雨の日の羨望_桐原しぐれ_3

 いつだって私をどん底に突き落とすのは、私ではない誰かだ。それなのに、そのどん底から這い上がらなければならないのは私だ。
 母もそう。私を残してこんなに早くいなくなるとは。

 母が死んでから初めてやった、私の最後の公演は、日本のオーケストラとのバイオリン協奏曲だった。とんでもない酷評を浴びた。音楽誌やネットの記事で散々に書かれた。当然だ。集中できず何度もミスを犯し、心ここにあらずの演奏だったからだ。
 記事を読みながら私は、「やっぱり聴いてる人にもわかるもんなんだなあ」とぼんやり思いつつも、心の底では深く傷ついていた。全否定されたような、受けたことのない内容の評価。私には免疫がなかったのだ。
 なんにも知らないくせに。あなた達はこの状況でも立派な演奏ができるというのか。一度代わってみろ。

 それきり、一度も表舞台には立っていない。一切の活動を停止した。母の死と同時に、私も死んだ。母が聴いていない演奏なんて、やる意味がないと思った。私は逃げたのだ。

 遠くへ行きたかった。母が買ってくれたバイオリンを持って、一人で電車に乗った。携帯電話は家に置いてきた。どこにもあてはなかったので、適当な漫画喫茶やカプセルホテルを転々としていた。叔母は私を探しにはこなかった。その理由は知らない。別に興味はなかった。

 ふと、緑のたくさんあるところに行きたいなと思って、広い公園にたどり着いた。入口からしばらく歩いて、大きな噴水のある広場の、点々と設置されているベンチの一つに腰かけた。バイオリンを隣に置いて、目を閉じて水の音を聴いた。ベンチの後ろには緑の木々が茂っている。
 遠くで子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。まだ、絶望を知らない、純粋で無邪気な声。心底うらやましいと思った。

#小説 #雨の日の羨望 #バイオリン #公園

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?