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湯灌【大西一郎『ある視点』第35回】

横浜市鶴見区・ファンタジーサウナ&スパおふろの国のリラクゼーションコーナー「ケアケア」店長・大西一郎がカウンターの中から繰り広げる視座の世界。

「しんどい」と「いたい」と「しにたい」が混ざったような言葉。最期の朝、父は一呼吸ごとに、「いいあい」「いいあい」とつぶやき続けた。

「何?しんどい?」「痛い?」と私が訊くたびに、曖昧にうなずいた。病院から電話を受け、母がとりあえず私を一番に病院に放り込んだので、病室にはしばらく私と父、二人きりだった。もはやぺらぺらと思い出話ができる段階ではなかったので、父の「いいあい」という言葉にうん、うん、と頷いた。もっと手を握りしめながら、優しい言葉をかけ続けたりしても良かったかもしれないが、結局父と私は最後までぎこちなかった。

ある時、「いいあい」という言葉が少し伸びて、「あおいいあい」と言っていることに気が付いて、「あ、はよ死にたい?」と訊くと、そう!正解!とでも言いたげに、一際はっきり「おお!」と頷いた。「そうか、はよ死にたいか、もうちょっとや。」と答えた。「死ぬのも簡単ちゃうな。」と言うと、もう一度はっきり、「おお」と答えた。

長く苦しむぐらいなら早く死にたい。父はそういうタイプだったし、一貫してそういう選択をした。まだ言葉もいくらかはっきりしている時、「はよ逝きたいのになかなか逝かしてくれへん。」とぼやいた。いつかそういう時が来れば、きっと私も同じように思うのだろう。ということで、積極的な治療はせず、苦しみを取り除きながら安らかに死を迎えましょうという病棟に、他ならぬ父本人の希望で移ってから、かれこれ一か月経っていた。

父は四人兄弟の末っ子だった。父の母は、父がまだ学生の頃に亡くなっている。父の父や、一番上の兄のことはうっすら憶えているが、私が小さい頃に相次いで亡くなった。それから三十年以上経っている。二番目の兄と、三番目の姉はまだまだ元気なので、順番を抜かしたことになる。父とそんな話をしたことがないので憶測だが、私が白黒の写真でしか見たことがない祖母、父の母が亡くなった時から、もしかしたら父は、死ぬことがそれほど怖いと思わなくなったのではないかと思う。だから、この病棟に移ってから一か月持ちこたえてしまったことは、誰よりも本人が、「こんなはずちゃうかったのに。」と思っていたかもしれない。 

この三週間前に会いに行った時、もう父に会えるのはこれが最後なのだと思って、帰り際、一緒にいた母にわざわざ先に出てもらって、耳元で、「大西家に生まれて、嬉しかった。幸せでした。ありがとうございました。」と、声が震えたが勢いで言った。父は泣きながら三回ぐらい、「ありがとー。」と言った。

父には来週も来月もないのだと思っていたので、おふろの国に戻って、来月の月刊サウナは、とか、未来の話をするたびに、その頃父はもういないのだと思った。

ところが父はちょっとだけ元気になった。「ガリガリ君を5本食べた。」とか「ワガママが止まらない。」とか、そんな知らせが届くようになった。基本的に、近くにいるのは母だけなので、父のワガママを一手に背負い、疲れ果てていた。
話が違う。

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