タラの芽からコミュニティを考える

我が家の向かいは親戚の家です。私の祖母の実家です。我が家の土地も、もともとその親戚の畑を購入したものです。

その親戚のおじさんとおばさんは、しょっちゅう我が家に来ます。

ただ、手ぶらでフラフラと来るわけではありません。必ず何かを持って来てくれます。そして、家に上がったり井戸端会議をしたりするわけでもなく、数分で帰って行きます。

持って来てくれるものと言えば、例えば野菜だったり、果物だったり、こども達のおやつだったり、煮物だったり、孫が使わなくなったお風呂のイスだったりします。先日は季節ものということで、タラの芽とウド(敷地内で採れたもの)とタケノコの炊き込みご飯を頂きました。

正直我が家としてはものすごく助かります。野菜も果物もおばさんの手料理も、新米家族にとっては大変有難いものです。

しかし「私が地元にUターンするにあたって親戚の土地を購入して家を建てる」という計画は、私の母は当時反対していました。

「親戚の向かいに家を建てたら毎日のようにやってくる」「断り切れないほどの飲み会や近所の寄り合いがある」といった理由でした。私の母も田舎へ嫁いで来た身ですし、その当時は今よりずっと内輪的な環境だったと思うので、そのように思ったのでしょう。

母の意見は半分同意出来ましたが、半分は「そんなことは無いんじゃないかな」と思っていました。そして今は「これからはこういうコミュニティが大事なんじゃないかな」と思い始めています。

おじさんとおばさんは毎日のようにやってきますが、その関係はサラッとしたものです。特に思惑があるわけでもなく、単純な善意だと感じます。「これ食べて」「ありがとうございます。今度何か持って行きますね」「ありがとう」これの繰り返し。恩を借りたら返す、繰り返し。

「ムラ社会」「閉鎖的」「内輪で盛り上がる」田舎の体験談はこのようなネガティブな印象が大きいと思います。しかし、そうではない地域もたくさんありますし、むしろ多数の地域が良い方向へ変化しているのだと思います。

時代はものすごいスピードで変化しています。いくら田舎だからといって、いつまでも変化しないわけが無いのです。その変化を良いものと捉えられるかは、受け取る側の考え方が大事なのだと思います。

新型コロナウイルスの影響で、様々な人が困っています。「マスクが無いのなら、隣の家から貰えばいいじゃない」そういう共有の精神があったら、すごく気が楽になることもあるのではないでしょうか。

マスクを買い占る現象や、感染者への誹謗中傷というのは、情報不足や偏った認識によるものであったりするわけで、それらが地方で解消されるのはややタイムラグがあったりもします。これらは皆で正しい方向へ向かわなければならない課題です。コミュニティとして、危うい側面も当然あるということです。

このような時代だからこそ、コミュニティのあり方について、改めて考える必要があるのではないでしょうか。

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