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雨の日の羨望_桐原しぐれ_6

 チラッと彼の方に目をやると、微笑んでいるようにも見える、穏やかな表情で噴水を見ていた。私もなんだか安心したような気持ちになって、力を抜いて背もたれに寄り掛かった。
「来てよかった」
 唐突に彼がそう言った。
「え?」
「今日もいないかなって、ちょっと期待してたんだ」
 彼はこっちを向いて笑った。なんだか少年のような人だな、と思った。たぶん私よりも少し年上だと思うけれど。
「バイオリンも聴けたし」
「…誰も聴いてないと思ったのに」
「声かけたら、弾くのやめちゃうと思って」
 そう言われて、私はふっと笑って彼を見た。

「何してるの?いつもここで」
「別に。座ってぼーっとしてるだけ」
「じゃあ、僕が来たときは、バイオリンを聴かせてよ。少しで良いから」
「えー」
「少しは弾いてあげないと、楽器がかわいそうだよ。せっかく立派なの持ってるのに」
「楽器のこともわかるの?」
「まあ、少し。僕の妹が初めて手にした楽器は、僕があげたんだ」
 彼はそう言うと得意げな顔をした。私は少し驚いた顔をした。
「へえ、そうなの」
「彩子はね、ヴィオラが上手だったんだよ」
「ヴィオラ」
「そう。ヴィオラもいいよね。あれって、人間の声の高さに一番近いらしいよ。だから心地いいんだって」
「バイオリンは甲高くてうるさいかな」
「そういう意味じゃないよ、僕はバイオリンもヴィオラも好きだよ」
 私が少し自嘲気味に笑うと、彼は焦ってそう言った。私はそれがおかしくて笑った。やっぱり少年みたいな人だ。
 彼といると心地よかった。心が柔らかくなった。

 それから、同じ場所で、彼とはよく会うようになった。私が行くより先に彼がいることもあった。私は彼のためにバイオリンを弾いた。彼はそれを聴いていた。それが終わると、自販機でコーヒーを買って飲みながら、噴水の前で他愛ない話をした。ただそれだけ。私は満たされていた。

#小説 #雨の日の羨望 #バイオリン #公園

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