見出し画像

30代半ばにして、人生に悩んでいる男の話

コロナだからとか、価値観が変わっているからとか、そんなこと関係なく、ずっとモヤモヤしていることを思いのまま書いてみます。


30代半ばにして生き方に悩んでいます。人生100年時代で言えばあと70年、大切な人と大切な事に時間を使いたいと思っています。なんで僕はこんなに生き急いで、何かに追い立てられて人生を送ってきたんだろうってふと考えています。

幼少期から小学校卒業ぐらいはさておき、自分で自分の行動をなんとなく決められるようになる中学時代から、なんとなく忙しく、本当に大切なものをどこか脇に置いて人生を生きてきた思っています。中学高校は部活動。特に高校は勉強もせず、1年の内330日は部活をしていました。高校入学の時はそこまで頑張るつもりはなかったのに、いざ始めてみるとそうすることが周りを残念がらせないで済むし、きっと将来役に立つのかもしれないと思っていました。

大学に入ってからも、将来マスコミで働きたい思っていたのもあって、それに近づくための活動に入りました。動画撮影や記事執筆、出版などいろいろ経験させてもらいましたが、普通の大学生のように暇を持て余すということはなく、ほぼ制作会社の社員状態で深夜までアウトプットを続けていました。


社会人になって、希望していた出版社に入社しました。配属は営業。自分の数字をひたすら追う日々。自分の思いとは裏腹に結果は出ました、というか、人より真面目に働いていただけなので、自分が特別仕事ができたわけではありません。毎年毎年求められる数字が上がっていき、後輩をまとめるポジションになり、マネジャーになり、、、、そして30歳の時、僕は眠れなくなり、身体を壊して2か月休職しました。その後会社に戻ったものの、どうしてもがんばれなくて転職しました。

転職先は広告代理店の人事。業界も職種も全く違うところでした。その会社も上司とのそりが合わず1年で退職。今はまたベンチャー企業で営業職として働いています。そしてこの会社でも、なぜか社長に認められ営業部長をしています。入社から3年ぐらいは自分の体調を崩さないように、人のせいにできることは人のせいにしてきました。やれ誰が悪い、商品が悪い、市場が悪い。。。なんとなく穏やかに過ごしていましたが、数年前から売上を今の数十倍にするという経営方針に。一気にプレッシャーが増大しています。ここ数か月、土日も関係なく働くことになり、好きだった趣味に時間も使えず、人と会うのさえ億劫ですし、そもそもその時間をとることに罪悪感があります。


「仕事が片付いていないのに遊んで、休んでいいのか」と


そう。まさにこの一言に自分の人生が集約されてました。責任感がある、真面目であるといえば聞こえはいいのかもしれませんが、僕は今まで自分の気持ちを、人生をないがしろにしてきました。自分が心地よいということは追及することは、何か悪いことをしているんじゃないかと思いこんできました。そんなことをするのは自分勝手だと。


「もっと自分の欲望に忠実に生きてもいいんじゃないか」


30代半ばにしてこんな当たり前なことに気づいたんです。そして出てきた答えが冒頭の「大切な人と大切な事に時間を使いたい」ということでした。お金よりも時間。量よりも質。周りにやさしくできる余裕と穏やかさ。僕が人生で求めるのはこれでした。

ビジネス的な厳しさなんか僕はいらない。やさしさにあふれて、その中で生きていく。そんな人生をこれから追及していきたいと思います。


サスティナブル(=持続可能な)。今、世間ではよく言われています。僕は世の中や地球にとってというよりも、自分の人生がサスティナブルであってほしいと思い始めています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?