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バーベキューに見る「同じ釜の飯を食う」の意味

先日、三密に気をつけつつ、久しぶりにバーベキューをやってみました。
小雨がぱらつく中、買い物に行き、火を起こし、肉や海鮮や野菜を焼き、焼けたものは時節柄大皿で出せないので個別に配り、並行して同時に作っていたカレーでシメ。文字通り、「同じ釜の飯を食う」体験でした。

「同じ釜の飯を食う」とは…

生活を共にしたり、同じ職場で働いたりして、
苦楽を分かち合った親しい間柄のたとえ。
【出所】固辞ことわざ辞典「同じ釜の飯を食う」

今回のバーベキューは、この全てが含まれていました。
「コロナ禍」の「雨」と言うある意味の「苦」の中での開催、「食う」までの買い出しから調理までの「生活」を共にしました。

気づいた3つのこと

リモート生活も気づけば約4ヶ月。家族以外の方と食事をするのも久しぶり。さらにバーベキューも約1年ぶり。こんな状況ゆえの久しぶりの三連チャンでなければ、当たり前すぎて見落としてこともあるので、バーベキューという文字通り「同じ釜の飯を食う」中に含まれている要素を整理してみます。

1.一緒に準備する
2.一緒に同じ環境で食べる
3.一緒に体験する

1.一緒に準備する

バーベキューに限らず、複数の人と食事をするためには、次の3つのことを無意識のうちにやっています。

メンバーの決定・日時調整・趣旨とメンバーの嗜好を踏まえた場所の確保

バーベキューはこれに加えて、次の3つが必要です。

道具の準備・材料の買い出し・調理

この「バーベキューの3つ」は、いわゆる飲み会や会食には無い要素です。開催人数次第ながら、一緒に決めて、役割分担してそれぞれが動いて、最後に組み合わせる、ということになります。こうした時間を共することにより「釜の飯」に至るまでが、コンテンツになります。

2.一緒に同じ環境で食べる

今回は、雨でした。
しかも、タープが年代物で防水加工が弱まっていて、雨漏りしていました。

そこで調理して食事するために、タープの角度を調整して雨水を避けたり、雨が火にかからないようにしたり、時節柄密にならないように席を配置したりしました。

ここでの「環境」のポイントが「五感」への刺激
炭を含む空気が漂い、カレーや肉の焼ける匂いが広がる。ふと見上げると、雨。こうした「嗅覚」とリアルな「視覚」を刺激される環境の中で「味覚」を刺激されると、この体験の前と後で「肉を焼く」とか「カレーを食べる」ということの印象が変わります

これは、オンラインでは共有できません。
例えば焼肉。画面越しに「肉を焼いて食べる」という「同じ行動」をすることはできます。が、漂う空気を同じにすることはできません。(特に「味覚」を共有する時間の)「空気」は「嗅覚」×「視覚」でできると思います。これが違うと、同じ時間を共有したと言い切りにくい感じがある、と思います。

3.一緒に体験する

こうした環境で何かすることを共にするということ事態が、コンテンツの前提であるコンテキストの「場」として、後世振り返った時の思い出になります。

皆さんも、部活の合宿や、会社のオフサイトイベント、また、そうした特別な場所でなくても、日常の会議室や家のちょっとした機会で「本来、こうじゃ無い」みたいな「ギャップ」がある環境で、複数の方と何かをすると、文字通り「苦楽を共にする」感が高まる、と思います。

まとめ

バーベキューならではの準備、五感の中でも「嗅覚」と「視覚」を刺激する食事、「本来、こうじゃ無い」みたいな「ギャップ」がある環境での体験…バーベキューに見る「同じ釜の飯を食う」の中にはこの3つが入っていました。

1.一緒に準備する
2.一緒に同じ環境で食べる
3.一緒に体験する

コミュニティでの活動を考える際に、無理なく、でも、この要素を盛り込むとこりゃまとまるな、と思いました。

(写真は、バーベキューのシメで焼いた焼きおにぎりです)

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