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Think difficult

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思考を刺激し、ヒントを与えてくれる色々。難しく考えた思考の断片や、気になった記事のスクラップをまとめています。
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#おもうこと

伝え、教えるという行為の難しさ

無駄に積み上げた経験と、それによって得た知識や知恵。 自分のために身につけてきた自分のためのセオリーとは言え、 それらを自分以外の人に伝えることで、喜んでくれることも多かったりする。 音楽・楽器を演奏したり、 演奏するための道具に関する蘊蓄など、 確かに豊富に持っていると言って良いのかもという自負もある。 ただし、 感覚に左右される事が多いこれらの行為に、100%ただしい答えがあるとも思っていない。 自分のためのセオリーは、あくまで自分のためのものであり、 それがそのま

立場や環境が違えば考え方に違いが出るのはわかるんだが

自らが、自らの経験やそれに伴う知識や知恵、はたまた技術を後進のために残そうという、なんとも大それた、偉そうな行為に出てしまったため、 一体どんな方々が、 同じようなテーマで どのようなことを発信しているのか、 気になって時々こっそり探ってみたりする。 自分では思いも及ばない素晴らしい内容であったり、 目からウロコなアイデアであったり、 皆さん、本当によく勉強しているし、 良く考えていらっしゃると感じる事が多い。 もちろん、 自分とは全く違う考え方をしている方もいるが、 そ

雑談。それは素敵なコミュニケーション

雑談。。。 それは雑な会話などではなく、種々雑多なテーマについて、色々な角度から眺め、様々な切り口で吟味し、意味がありそうでなさそうなやり取りを繰り広げていくうちに、何やら楽しそうなものだったり、重要な結論みたいなものにたどり着く、楽しく、意味のある、大切なコミュニケーション手段なのである。 話が次々に逸脱し、飛翔し、ありえないものをめがけて突進していくところ、そのときそれまで無縁であったはずの知が相思相愛になっていく 出典:982夜『世界大博物図鑑』荒俣宏|松岡正剛の千

ノイズを取り去り、如何に自分にとって有益な情報を得るか

何かわからないこと、 なにか知りたいこと、、 気になること。 インターネット上を検索すれば、 様々な人が、いろんな情報を発信していいることがすぐに分かる。 あんなことやこんなこと、 めちゃめちゃ細かいことまで、 みんな、色々感じ、いろいろ考えて、 それぞれにとって有益な答えを見つけ、 その答えを情報として世界中の人たちと共有するために発信している。 幸いにも、自分にとってドンズバな情報にたどり着くことができれば、 これほど助かることはないだろう。 しかし、中には 発信

概念としての知は、真の意味での知を得るためのヒントでしかない

情報が溢れかえっている今だからこそ心に留めておきたい。 感覚を伴わない知識は、単なるデータ(記録)であって、自分自身の知恵ではない。 思考を伴わない知識は、単なるデータであって、自分自身の考察ではない。 そういったデータ、情報をいくら蓄えても、自分自身の成長につながるとは思えない。 データ貯めるだけだったり、決まった処理をするのであれば、コンピュータのほうがはるかに効率がいい(笑) たくさんデータを残しておくなら、脳より電脳やろ(笑) 知る〜解る〜出来る〜伝える〜解

何を言ったのかではなく、誰が言ったのか。。。

何かものすごくいいことを言ったとしても、 影響力も何もないただのオッサンが言っていることなど、 誰が見たり、聞いたりしてくれるわけもなく、 ただの戯言として、埋もれていってしまう。 でも、 同じことを誰か有名な人や、影響力のある人が言ったとすれば、 圧倒的な支持を受け、またたく間にいい話として拡散されていく。 自分なんて、なんの影響力もないし、こんなの仕方ないことだと、 ずっと思ってました。 しかし、 こんなことを言われ、我に返ったのだwww 「同じ曲をど素人が演奏

