山の文化

柳田國男の『山の生活』という本がある。

柳田國男は『遠野物語』くらいしか知らない人も多いかも知れない。
民俗学、というのは河童や座敷童の研究、というような印象があるかもしれない。外れてはいないのだが、本質的にはその国、土地の風俗習慣を調べ、より普遍性があるか、ルーツはどこか、文化の根源は何か、ということを調べる学問だ。
つまり民族の根幹を学問するものであり、同時にアジアとの交流を文化的、言語、民族、風習で解き明かすものである。

柳田國男は日本の文化を、「農耕する民=常民」と捉えた。
しかし柳田國男の研究を見ると、元々の根源は山の民と気づいていたのだと思う。
遠い国から椰子の実一つ、というところから南方とのつながりを解き明かしつつ、海洋民族にも思い至っただろう。
より古いのは山の民、海の民だとわかっていたと思う。
稲作農民としたのは政治的なまとめである。
山の民、すなわち縄文人がいて、稲作民族、すなわち大和王朝の勢力が後から全国に普及した。日本も地方に行くと方言も風習も食文化もかなりばらつきがあった。昔は別の国と言えたが、農耕儀礼や正月の風習など見ると逆に共通点が見えてくる。明治以降の日本ではこの研究が日本文化の取りまとめ、または発信に役立った。
実際にこうした理解は重要で、無形文化だからこそ引き継がなければ失われてしまうものである。当たり前の餅つき、正月は当たり前ではない。
当たり前であった田植え、代掻き、稲刈りはすでに農業従事者が2%切って高齢化していることを考えると失われるものである。

減反政策は日本文化の根底破壊に役立っている。「当たり前」を当たり前と思わず文化の構造を理解する。
この点は文化人類学が寄与できる部分だろう。

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