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大洗文学全集 第1巻補遺

 前回の大洗を舞台とした本の紹介で、入りきれなかった話題をいくつか補足といたしまして。

 三代目三遊亭金馬の釣りエッセイ集『江戸前の釣り』の、ハゼに割いた章に大洗の名前が出てくることは前回紹介しましたが、本職の落語にまじえてハゼの登場する噺を次のように書いています。

 落語のハゼ釣りのはなしは誰でも聞いて知っているが、『野ざらし』というはなしで、隣の尾形清十郎という年寄りが夜中に若い美しい女に肩をもましている。わけを聞くと、昼間、向島へハゼ釣りに行って、釣れないので帰りかかると、枯れ葦の間からカラスがとびだした。後ろを見るとドクロがある。そこで「ふくべ」の飲みあまりの酒をかけて、回向の句を詠んで帰る。その骨の主が女で、昼のお礼に足腰などをもみましょうといってくる。

「江戸前の釣り・ハゼ」

 この「野ざらし」はその後、尾形清十郎のもとに亡者のやってくる場面を目撃していた長屋の隣人の八っつぁんが、幽霊でも美人がやってくるのはうらやましいと、同じことをまねようとしてしくじるという内容となっています。
「おっ」と思ったのは、大洗の涸沼の名物でもあるハゼの話をしている際に、落語の「野ざらし」が登場したところでした。
 同じように大洗の来訪を扱うエッセイで、さらに「野ざらし」を話題にする作品があったからです。

さらに椎名誠

『わしらは怪しい雑魚釣り隊』(新潮文庫)

 それは椎名誠『わしらは怪しい雑魚釣り隊』(新潮文庫、2009/初版:マガジン・マガジン、2008)に収録されている「意外痛快トリ貝大勝負」です。

 雑魚釣り隊については、前回に第3巻の方を紹介した際に書いているので省略しますが、隊長椎名誠が率いる面々が全国各地でキャンプをしてばかさわぎをしながら釣りもするという連載エッセイの一編で、こちらは比較的初期の話となります。

 茨城県大洗町のサンビーチ。梅雨に入ったばかりということもあったが悪意にみちた土砂降りである。

「意外痛快トリ貝大勝負」

 雑魚釣り隊は大洗の誇る海水浴場サンビーチでキャンプを行っていました。

 時期的にひと月ほど早かったのですが私も訪れてみたところ、キャンプ場に限らず結構あちこちでテントが張られていました。

 翌朝はなんとか晴れた。朝から疲労気味の隊員はビーチの端から延びている「大洗港魚釣り園」の堤防に行った。堤防から一望できる広い海岸は大勢のサーファーでびっしりだった。

「意外痛快トリ貝大勝負」

 震災の被害により現在は営業されていない魚釣り園にて竿を伸ばしていたところで、一行の最年長者、通称長老のサオにあたりがきます。

 全員注目のなか、あがってきたのは何やら見るからに気持ちの悪い白と黒のからみあった有機物らしいひとかたまりの物体である。
「ひええ?」
 おそるおそる見るとどうも白骨化したカラスの亡骸のようであった。
「長老、“野ざらし”のようなもんですな」
 そう言うと落語にくわしい長老にはすぐに通じた。

「意外痛快トリ貝大勝負」

 椎名誠は落語好きで、自身の著作の装丁を、落語家の似顔絵でも著名な山藤章二に依頼したりもしているので、このハプニングをおもしろがっている節もあります。

 その後一行は、フェリー港のそばの堤防に場所を変え、地元の人々に混じってトリ貝釣りにチャレンジすることになります。
 実は、このフェリー港も、後に椎名文学で再び取り上げられていたりもします。

さらにさらに椎名誠

『あやしい探検隊 北海道乱入』(角川文庫)

 それは『あやしい探検隊 北海道乱入』(角川文庫、2014)です。
 ちなみに最初の単行本では『あやしい探検隊 北海道物乞い旅』(角川書店、2011)というタイトルでした。
 ゆきあたりばったりで北海道をまわり食料は自給自足でやりくりする旅を計画していたものの、事前連絡が行き届き過ぎて各地で食材や料理をちょうだいすることになって所期の目的がまったく達成できなかったために変更となったのでした。

 それはそれといたしまして、そんなわけですから舞台は基本北海道なのですが、その北海道に渡る直前にちらりと大洗が顔を出します。

 まあとにかく荷物の積み込みがすんだので、出発を記念して竹田にそのブブゼラを吹かせた。なにか象がオナラをしたような力のない音が新宿三丁目界隈に鳴りひびいた。
 そこから首都高速に乗って一路常磐道を進み、午後三時には大洗に到着した。まったく順調にきてしまったので六時半出航までだいぶ時間がある。

「極貧物乞い旅の計画」

 この時点ではまだ自給自足旅の予定でしたので、ピックアップトラックなどにサバイバル用の道具一式を積み込んでフェリーで北海道に向かうことにしていたわけです。
 登場する場面はここだけです。出航までの数時間でなにか食べ歩きでもした記録でもあるかと期待したのですが、なにもありませんでした。
 その後、さんふらわあに乗船してたどりついた北の大地で、いかに飽食の限りを尽くしたかについては、本文をお読みください。