創造という名の思考

創造..... 文字だけ見ると、 なにもないところから何かを生み出す作業や思考ということになるのか。 しかし、 無から有を生み出すことは、 はっきり言って非常に困難なことであるし、 個人的には不可能なことなのではないかと思っている。 何かを生み出そうとして思考を巡らせる。 その行為の最中や直前に見聞きしたことに、多かれ少なかれ、必ずや影響を受ける。 結局のところ 創造とは、 それまでに見聞してきたこと、体験してきたことをつなぎあわせ、 合成する作業なんじゃないかと思う

流行って自然発生するものではなく、作られたものに乗っかるもんになってるよね

ファッション、サウンド 色々な流行は時代が移り変わると巡り巡ってまたもとに戻ると言われることがよくあります。 時代が求めているからとか、カッコ良い理由なら良いんですが、 個人的な感想を言ってしまうと、各業界が「ネタがないから次はこの辺の感じで」なんていう作為的なものを感じてしまったりします。 今年はこれが流行りますよ! 何ていう言葉を、流行る前から平気で言っちゃったり(^_^;) 流行は来るものであって欲しいし、 のせられて飛びつくものでもないと思うんですよ。 乗

自分を制御する術を持つということ

NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 再放送をたまたま見た。 3年前に放送されたヤンキース田中将大投手を取り上げた回である。 プロフェッショナルな野球好きである私はすぐさまその内容に引き込まれた。 高い目標とそこに向かって努力し続ける日々の積み重ね。 彼にとってはキャッチボールですらも自分自身の感覚を調整するための方法。 肩慣らし程度に考える選手も少なくないなか、田中投手はキャッチボール相手の構えたグラブにピタリと収まることに徹底してこだわる。足の踏みだし、腕の振り、

人間は翼を持っていないから飛び方を考える

「人間は翼を持っていないから飛び方を考える」 確か、漫画(アニメ)ハイキュー!!の烏野高校鵜飼元監督のセリフ。。。 うまくいかないことがあれば、 どうしたらいいのか考える。 当たり前のことではあるが、それがなかなか出来ないものである。 うまくいかないのであれば、 うまくいくように、 何か方法がないのか 考え、 試し、 探ってみる。。 これの繰り返しをするしか無いのだと思う。 翼がなくても飛べるように。。。 そしてこんな言葉もあった。 「より高く飛ぶには、より強固

変わりゆく繋がるツール

instagramやtwitterなど、共通の趣味や興味を持つ者同士が、気軽に簡単に便利に繋がる事ができるツール。 広い意味でSNSと呼ばれているサービスだ。 そして、その有用性の高さは認めざるを得ないところである。 しかし、万人に有益であるかどうかは別問題だ。 (個人レベルで考えてみると、有用であっても有益であるとは限らない) 正直、今のtwitterには、始めた頃のような魅力は感じないし、時と場合によっては不快なツールとなっている。 instagramも、好きなア

ちょっといろいろ考えさせられます

twitterで流れてきた海外の方のつぶやきにハッとした。 「生」の字の読み方の多さを瞬時に読み分けられる日本人は皆忍者か?というものだった。 確かにちょっと考えただけでも両手で足りないぐらいの読み方はあっという間に思いつく。 さらに、そのツイートにぶら下がるリプの中に ”「生」の字には150通りの読み方がある。しかし「死」には「し」という読み方しか無い” 日本人の死生観の現れなのだろうか? 人生いろいろ、生き様いろいろ。 しかし、死は万人に分け隔てなく同じ様に訪

才能、いや能力といったほうが良いな。 それは、積み上げ身に付けるものではなく、発揮されるもの。 発揮されてこその実力。 能力=実力ではない。

特別なのかもしれないが、特別視しないほうが良いと思うのだよ。 「すべての人が好き」前提のように語られるが、私は嫌いだ。 他のジャンルに関わる、同じような思いをしている者たちがたくさんいるにもかかわらず、取り上げられるのはそのジャンルだけ。 いつも思うのだが、どうにもおかしい。。