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自分のことを考える

次の春は無職になって一周年。
去年の今頃は騙し騙しやっていた諸々の限界が来て、眠れないわ、寝たら悪夢見るわ、なにもしてないのに泣けてくるわ、みたいな状態だった。辞めたいって言い出したのが一月末。そこから色々拗れに拗れて、とはいえしっかり有休も消化させてもらって四月末に退職した。

とはいえ、しがないフリーターであった。とはいえとはいえ、部門内でもかなりしっかり働いていた方だと思っている。ただのスーパーの店員だ。誰にでも出来る仕事といえばそうなのかもしれないし、重ね重ねただのパートだし。でも好きな仕事だった。向いているとも思っていた。一緒に働いてる人も九割好きだった。このままずっとやってんじゃないかな、と思っていた。

どこから間違え始めたのか、そもそも最初から間違えていたのかもしれない。一匹狼のような先輩としっかりつるむようになってから、少しずつおかしくなってしまった。みんなが適度に距離を置いている人だった。少し気難しいところはあるけど、真面目な人で、かわいい人だとも思っていた。年上捕まえてなに言ってんだという話だが。だからこそ、わたしは協力してやっていきたかった。そうすることで、部門の横の繋がりをもう少し整えたかった。でもやっぱり、そんなのわたしに出来ることではなかったのだろうと思う。

調子が良かった時はあった。楽しかった時もたくさんあったし、助けてもらったこともたくさんあった。元々機嫌の悪い日はあからさまに尖る人だったけど、いつからかずっと機嫌が悪くなるようになった。ある程度の理由は思い当たる。でもどう考えてもわたしは悪くないし、やっぱりそれは相手の自分勝手だと思った。

でも思えばそういう人だった。分かっていたのに関わることを辞めなかったのはわたしなのだ。最初からみんなと同じように適度な距離を保てば良かったのだ。後悔しても遅かった。

退職にあたっての話し合いの中で、店長に言われたことがある。万が一があるので細かいことは書かないけれど、それは本当に本当に納得のいかない言葉だった。引き止めたいのか引き止めたくないのかどっちだよ、と思った。失礼だった。咄嗟に涙目になった。その時どういう返事をしたかはもう覚えてない。けど、そのあと休憩室で泣いたことは覚えている。

あの時、怒れば良かった。どういう意味ですか?なにが言いたいんですか?ってちゃんと詰めれば良かった。悲しくて、あとやっぱり店長相手だから気も使っていて、なにより勇気がなくて、なにも言えなかった。今振り返れば、辞めることは決めていたのだから、店長が相手だからって別に遠慮することなんかなかったのに。

店長に対しても、問題の人に対してもそう。辞めるんだからきちんと文句を言えば良かった。今になって本当に後悔している。なんの本音も言えず、なんの抗議も出来ず、わたしはただ負けただけだった。辞められればなんでもいいや、と当時は思っていたけれど、ゆっくり考えた今、それはただの放棄だったように思う。自分を守ることを放棄したのだ。もっと自分を尊重してあげるべきだった。自分のために怒ってあげるべきだった。

思えば、人生そんなことばかりだ。人の顔色を気にして、嫌われるのがこわくて、良い人を演じているつもりではいるけど、結局それって都合のいい人。押せばなんとかなる人。怒らない人。陰で馬鹿にされてることだってあるだろう。なんて可哀想なんだよわたしは。たかがフリーターだから、低学歴だから、気が弱いから、言ってもしょうがないから、そんなことばかり考えて、向き合うことを放棄して、可哀想な自分を慰めることも、認めることもしていないような気がする。

でもそれじゃいかんなと今回のことで本当にそう思った。自分を大切にしてあげよう。嫌だなと思ったら嫌だなと言うべきだし、怒る時は怒らないといけないのだ。自分のために。もう店長に抗議することも、あの人に抗議することも出来ないけれど、今度からは間違えないようにしたい。そのようなことを考える一月中旬なのであった。

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