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立場の違う人とどうやって付き合っていくか。

熱量の違う人たちとどうやって付き合っていけばいいのか、考えさせられる出来事に出会う人は多いと思う。ほとんどの人は同じ考え方をしているといっても、その差異はやはりある。部活で言えば「楽しみでやってる人」もいるし、「優勝目指してやっている人」もいるし、「みんなとの付き合いで断り切れない思いがあってやっている人」もいる。会社も同じ。人間が集団を作って何かをやろうとするときには、それぞれのモチベーションの差異がまず初めに課題になってくる。ゆえにヴィジョンが大事だと繰り返し説かれ、幹部陣はどうやって付いてくる来る人たちを扇動すればいいのかに頭を悩ませている。

今回私が議題にしたいのはそういう上と下というような意識の格差ではなくて、横同士の意識の格差について、である。これはやはり小学校から部活というものを経験しており、その中で思っていたことでもある。どうしてこの人はそこまで頑張れるんだろうと思う、いわゆる意識の低い集団に属することもあれば、どうしてこの人はここまで頑張らないんだろうという、いわゆる意識高い系の集団に所属することもあった。その時々で自分と違う意識で動いている人達に憧れだったり、失望だったりを抱いてきた。

この世には2:6:2の法則というものがあったり、パレートの法則というものがあって、どうやったって階層構造が生まれるようにできているらしい。少なくとも遺伝子のレベルでは個人間の差はやはりあるので、それらの法則が本当に成りたっているかに関わらず、動的なネットワークというものは偏りを生じる構造になっているようだ。この辺りは【お金2.0】という書籍にも書かれている。

さて、ではそういう意識の違う集団は互いに交わることができるのか、理解できるのかということだが、これは知能のベルカーブと同じく、1標準偏差違えば基本的には別物になると思っていい。油と水の関係の如く、意識の違う者同士はやはり相いれない構造が出来ているように思う。

すごいなと思っていた先輩はやはりすごいなと思う人達とつるむものだし、ダメだなーと思う人達はやはりそういう集団に属していて、その集団はほとんど固定されたもののように見える。先の話で遺伝子を持ち出したが、これはある程度固定されている部分もあるのかもしれない。橘玲さんの書籍や安藤寿康さんの書籍によれば、あらゆる行動には遺伝で説明できる部分が少なからずあるという。

だからといって、環境や遺伝に全ての責任を放棄していいというわけではない。自分で選べる環境があるのであれば、選択の結果として遺伝子の発現方向が規定されているに過ぎず別の環境ではまた違う才能が開花する可能性もあるし、意識に変化が起きることも同じく残されている。

だいぶ話がそれてしまったが、横同士で意識が違うものとどう接していけばいいのかということについてであるが私個人としては「相手の立場を尊重した振る舞いを身に着ける」というのが最も効果的ではないかと思う。立場が違うから相いれないというのは最もな態度ではあっても、実社会においては褒められた態度ではない。違うからといって避けていてはやはりその立場になることはできない。相手に印象を残したければ立場の偉い人には偉くなさそうに扱い、偉くない人には偉いように扱う、と言われるように相手の立場をよく理解しておけば信頼感を得る方法はいくらでもある。

全ての立場の人の意見に流されるというわけではなく、あなたの言っていることもわかりますよ、という態度をするだけでいい。理解してくれているというのは信頼の第一歩だ。話が分からない奴じゃないんだなという態度を見せながらも、やはり私としてはこういう立場ですというのを表明していけば相互理解にもつながるだろう。いや、相互というより一方的に向こうの立場を理解するだけになることもあって向こうはこちらを理解していないということもしばしばだが、それでもいい。結局は先に与えたほうがやはり得をするのだから、先に相手を理解しようとすればいい。理解できないなら離れればいいし、理解できたならそれによって器が広がる感覚にもなる。

とにかく、自分:相手の二項対立的な感覚で物事をとらえるのではなく、自分の立場を示しつつも、相手を慮る態度に努めるべきである。間違ってもすぐに噛み付くような行動を取ってはならない。排除は最終手段であり、最初から行使しようとするのは差別的行為にやがてつながる。自分の所属するセグメントのみを理解していても、世界のボリュームゾーンには色々な人がいるのだから、ビジネスでもその行為は報いを受けることになるだろう。

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