それとも私が似ていると言ったから? 貴方はご存知ないのでしょう。そうして憂いに沈む表情こそが、あの方のいらした時の色に塗り変えてしまうという……」
「やめえええええええっ!」
 そこまできて那緒が吠えた。

「そこまでやったらシャレにならへんやん! こういうんは、触れるか触れへんかのぎりぎりのところを狙えへんかったらあかんのんちゃうん!」
 那緒は関西の出身で、物心つくまでそちらで育った。だから、気分が激昂すると、つい関西弁が漏れた。というよりも、それを出さないための、普段の度が過ぎるほどの丁寧な物腰といえた。
「あんたのさっきのが、シャレになってたとでもいうつもり?」
「あれは、自分が読んでもええってゆうたんやないか!」
「なら、この冊子だって、まさか配るだけ配って、開封厳禁だなんていうつもりもないでしょ」
「ああゆうたらこうゆう!」
「なにさ! そっちこそ!」
 テーブルを間にはさんで、京と那緒は面を突き合わせていがみあっていた。そのまま取っ組み合いでもはじめそうな雰囲気だ。
「わわっ! 隈楠(くまぐす)さん、たいへんですよ!」
 いつの間にか部屋に漂いはじめた険悪な雰囲気に、すっかり意気地をくじかれたえみりはたまらずミーナに助け船を求めた。
「んー。止めたらいいネ?」
 いうなり、ミーナはおもむろに口に指をつっこむ素振りを見せた。
「それはやめて!」
 京も那緒もともに、先日の悪夢がよみがえり、それまでのいさかいも忘れて、同時にそう叫んでいた。

「疲れた……。もうなんだかとっても疲れたわ……」
「それは、わたくしのセリフですわ……」
 どうにかこうにかミーナを止めることに成功した京と那緒は、背をあずけあって床にへたりこんでしまっていた。
「ねえ、今って何時?」
「零時少し過ぎヨ」
 京の机に置かれた時計を見て、ミーナがこたえた。
「げっ、もうそんな時間か。わるいけど、あたしはもう寝るわ。もう眠くて眠くて。ベッドは好きな人が使って。あたしはここでいいから。っていうか、もう動けない」
「わたくしもこのまま失礼しますわ。京さんのお母様がタオルケットをご用意くださったから、遠慮なく使わせていただきます」
 いうなり二人ともカーペットの上で、タオルケットにくるまりだした。その声には既に眠気が混じっていた。

「えっと。ということは、ベッド組はわたしと」
「ウチだネ」
 途端にえみりは頭から覆いかぶさられ、全身を使って抱きしめられた。ミーナの目は爛々と輝いて、鼻息も荒い。白い頬に上気した赤みがさして、あまり目立たないそばかすが浮き出てきている。
「うやあああ。栂池さん、梁木さん、たすけてくださいー」
「ミーナ」
 豊満な肉体に埋没したえみりの力ない悲鳴があがると、京は寝転がったまま一声かけた。
「ベッドに入るのなら、目覚ましをセットして、明かりを消しておいてね」
「はーい、わかったヨ」
「ううううううううう」
 もみくちゃにされたままえみりはそんなうめき声をもらすしかなかった。
 ミーナは器用にえみりを片腕でかかえて、空いた片手で時計を操作した。そうしてベッドに飛び込むと、抱き枕よろしくえみりにしがみついて、早々に寝息をたてはじめた。
 ミーナの締めつけがおさまると、えみりも暗くなった室内で、鼻腔をくすぐるあまいにおいに誘われて、まどろみの中に沈んでいった。

 そうして皆が眠りについた頃、すっかり状況から取り残されてしまっていた、今夜の主役だったはずの石は、ただテーブルの上で夜闇に溶け込んでいるしかなかった。

 突然、室内をベル音がつんざいた。
「ふわっ」
 眠りを破られ、京と那緒、えみりがほぼ同時に飛び起きた。
「なに、もう朝?」
 京は寝ぼけ眼をこすり、眼鏡をかけながら、あたりをうかがってみるものの、どうも勝手が普段と異なる。
「ちょっとまだ夜明けてないじゃない」
 開いたカーテンから見える窓の外はまだ真っ暗で、近くの街灯がまだともされている。
「ミーナ、目覚ましセットしたのあんたでしょ。変なとこ触ったんじゃないの?」
「えー、なにもしてないヨー」
 遅れてようやく上体を起こしたミーナは、まだ目をなかば以上閉じて、むにゃむにゃやっている。
「なにもしてなくて、こんな時間にベル鳴るわけがないじゃない。もうしっかりしてよ」
 いいつつ、京はばたんと再び倒れ込み、あっという間に眠りに落ちた。
 那緒とえみりもそれにならう。
「ウチ、ちゃんとセットしたネー」
 ミーナだけが、しばらくの間もぞもぞしていたが、そのうちついていた立て膝に顎を乗せて眠ってしまった。

 改めて翌朝、みんな身支度も終えた頃、
「まったく、ミーナのせいでひどい目にあったわ」
「だから、ウチちゃんと、目覚まし時計をセットしたヨー」
「そうはいいましても、みんな聞いていますからね、いいのがれようが……」
 えみりが間に立って、そういおうとした途端、激しい音が部屋に響いた。
 京の机に置かれた古めかしいアナログの目覚まし時計が、しきりにハンマーを振って、ベルを叩いている。
 夜中の変な時間に起きたものだから、だれもがいつもより早く起床してしまい、目覚ましをオフにしたものはいなかった。
「あ、ホラ! やっぱり、ウチ、まちがってなかったヨ!」
 一人大はしゃぎで、激しいベルを鳴らす時計を指さしているミーナだったが、その他一同はそれどころではなかった。
 自然引き寄せられるように、京たち三人の目線は、テーブルの上に注がれた。
 夜中に響いたのが目覚まし時計のベルでなかった以上、別のなにかが鳴ったのでなければ理屈にあわない。
 そこでは件の黒曜石まじりの丸石が、なんとなく満足げに鎮座ましましていた。

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