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「所有」から逃れられない

自宅の近くに、空家があります。

近所の人に聞けば、数十年間空家だそうで。中学校の目の前という立地もあり、当時は商売をやっていたそうですが、何らかの理由により閉店、引っ越し、それ以来ずっと空家ということでした。

これはチャンスかも知れない。もし手に入れることが出来たら、現在自分の部屋を事務所代わりに仕事をしているけど、移転しても良いかも知れない。学校や運動場が近くにあるから、道沿いの土間部分を無料開放して、コミュニティスペースとしても良いかも知れない。ロードバイクのメンテも出来そう。

この空家から地域活性化に繋がるアクションを起こせるかも知れない、と思い、知り合いの不動産屋さんにお願いして、空家の所有者を探してもらいました。土地と建物を譲って頂けないだろうか、もし譲って頂けるなら幾らくらいだろうか。

しばらくして、不動産屋さんから連絡がありました。所有者が見つかったそうで、アポを取ることも出来た、とのこと。数十年前の引っ越しの理由は、結婚だったそうで、嫁ぎ先の旦那様が応対してくれたそうです。

結論は「手放すつもりはない」ということでした。理由は「嫁の実家だから」。

正直、いろいろな感想が浮かびました。確かに奥様はご存命とのことだが、数十年間手入れもしていない土地と建物を「嫁の実家」と言えるのだろうか。田舎の土地と建物をピンポイントに「買いたい」と手が挙がるケースがどれだけレアか。私は両親とも健在で実家は機能しているが、誰も住んでいない「実家」を残す意思というのは、どれほどのものなのか。

膨らんでいた妄想に対し、取り付くしまも無い結果で、ムキになっている部分もありました。

しかし、「私も同じじゃないか」と、少し熱が冷めてからふと思いました。彼らも「所有すること」にある種固執しているかもしれないが、私も「所有すること」から逃れられていないじゃないか、と。

そもそも私のやってみたいことは、土地と建物を所有する必然性は無く、話の方向性はいくらでもあるはず。空家を所有すれば、少なくとも毎年固定資産税がかかり、常日頃から手入れをしなければならず、何か問題が起これば所有者の責任となるわけで。「所有」は、時間的な縛り・経済的なリスクを背負うことになりますが、果たしてそれがベストアンサーなのか。私なりの回答はまだ見つかっていません。

「田舎に移住する」「空家を探す」ことが、なかなか上手くいかない理由は、「所有」から逃れられないからだと思います。この流れを上手くデザインすることが出来れば良いな、と今は考えています。

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