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変わりゆく繋がるツール

instagramやtwitterなど、共通の趣味や興味を持つ者同士が、気軽に簡単に便利に繋がる事ができるツール。

広い意味でSNSと呼ばれているサービスだ。
そして、その有用性の高さは認めざるを得ないところである。

しかし、万人に有益であるかどうかは別問題だ。
(個人レベルで考えてみると、有用であっても有益であるとは限らない)

正直、今のtwitterには、始めた頃のような魅力は感じないし、時と場合によっては不快なツールとなっている。

instagramも、好きなアーティストや表現者、興味を持った対象者(投稿者)が日常のどんな場面でどんな視点を持っているのかを覗き見るところに面白さを感じていたのだが、「映え」や「告知」が多くなりすぎ、こちらも段々と面白さを失い始めている。

ツールの持つ「収益化」の可能性や、虚栄心を満たすことが可能な「大衆性」の高さが認められると、そこに群がる企業や、ネット社会の暗黙のルールに疎い大衆が雪崩れ込んでくる。

広告宣伝の場や、完全にオープンな場でまるでクローズな掲示板でのやり取りかのような不毛な議論の場と化してしまったそれらの電脳空間は、ツールが出来上がった時とは全く違うものになってしまっている。

個人に起こった、個人が感じた「いま」を伝へ、それに対する個人の「想い」を表現する場であり、「共感」を共有するだけの場であったはずなのだが、
「ご都合」と「打算」と「利益」と「反目」と「敵対」が渦巻く、なんとも世知辛い場所になったと感じてしまう。

自分の感覚を表現する場が、自分の考えを他者に押し付ける場になったと言い変えてもいいかな。←あくまで自分が受けている印象なんだが。。。

他人の期待どおりに振る舞うことを期待され、その期待に応えて行かなければならない表現ツールって、どうなんだろう?

それってもはや繋がるツールではないと思うのだが。。。

勿論、仲良しこよしが良いってわけではないし、
議論がウザいわけでもない。

ただ、あまりにも上辺だけの繋がりばかりになってしまった気がしているということだ。

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