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AIの言葉に違和感を覚えたので日常で感じたことと比べてみた

小話

アルバイトの帰り、ふと思い立ったことがある。
私はこのアルバイト先の喫茶店を世に生み出した人間なのだろうか。

結論としては、そんなわけはない。
私はアルバイトであって、雇用者ではない。
むしろ従順な労働者、被雇用者である。金くれわんわん。

私はこのアルバイト先に大学に入学してすぐから勤務しており、オープニングスタッフであった。
客の入りこそまばらではあるが、開店当初から客の入りをよりよくするにはどうすればよいか、よりオーナーやスタッフの負担を減らしつつサービスを提供するにはどうすればいいか考えてきた。
一介のアルバイトにしては視座が高いことをしてきたのではないだろうか。

ところが、オープニングスタッフは当然私以外にも複数人いたし、視座が高いというのは私の主観であって実際はそうではないのかもしれない。
漫然と食器洗いと配膳に行うのは何か違うだろうと、効率化やサービス向上について考えるのは、もしかしたら世界中では当たり前のことなのかもしれない。
となると、むしろ私の視座は低く、むしろ傲慢な裸の王様ではないか。
ああ、恥ずかしい。

少し脱線してしまったが、要は私がいなくてもこの喫茶店は開店していただろうし別に何もトラブルなく運営できていたのだ。
だから、恐れ多くも「私が盛り立てた」と表現することができても、決して「私が作りました」とは言えないのである。

オープニングスタッフではなかったとしたら、もっとわかりやすいだろう。
時系列に沿って議論ができるからだ。
「後から入ってきたやつが何言ってんだ」と一蹴されて議論は終了である。
悲しいかな。

本題

さて、なぜこんな小話をしたかというと、先日初めてBing AIに会話を持ちかけてみたとき、気になる表現が出てきたからである。

私は「Bing AIをEdge以外で使えないのか?」と問いかけたところ、「EdgeはBing AIのために開発されたブラウザであり、Bing AIが最適で動くように動作している」と返答されたのだ。
一瞬納得しそうになってしまった。

EdgeはIEの後継として開発されたブラウザであるということは、今更確認するまでもないと思う。
そして、おそらく流行や技術の変化からして、EdgeよりもBing AIの方が後発だろう。
もちろん、Bing AIの導入に合わせて改善などはなされているのかもしれない。
しかし、先述の「EdgeはBing AIのために開発されたブラウザ」であるというのはさすがに素人目にも間違ったことを言って いるのが分かる。
そこで、議論を吹っかけてみた。
以下、そのやり取りの概要である。

私「なぜでしょう、Edgeの方が先に開発されているはずではないのですか」
AI「はい、ですがEdgeはBing AIのための整備がされていますのでもはやEdgeはBing AIのために開発されたと言っても過言ではないのです」
私「整備されている、ということはその前段階があるのではないですか。開発段階とそのあとの段階で在り方が変わったのでしょう。となれば、あなたの言う私のために開発されたというのは表現は若干不適切に思いませんか」
AI「たしかにそうかもしれません。仰る通り、最初からBing AIのために開発されているわけではないです。誤解を招く表現でした」
私「こちらこそ突っかかってごめんなさい」

なんとも大人なAIである。
私がみじめになってしまったではないか。
悔しいので今度は駄々をこねさせてやろうか。
こういうことを考えているから精神的に成熟しない揚げ足取りになってしまうのだ。

なぜこのような現象が起こるのか記すには、私の知識が足りない。
AIの学習データが云々マルコフ連鎖が云々とめんどくさい話を勉強しなければならない。
またの機会にこれらについて学習した結果を書き殴ってみようと思う。

まとめ

日本語はたまに語順やてにをはを間違えるだけで誤解を孕む表現や論理構造が間違っている表現になってしまう。
人間はもちろん間違えるし、AIもその人間が書いたデータを学習して会話を行うわけだから、そういったことも当然起こりうる。
AIに思考を肩代わりしてもらえども、文章や意見の最終責任者は自分であることを気をつけなければいけないと感じた出来事だった。

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