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呼ぶか、呼ばれるか、どちらでもないか

ボクがいつもお話ししたり書いたりしたりすることは、私見です。
そして、正解なるものがそもそもあるものでもなく、いろんな考え方があるもの、だったりします。今日の話も、その典型です。

お話のきっかけは新種のimmigrations

この1週間、急に盛り上がった「新種のimmigrations」(通称:イミグレ)。

イミグレは、サブスク型の幸せ拡充再分配コミュニティです。
コミュニティは「あたかも小さな国」と見立て、メンバーは住民となり、会費を「プロジェクト」や代官山や北軽井沢の「拠点」などに投じて、「自律した経済と幸せの新しいカタチを希求する」集まりです。

立ち上がって実質1週間で、凄まじいイベントの量です。
9月5日(土)「第1回住民総会
9月6日(日)「Barイミグレ第1回
9月7日(月)「ラブコール ~あのひとに会いたい」
(ゲスト:小山薫堂さん)これは正確にはイミグレイベント、というよりは、イミグレの「長」である遠山正道さんが代表を務めておられる、東京代官山ロータリークラブのイベントです。
9月9日(水)「Barイミグレ第2回
9月12日(土)・13日(日)「那須キャンプ
…遠山さん、事務局の皆さん、ありがとうございます。

イミグレのコミュニティモデル

この「イミグレ」は上記の「プレスリリース」に「新種のimmigrationsのコミュニティモデル」が記載されています。

新種のimmigrations(以下イミグレ)では、『経済』『生活』『メディア』の3つを住民(会員。以下住民)にとって大切なインフラであると考え、それらを提供していきます。

このうち「メディア」が面白いな、と僕は思っています。

▼メディア 自らのメディア化をこころみる
イミグレの活動を、イミグレ内外に共有していくことで、その活動自体をメディア化していきます。イミグレの『賢き朗らかでユニークな住民』自体が、非常に魅力的なコンテンツであると考えています。
住民の思考すること、想像すること、妄想すること、そしてイミグレ内外でのコミュニケーションを積極的にメディア化していくことを予定しています。

その中での住民の動き方

昨日、改めて、この「イミグレ」の「コミュニティモデル」を考える機会がありました。思い出したのが「第1回住民総会」での、遠山さんのお話です。

これからの時代は、呼ばれる人、呼ぶ人、呼ばれない人の3種類に分かれる。」

実はこの投稿後に、遠山さんから正確な表現をご連絡いただきました。

「自ら仕掛ける人、お声がかかる人、そのどちらでもない人の3種類」

ここでのポイントは、どうすれば「お声がかかるか」
一つはイミグレのコミュニティモデルにある「メディア」自分自身の「メディア」化です。

そのために「イミグレの活動を、イミグレ内外に共有」し、というか「イミグレでの自分の活動を、イミグレ内外に共有」し、自分がやれることを「共有」すること、だと思います。

しかし、コミュニティの運営側としては、配慮した方がいいこともあります。例えば、いろんな事情があって、「活動」を「内外に共有」できない方。

そういう方は呼ばれるよりは「呼ぶ」=「自ら仕掛ける」のも一案。
自分が動けば、その行動自体がメディア(というかコンテンツ)になり、その行動を共にした人には存在が共有されるからです。

また、状況によっては「ただ、そこにいる」というのもあり、とすること

遠山さんは、このイミグレについてではありませんが、一般的なコミュニティにおける人のあり方について、「ラブコール」での小山薫堂さんとの会話の中で、このようなことをおっしゃっていました。

コミュニティはいい人だけでは成立しない。
でも、いい人や、いるだけでいいという価値もあると思う。猫とか。

個人的には、呼びもしないし、呼ばれもしない…とすると、さみしくないのかな???と思いつつ、そのような「あり方」も「あり」です。

呼んだり、呼ばれたりするには

「自分は何をやれるか」「やりたいか」を、常に「行動」と「記録」で「共有」していくこと、だと思います。

それにより、何かしようとする人の頭の中に思い浮かべてもらえること=「脳内リコメンド」される状態にすること、だと思います。もちろん、逆も然りです。

そうすることで、呼んで頂いた方の「期待」と、呼ばれた方の「やれること」を交換することで、お互い一緒に時間を過ごしてよかったな、と感じられると思います。また、時には逆の立場になることで、続いていく関係になると思います。

呼ぶにしても、呼ばれるにしても、思い出されると、新たな「ヒト」や「コト」こととの出会いや経験の機会が得られます。そのためにも「令和時代のADSL」を提唱しています。

愛と共に行動し、記録し、共有すると、暖かいフィードバックが得られると共に、「○○(例:幹事、速記、拍手などなど)がやれる人」と、記憶に残り、お声かけいただける=呼ばれるようになりますし、呼んだ際もノっていただきやすくなると思います。

発信することの意味

発信しても、びっくりするくらい、他の誰かには伝わりません。伝わって悩むより、伝わらなくて悩むはず。でも、その中で伝われば、上述のように「脳内リコメンド」される状態になると思います。

なので、ご自身のお考えや、所属組織、立場などの事情が許せば、「行動」はもちろんですが、その「記録」と「共有」することをお勧めします。

「記録」の共有の際は、どんな時に、(相手の事情が許せば)どんな人と、何をした(考えた、話した、動いた)、などが伝わるように心がけるのも、お勧めです。なぜならば、それが共有できると、あなたがどのような立ち位置でご一緒できるかがイメージしやすくなるから、です。

繰り返しますが、何が正しくて、何が間違っている、という類いのものではありません。自分で決めればいいのです。でも、個人的には、そして時と場合によりますが「どちらでもない」=「呼ばない」「呼ばれない」はさみしいな、と思ったりしています。


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