マガジンのカバー画像

Think difficult

80
思考を刺激し、ヒントを与えてくれる色々。難しく考えた思考の断片や、気になった記事のスクラップをまとめています。
運営しているクリエイター

#watanabeani

ぶつかる会話の価値。

昨日は、職種の違う3人と食事。 それぞれが別のプロジェクトで関わっている人同士だったが、全員で会うのはこれが初めてだった。この状況の中で「人と会って話す」というのがどれほど貴重かと考えさせられる。 自粛期間中、zoomでの打ち合わせをほとんど断っていたのも、会って話すことと、メールなどで済むことの中間に位置するオンライン会議にあまり意味を感じなかったからだ。 人と話すことで自分の考えを整理できることもあるし、思ってもいなかった方向に構想がジャンプすることもある。これはビ

求められたら意見を言え。

もう題名を書いただけで終わりなんだけど、ソーシャルメディアで行われていることのほとんどが、「お前には関係ないだろう」の一言で済む。 自分とは無関係な人に話しかける権利、資格、さまざまな言い方があると思うけど、リアルな人間関係でダメなものはネットでもダメだ。友だちを呼んだパーティに知らない人が勝手に入ってくるのは不法侵入だし、カフェで話している人に「それは間違ってる」と、割って入ってくるのもルール違反だろう。 何かを言いたかったら、まずは「意見を求められる人」になる必要があ

「誰がネットを更新しているか」

ネット上には、ネットにいる人の世界があるというのは誰でもわかると思う。でも「ネット以外の世界」が不足していることにも気づく。 昨日「うどんげの花」の投稿を読んで、不確かな記憶があったので画像検索をしたら、これである。調べたい単語がアニメの役名などに使われてしまっていると、こうなる。 どちらが有名であるとかではなく、ネットをよく使う集団が欲しい情報を蓄積する量が多いからだ。 wikipediaでも、声優のデータなどは膨大なのに、誰でも名前を知っている往年の大スターの記事は

表紙は破って捨てたよ。

「消費する遊び」と、「創造する遊び」があって、このどちらが好きかによって生活のスタイルは決まっていく。 たとえば子どもにしても、絵を描くことが好きな子と、塗り絵が好きな子がいるよね。どちらが好きでもいいし優劣をつけるつもりはないんだけど、そこに「断絶」があるのだけは確かだと思っている。 白い紙を渡されるとすぐに絵を描き始める子は、塗り絵のように「誰かが用意してくれた下絵」が印刷された紙を面白いとは思わないだろう。反対に塗り絵が好きな子は、真っ白い紙を見ると手がかりがないか

バカと利口の両方が満足できる本。

30年も広告を仕事にしてきたのに、もし自分が作って世に出したプロダクトがまるで売れなかったら、それはクライアントに対しての冒涜になるだろう。過去に「こうしたら売れますよ」と、企業に対して偉そうに提案してきたことの説得力がゼロになってしまうからだ。 というわけで、自分が出した本が、まあまあ好調な予約状況であるらしいことを知って、ほっと胸をなで下ろしている。 『ロバート・ツルッパゲとの対話』の後書きにも書いたが、「売れる」というのは商業活動の金銭的結果だけを指さない。特に本に

カツカレーを発明しました。

彼は身長が177cmだ。彼はイタリアンが好きだ。彼は長男だ。 これだけの情報で、彼が喜ぶプレゼントを選ぶことは不可能だ。ITALIAと書かれたXLのTシャツを渡しても、たぶん弟にあげてしまうだろう。 「情報の断片を手に入れたら、それが星座の輪郭を描けるようになるまで我慢しないと、結論が浅はかになる」と、『ロバート・ツルッパゲとの対話』に書いた。外国人が浅草寺とスカイツリーと竹下通りという3点を知っていても、東京という星座を描くことは不可能だ。 断片的で誰でも手に入れられ