 さて「野ざらし」が縁となったもうひとつの大洗の話題があります。
 それは冒頭に引用した三遊亭金馬の文章に覚えた引っ掛かりでした。

「落語のハゼ釣りのはなしは誰でも聞いて知っているが、『野ざらし』というはなしで」

 私も多少落語は聴いて見ている方なのですが、「野ざらし」がハゼ釣りを扱ったものだというのはまったく知りませんでした。

 金馬のあらすじにもあるように、確かに浪人者の尾形清十郎が向島へ釣りに行き、そこでシャレコウベを見つけるとは演じられるのですが、ハゼ釣りと詳細に説明していた記憶はなかったからです。
 それとも江戸前の釣りの代表格がハゼのように、向島で釣りとなるとハゼと相場が決まっているのかしら。そうなったらイナカ者のこちらはお手上げです。

 金馬の演じたものがあればベストなのですが、どうも「野ざらし」の録音は残されていないようで探し切れませんでした。
 そこで所持している録音盤を一通り聴いてみました。やはり向島へ行ったとは言うのですが、ハゼが出てくるものはありませんでした。

 そのかわり、思いもよらず大洗が登場するものと出くわしたという寸法です。

そして柳家小三治

 それはソニー・ミュージックから出ている「朝日名人会ライヴシリーズ42」『柳家小三治II 一、野晒し』(MHCL-1111)です。

『柳家小三治II 一、野晒し』(MHCL-1111)

 柳家小三治は惜しまれつつ昨年逝去された、落語家としては3人目に人間国宝に認定された昭和平成令和を股に掛けた名人です。が、噺に堅苦しさは微塵もなく、非常に軽妙な調子で語りを進めていきます。

 小三治は本題にとりかかるための前置き部分、マクラというんですが、これが非常に長いことでも有名です。
 例えば、「野ざらし」は普通の演者さんなら20分から25分くらい、どんなにたっぷり時間とってやっても30分いくかいかないかという噺です。なのに、この録音盤はCDまるまる1枚を「野ざらし」(アルバムタイトルは『野晒し』ですが、ここは表記を統一させてもらいます)に使っている。
 そう、マクラが長いんです。実際、小三治の本編「野ざらし」も25分くらいですが、マクラがなんとそれ以上の30分もとっている。
 でもこれが面白いんですねえ。多くは本当に他愛ない身辺雑事なのですが、それが演目に従わない型にはまらないアドリブのような話題をぽんぽんと聞かせてくれて特別な気分にさせてくれる。そして、本編の「野ざらし」に入ってみると、そのマクラが案外としっかり噺の準備になっていることに気づかされて、さらに驚かされるという。

 そのマクラで、シャンソンの話や英会話の体験談、ゴルフでの失敗話など、本当に一見とりとめのない内容を次々に聞かせてくれるのですが、そのうちのひとつで釣り旅行が取り上げられます。
 一泊二日ではありますが、釣り好きの友人にその前夜から餌の準備まで含めてがっつりつきあったので旅行といっても差し支えないかと。

 この時の行き先が大洗涸沼だったというんですね。

 思いもかけずハゼをきっかけに、偶然とはいえ落語の「野ざらし」から別の大洗の話題が持ち上がってきました。
 こうした話題の連環が起こるのも、ひとつに大洗の持つ歴史的な風格かと思えます。



ほいのほい

 と、まあ記事をあらかた書いたところで、ありがちといえばありがちな話なのですが、なんとなく引き続き「野ざらし」の録音を聴いておりますと、尾形清十郎が向島へハゼ釣りに出かけると言及しているものに出くわしてしまいました。

 それも2枚も。

 1枚目は、ポニーキャニオンから出ている桂平治『名演集3 野ざらし・妾馬』(PCCG-00976)です。

桂平治『名演集3 野ざらし・妾馬』(PCCG-00976)

 もっとも桂平治は前名で、現在は江戸桂派の止め名であり東西桂の宗家である桂文治を継いで当代を務めています。
 非常に明るく元気な八っつぁんがまわりを掻きまわしていく様子を楽しめます。
 ここでは確かに、八っつぁんに尾形清十郎が向島にハゼ釣りにいったと説明しています。
 このあたり御本人魚釣りが好きなことをマクラでも語っており、その分ディテールにこだわりたくなるのかもしれません。

 桂文治は御本人のサイトに掲載されている演目の思い出話で、「野ざらし」は三遊亭若馬に稽古をつけてもらったと書いています。その若馬も魚釣りが趣味だったとのことなので、三遊亭金馬も含めて釣り好きの噺家の大事にしてきたポイントなのかもしれません。


 もう1枚は、ソニー・ミュージックの古今亭志ん朝『志ん朝初出し 七 宮戸川・片棒・野晒し』(MHCL-2365)です。

『志ん朝初出し 七 宮戸川・片棒・野晒し』(MHCL-2365)

 古今亭志ん朝は落語ファンならずともご存知の、昭和・平成の大名人です。
 端正な口調で、流れるようなリズムで八っつぁんの浮かれ具合を語るのがいかにも楽しいです。
 こちらも確かに尾形清十郎がハゼ釣りに行ったと言っていますし、ご丁寧にも八っつぁんにも「向島行ってハゼ釣ってくるハゼ釣ってくるって言って釣ってきたためしがない」なんてセリフがあります。
 志ん朝は2001年に亡くなっておりますし、解説でもだれの流れを汲むものかはっきりしません。
 ただ、桂文治も古今亭志ん朝も、本来のオチまで演じず途中で区切っているので、そうしたやり方の際にはハゼの名前が出てくるのかもしれません。

 なんだか話がとちらかってしまいましたが、それもまたおまけの補遺っぽいということで、今回はこのあたりで。

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