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【#4・本】 その努力そんなに必要?

こんにちは。

今回はこの本を読んで学んだこと、感じたことを書いていきます。

ひろゆきさんの考えは、多くの人があまり考えなかったり、共感が難しそうなことを発言するイメーシが個人的に少しあります。

しかし、それらは全て論理的に話されているので納得もします。(笑)

この本を読んでみて、内容にとても共感する部分が多く自分も驚きました。全てにおいて理由があるので個人的に理解しやすかったです。

それでは、この本を読んで共感した部分、学んだ部分をピックアップして書いていきたいと思います。

「片手はつねに空けておけ」

ビジネスチャンスが目の前に現れたときに、右手に会社員としての立場、左手に一家を支える大黒柱という状態だと、きっとスルーしてしまうだろう。
サッカー選手の本田圭佑さんは、こう言っている。
「みんなシュートの練習ばかりをする。けれど、そのシュートにつなげるために、敵を抜いたり、いい位置にボールを持っていくことのほうが重要だ。それができて初めて、シュートを練習する意味がある」
チャンスを掴む話と似ている。チャンスを掴む練習より、いつでも掴める状態にしておくことのほうが重要なのだ。

ゴール前での練習ばかりしていても、実際にそこまでボールを運ぶことができない限りその練習したシチュエーションは訪れない。

チャンスというのは突然訪れるものなので、その準備を日々行っているのかが重要

僕も日々、オンラインサロンなどの有料サブスクや日々の読書で知識を蓄えています。

これは、エンジニアとして社会に出ていざサービスを作る機会が訪れた時に、今まで蓄えてきた知識をすぐに利用できるような準備でもあります。

また、重要な決断をする時や何かを選択するときの判断力は、もともと持っているその人の知識や経験の掛け合わせで決まると思っています。

だから、勉強や経験に投資をしていずれ来た時のチャンスを逃さない準備をしておくのはとても重要だと思います。

ユニークな人が生き残る

いつどんな時代でも、人が人を選ぶ。
これは変えようがない。
人が人を選ぶ基準は、なんだと思うだろうか。
「客観的な優秀さを持っている」
ただ、多くの人がそのことしか考えない。だから、資格産業や英会話教材は無くならないのだろう。

人が人を選ぶ基準は、優秀さではない。
「面白いかどうか」だ。
面白ければ一緒に仕事していて楽しい。
優秀かどうかは、実際に仕事してみないとわからない。前の会社では優秀だったとしても、他の会社では合わないこともある。
面白い人が面白くなくなるって、わりと10年ぐらいかかる。

僕はこれは、オンラインサロンでの友達と地元の友達を比べると同じようなことを思った。

オンラインサロンでの友達はいつも何かを考えながらすぐに行動に移す友達が多く、何かタメになる情報があればお互いいつも共有をし合っている。

現在の僕の価値観では、オンラインサロンで出会った友達の方が刺激的で面白い。

僕の地元の同級生は国立大学に進学した人が多く、ここでいう客観的な優秀さに当てはまるかもしれない。
地元の友達はとても素敵な人ばかりだし、いまでも付き合いはある。

しかし日頃の生活を見ていると、SNSなどでの発信で流れてくる情報はご飯、遊び、ちょっとした景色など。

僕はその発信も素敵なことだと思うし、人それぞれの価値観があるので否定もしない。

ただ、現在の僕はオンラインサロンでの友達と話をしている方が面白い。ここでの友達の方がこれから将来的に面白いことを一緒に作り上げていけそうだとも思っているから。

まさに、優秀さではなくユニークさだなと思う。

「努力」は「好き」に勝てない

イチローさんが「努力を努力だと思っている時点で、好きでやっているやつには勝てないよ」と言っていたが、僕もそれは正しいと思う。
たとえば、僕はゲームもやるし、映画も観るし、マンガも読む。たくさんの時間をエンターテインメントに費やすことが多い。
「毎日2時間、必ず映画を観てください」と言われても全然できる。
しかし、毎日2時間、必ず編み物をしてくださいと言われたら、たぶん1週間もしないうちに気が狂いはじめる。
好きではないものを強要されると、人はそれを努力と感じてしまう。
僕が映画を好きで観ているのは、努力だと思ってないし、好きでやっているから、それを圧倒的な努力で映画を観ていることになったら、それは逆に、映画が嫌いなことになってしまう。そうなると、映画が好きな人には勝てない。

これは僕もそう思います。

何かその物事を好きな人は好きな分だけ時間を費やすので、必然的にその物事に触れる回数が増え知識や技術が身に付くと思います。

また、「努力」よりも「好き」の方が対象物に対して前のめり(能動的)な姿勢で触れていくので知識などの身に付き方も違うと思います。

僕はサッカーが好きなので毎日サッカー関連の情報は無意識に調べてしまってます。これは好きだからできることなので全く苦ではないし、その分の情報も蓄えられていきます。

やらされている事に対しては、嫌な感情が出てきてしまい、自分で勝手に触れる回数や費やす時間を制限してしまうと思います。

その反面、好きな物事に対しては、マイナスな感情がなく好きでやっているので、何事にも自ら制限をかけずに時間を費やし、必然的に様々なことが身に付いていくと思います。

もしかしたら感情も関係しているのかもしれません

最後にはすべて笑い話にできる

世の中はすべて「ネタ」だということ。
受験がうまくいかなくても、就職が決まらなくても、事業で失敗しても、お金がなくなっても、家で友達と酒を飲みながら自虐を言えば、ゲラゲラ笑ってくれる。
ツラかったり、しんどい目に逢ったりしたら、頭の中では、
「これ絶対に後で笑い話になる」
と考えている。
そんな風に語られるエピソードを、あなたは持っているだろうか。

「こんなヒドい目に遭ったんだよ」
そう言って話せる人が、あなたの周りにいること。それを心から願っている。

このような考え方は僕も常に持っています。

もし何か挑戦をして失敗しても、そこからは経験、データ、そして誰かに話せるネタにもできる得られるものがたくさんあると思います。

おそらくこれは失敗に対しての考え方にもよるかもしれません。

言えるのは、自分にとってプラスとして得られるのは、成功だけでなく失敗にもたくさんあるということです。

もしかしたらその自分の失敗談を友達に話すことで、その人の新たな挑戦に一歩踏むだす少しの勇気も与えるかもしれない、僕はそう考えます。

ひろゆきさんのような考え方を持っていれば、新しい挑戦に対してのハードルも少し下がるかもしれません。

そして、最後にひろゆきさんは

「自分にしかないもの」「他の人があまり考えないこと」という武器で勝率を高めたり、勝ったときはすごく気持ちがいい。自分の持っている能力や機能を、どこのポジションに持っていけば人生がラクになるか。それをいつも考えていると、人生が生きやすくなるし、シンプルに楽しい。
あなたにとっての「1%の努力」とは、どんなことを指すのだろうか。それは、あなた自身にしか決められないことだ。

どうしても生活していく中で、人と比べてしまう場面が多くあり、自分が劣っていると思うときが多々あるかもしれない。

それでも、いま自分の道を歩んでいるのは自分なんだから、自分のできること、したいことをしていければいいのかなと思います。

他人にはできなくて、自分にできることを少しずつ探していくのも良いかもしれません。

僕もできること、したいことを一生懸命やっていきたいと思います。

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