知識に終点なし。

パリでキーホルダーを買うならどこがいいでしょうか、と聞かれたら、「多分ここだ」と答える。フランソワおばさんの店。 もしこれより少ない品揃えの場所しか知らなかったら、そこが一番だと思ってしまうだろう。知識や体験の蓄積には終わりがない。 俺が知らないだけで、世界にはもっとスゴい店があるはずなのだ。だから、自分が知っていること(知識)は常に不完全だと思っている。間違っても、自分の貧しい経験で知った何かを、「人に教えよう」などと思ってはならない。

所有と集合知。

先日あるミュージシャンと、「ニューヨーク」というコンビのネタについて話した。彼らは、出す曲がことごとくヒットしているJ-POPデュオという設定で、その作曲風景をコントにしている。 俺たちのファンのあいつらは「永遠」とか「LINEが既読にならない」とかいう言葉が好きだから歌詞にたくさん入れとけ、みたいに話し合いながら最終的に曲ができあがる。ある意味、現在の音楽業界をバカにしているわけだから、そのコントを見てイヤな気持ちにならないか、とミュージシャンに聞くと、「いや、そういうミ

笑いは人を傷つける。

正確に言うと「クオリティの低い笑いは、」なんだけど。 俺は幸運にも笑いを職業にする多くの人たちと知己を得ることができたので、彼らがどれほどの努力や訓練を積み重ねて笑いを生み出しているかを間近に見て知っている。どんな職業でも変わらないとは思うけど、彼らは朝から晩までそのことだけを考えている。 そのクオリティの高い笑いは人を笑顔にする。だから立派な職業になるんだけど、それは端から見ると「俺にでもできる簡単なモノ」だと思われている節がある。SNSでのコメントはまるで素人大喜利の

勉強のための視力。

先輩がゆっくり歩いていたら、後輩は後ろからぶち抜け。 と思う。 この前、写真を始めたばかりの人からポートレートをいくつか見せてもらったんだけど、すでに普通の仕事は十分できる程度の能力が感じられた。 勉強の方法に敏感な人は効率よく技術が向上するんだなと思い、根拠のない頑固さでずいぶん時間を無駄にした過去の自分を恥ずかしさとともに思い出した。 「勉強の方法」のほとんどは謙虚さと素直さでできている。残りの1/3はバファリンだ。 自分は何も知らないから全部吸収しようと思う人

ヤギさんへお手紙書いた。

ヤギワタルくんがTwitterで、「批評家の必要性」について書いていた。俺はあまり必要だと思っていないので、そうリプライした。140字では到底書けない内容なので、「noteに詳しく書いて」とお願いしておいたらアップされていた。 ヤギくんの丁寧な説明で概要はわかった。批評家によって創作の世界がひらかれたり、作家が進化する可能性があるというのは納得できるし、批評にとどまらずに創作に転じる人がいるのもわかる。よき創作者は批評家の資質を備えることがあるというのも理解できる。 俺が

橋の上から見た夕陽。

数年前、「ホタル祭り」に行ったことがある。地方の夏祭りで、特別ホタルがたくさんいる場所でもない。まあ、そういうネーミングだというだけだ。 そこで数枚の写真を撮ってSNSに載せたところ、まったく知らない人からコメントがあって、「全然ホタルが写ってねえじゃん。笑」みたいなことを言われた。その時、ああ、これだなと思った。 自分は仕事でアートディレクション、撮影、編集をしているからそれが変だとは感じないんだけど、そうでない人は、「スイーツ祭り」という記事でスイーツが写っていないの

「フィルムで写真撮ってるんです」って鼻息荒く言われることがあるんだけど、知らない人がマッチでタバコ吸おうが、ライターで吸おうが、俺にはどうでもいいです。

他人の受け売りなので無料記事。

キングコングの西野くんにはビジネスの才覚があります。先天的なモノもあるでしょうけど、かなり大事なポイントがひとつ。それは誰もが平等には得られない「環境の問題」です。 彼は若い頃からあらゆる分野のトップクラスの人と出会い、その人々から、一流のビジネス感覚を学んでいます。そこに大きな差がある。 そういった恵まれた環境を持たない多くの人は、その部分を「想像」で補っています。だから現実とのズレが大きかったり、手垢のついた理論を信奉していたり、民間療法のように非科学的なことを信じ込