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「一律」の空気 ~ 残業と有休

ここからは「働き方改革」っぽい話になっていきます。
前々から抱いていた違和感を吐き出しました。-

毎週水曜日は早帰りデー、という風潮がある。

「水曜」なんだから早く帰ろう、と。

一方で、まさにその水曜日、仕事が山場を迎えている人もいる。

なぜ水曜日なの?水ダウがあるから?

仕事の繁閑は人それぞれなのにどうして水曜日にみんな仲良く早帰りする必要があるの?

有休消化率を上げよう、という動きがある。

確実に消化率を上げるために年間の有休計画を立てましょう。

毎月必ず1日は休みましょう。

取ると決めた日は必ず取りましょう。

取らないのなら理由を言いましょう、と。

でも年間の予定なんかわかるかよ。

今月は案件が佳境なので休みません。
でも来月は抱えている案件がひと区切りついたから会社休んで保育参観に行きます、旅行にも行きます。だから2日休みます、でいいんじゃない?

かつてボスから「明日はA先輩が休みだからお前の休み繰り延べてくれるか」と言われたことがあった。

まあ特段予定もなかったので了承したのだが、繰り延べた日に急を要する業務が入ってしまい、休みが取れなくなったことがあった。

結局後日ボスから「何でお前休み取ってないんだ」と言われ追い立てられるように休んだことがある。

こういう「チームで被らないように休みを取れ」みたいな風潮もいかがなものかと思う。

経験上、少なくとも1日くらいなら大概はチームに1人か2人いれば仕事は回る。営業なんか日中外回りで殆どいないが職場は何の問題もなく回る。

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最近の働き方改革の議論では、殊更に有休消化率ばかりが独り歩きしている節があるが、
重要なことは取得しやすさ柔軟さだと思っている。
「明日休みたいから休みます」「今日は仕事が一服したので定時で帰ります」と言える職場環境だ。

そもそも、残業は読んで字のごとく「『業』務が『残』っている」から残業なのだ。

勤務時間を過ぎているのに仕事をする、という「異例」業務なのだ。

それを理解せずに残業を残業とも思わず仕事している人の多いこと。

その残業、常態化してない?

そういう空気が「付き合い残業」の温床となる。

これこそが「『一律』の空気」だ。

人が帰ろうとしているのに当たり前のように話しかけてくる人たち何なの?
「談笑しているなら帰れ」と言いたい。
極端に言うなら「異例業務を緊張感持って行え」と。

さて、ここまで言うと残業が絶対悪のような言い方だが、そういう思想ではない。
むしろやるべき時はガッツリ長時間でも残業すべきなのでは、と思う。

要は単なる時短よりもフレックスな働き方が大事だという話。
「休む」「早く帰る」自由があるなら、「休まない」「残業する」という自由も、ある程度は許容されて然るべきだ。

例えば次の2つの働き方から残業時間を比較したい。
① 火、木定時退社、月水金23:30まで残業 ⇒ 残業6.5時間×3日×4週=78時間
② 毎日21時まで残業 ⇒ 残業4時間×5日×4週=80時間
残業時間はほぼ変わらないが前者の場合、週2は十分家庭の時間が持てる。

さすがにこの例だと過労死ラインスレスレなので極端な気がするが、毎日午前様ならともかく、月に数回深夜まで残業したって、休日出勤したって、たぶん死なないでしょ?

もちろん日々同じような生活リズムを求める人もいるだろうから、それなら日々残業時間をセーブしていけばよいし、そういう「選択の自由」もあって然るべきだ。

日本の働き方は「『一律に』早帰りの空気」「『一律に』付き合い残業の空気」があって、極端に一律を求めすぎていて選択の余地が少ないような気がする。この「『一律』の空気」を打破しない限り、真の「働き方改革」実現には程遠いのではないか。

そんなこと言ったって仕事は減らないのでメリハリと言われても難しい!

うん、確かにその通りだ。

この問いへの明快な答えは持ち合わせていないが、一つあるとすれば「諦める」ことだと思う。

「この仕事にも手を付けたいが、今日中に終わりそうもないから帰る」「気が乗らないから帰る」「疲れたから帰る」大いに結構ではないか(※納期に余裕がある場合に限る)

中途半端に、ダラダラ残業したところでパフォーマンスは知れている。それならさっさと帰ってさっさと寝たほうがいい。どうしても気になるなら翌朝その分早く出てきてもいい。そういう割り切りができる人ほど仕事のやる気がなさそうに見えてシレっと成果をあげてたりする。

僕はというと、これまで「働きたくない」と言いながらも、いざ目先の仕事を前にすると目一杯残業しよう、働こうという性質だった。いや、今もそうかもしれない。

だけど家庭を持って思うのは、今は今しかないということ。

例えば「2歳」としての娘は今だけだし、後でどれだけ時間ができてもその「今」は絶対に戻ってこない。

そう考えるようになってからは、今いかに工夫して家庭の時間を取るか、WLBを取るか、というマインドに変わりつつある。

理想的には自身が積極的にメリハリのある働き方を体現することで「『一律』の空気」を打破したい。でも結局は日々の仕事を何としても終わらせるという強い覚悟とそれだけの技量も必要。権利ばかり主張する人間にもなりたくないし、やっぱり頑張らないといけないんだなあ。

―働き方シリーズ、次回は「育休」の話でもしようかなと思います。

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