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ずっと探していた

私的にこの著者との出会いはかなりの感動もんだったんだけど、本好きからしたら教科書に出てくる与○野晶子か正岡○規並に「人生で一回は読むだろ」くらいのエンカウント率だったらどうしようと地味にブルブルしている。
それでも書かずにはいられなかったので自分語り99%の濃度でここにまとめる。


はじめに

私はどちらかというと国語が得意で好きだったけど、自発的に本を読むことに関しては積極的ではなかった。好きな本も作家もいない。
半ば強制的に、決まった枚数きっちり書かねばならなかった読書感想文も苦手で、作文のマスをどうにかして埋めようと漢字二文字でおさまるような単語もわざとひらがなで書いたり、句読点を無駄に打ちまくったり、長々とまわりくどい言い回しにすることにやたら知恵を振り絞ったことだけ覚えている。
本好きの同級生がハリー・○ッターに夢中になっている時でさえ「映画あるのにわざわざ本を読むの?」と理解に苦しみつつ、同時に、自分に苦手な行為を難なくこなしてしまう友人が羨ましくも思えた。

奇跡に近い偶然の出会い、その1

そんな私が小説をまともに読むようになったのは、とある二次創作がきっかけだった。(これについては別記事に書いているので割愛。)

ジャンルもとっくに離れて熱量も既に消えてしまっているけれど、今でも内容について熱く語れるほど、私の中で忘れられない素晴らしい作品となっている。
当時の私はまともに読んだ小説が他になかったため「これほどの作品を書いている管理人さんは読んできた本の量も半端ないはずだから、書店に並ぶ文学作品はこれと同等かそれ以上に素晴らしいのだろうな」と雑に考えていて、いつの間にかサイトが閉鎖して作品が拝めなくなった後は、書店を探せば同じくらい素敵な作品と出会えるだろうと軽く構えていた。

読みたい本が見つからない

好みが合わない、といってしまえばそれまでだけど、私の予想に反して購入してまで読みたいと思える本はそれ以降見つからなかった。

立ち読みできる書店で何度か目に付く本を手にとって読んでも、1ページどころかたった数行さえ読むのに集中できずに挫折してしまう。言語として読めるはする、ただし私の中でコレジャナイ判定が起こって内容がまったく頭に入らない。考察とか好きだから推理モノならどうか、和風テイストならどうかと手当たりしだい手にとっても、どの本も内容に没入できなかった。

私に教養がなさすぎて、本好きがおすすめするハイレベルの作品をうまく咀嚼できていない可能性も否定できなかったけど、それよりも私が求めている読みたい本の正解が、最初に出会った前述の二次創作であり、その著者が生み出す作風だから読めないんだと思った。
読み始めた時から次へ次へと流れるように読み進めることができたあの作品と同じものを求めているのが、たった数行なめただけで「コレジャナイ」と思う原因なのだろうと。

そうはいっても求める作品は閉鎖されたサイトにあった二次創作でオフ本にもなっていない。もうこの世のどこにも存在してない。作者様さえ、今どこでどうされているかもわからないのだから、いつまでもこだわってはいられない。
それで私は探し方を変えてみることにした。

  1. 本好きの友人たちに好みの傾向を伝え、おすすめの本を紹介してもらう

  2. ネットで検索して自分の好みに合いそうな作品を探す

  3. 二次創作に限定してみる

  4. 二桁まで出せるオンライン上のサイコロ振って出た目を控え、文庫ランキングでそれと同じ番号の順位にある作品を問答無用で読む

結果、この中で意外と手応えがあったのは最後のサイコロだった。
ただ、あくまで途中で挫折することなく最後まで読めたという及第点を達成しただけで、好きな作家や作品に出会うという私の目的は残念ながら達成できず。

ここまでくるともう「偏屈な私が好みの本と出会うのはほぼ無理ってことだなぁ」と半ば諦めるしかない、そう考えていた時。ふと、これだけ現在進行形で出版されたり公開されたりしている作品を読んでもダメならば、もう御存命ではない方の作品だったらどうだろうか?と漠然と思った。
これが、事の始まり。

奇跡に近い偶然の出会い、その2

すぐにダミー文言でおなじみ(?)の青空文庫さんのサイトへ。
しかし「吾輩は猫である」という一文くらいしか知らん程度の人間が行ったところで、一体どういうジャンルの何を読んだらいいのか、まともに目星もつけられない。
いっそ知らない作家の作品の方が先入観なしに読めるのでは?となんとなく思いながら適当にサイトを眺めていたところ、新着の枠に『船旅』という作品が最近公開されたとあったのが目につき、著者名も海外の方で私は存じ上げなかったので、一つ目はこれでいっかとそれを読むことにした。

これが大当たりだった。

1ページ目を開いたとき、まず驚かされたのはやたらと改行も入っておらず、ぎゅうぎゅうに文字が詰まって私好みにみっちりしていたこと。
そして、ひとつひとつの文がリズムも流れも綺麗でとても読みやすく、私が苦手とする細切れ文じゃなかったことだった。

今まで挫折した作品とは大きく違い、読んだ瞬間に「私が探し求めていたものはまさにこれだ!」と感じた。
読み終えた後、あまりの嬉しさに他の作家の作品もいくつか拝読させてもらったけれど、やはりこの著者の作品が一番私好みであるというところに落ち着いた。それは作風もさることながら、この方が書く内容が今の私にばっちり合っていたから。
最初の『船旅』というシンプルなタイトルが目についた理由は、私が去年の夏頃に移植された、とあるゲームに再燃していたからだった。
(時代設定的にそのゲームには船も馬車も出てくるから)

ほぼハジメマシテ状態のサイトにこれといった目星もつけずに行き、新着に載っていた『船旅』という、その時の私じゃなかったら無視してたかもしれないシンプルなタイトルを見つけ、読んでみたら大当たりだった。
読みたいものに出会えるまで探し回るつもりでいたのに、まさか一発で理想の作品に出会えるとは。

『情景が頭に浮かびやすい作品』がないかと本好きの友人に相談した時も、『台詞よりも動作や比喩の表現が素晴らしい作品』はないかとネットでそれらしい本を探してみた時も、ずっとずっと探し求めていたのに、今までこの著者をおすすめされたことは一度もなかった。

もし、最初に読んだのがこの方の作品でなかったら、きっと私はやっぱりもう好みの作品には出会えないんだなと、また肩を落として本を読むことから遠ざかっていたと思う。

偶然か必然か、だけじゃないと思う

たくさんの本を読む人は当然、読んだ本の母数が誰よりも多い。それだけ場数を踏んでいるわけだから彼らは偶然というけど実は必然的に良い本を見つけているんだと、どこかの誰かが呟いてるのを見かけたことがある。
それを見た時、私はあらゆる本に対応できる教養も、たくさんの本を読む力も探す行動力も持ち合わせてはいないけど、その時点で二次創作で見た神の作品と出会っていたので、私のは『偶然』ではなく『運命』だなと呟いた。

そうしたらまた出会えた。
奇跡のような偶然で、理想とするこの著者の作品に。やっと、「私が好きなのはこういう作風の本です」と他の人にも共有することができるこの世に存在する作品に。本当に良い出会いをしたと思う。

素敵な作品と出会うのは、たくさん本読んでる人だからこそできる偶然に見せかけた必然だけじゃなく、私には運命のほうがしっくりきたよという話。