見出し画像

どこにも行けない

 自分は今、ここに居る。

 物理的には月3万7千円でウナギの寝床のような1Kにもう長いこと住み続けている。天井が高いのでさほど狭さは感じない。けれど私の手取りではこれ以上高い家賃は厳しい。ユニットバス以外に大きな不満は無いし、節約にもなるので、まあいいかなあとも思う。


 もう一人暮らしを始めて8年目になる。当初はすぐもっといい物件に、となど言っていた。けれど結局、この部屋に住み続けているのだ。どうしてだろうと思う。不便なら変えるのが合理的である。ユニットバスは不便だ。それでも引っ越さないのは、偏に面倒だから、に尽きる。


 長い間、ずっと同じ所をぐるぐると、ぐるぐるぐるぐる回り続けている。答えが出ない、答えが出てもそれは自分が欲しい答えではないと払いのけ、ぐるぐると同じ事柄について考え続け、答えを出そうと、あえてしない。

 愚の骨頂である。


 答えを出すことを、恐れているのだ。答えを出し受け入れるということは案外、精神的に疲れることで、できれば見て見ぬフリをして通り過ぎてしまいたくなる。けれどこの歳になってくると、もうそうして逃げ続けることが悪手だと痛いほど理解していて、そんな自分が嫌になってくる。言いたくはないけれど、若い頃はよかった。

まさに、あの頃はよかった症候群である。


 答えを出すと、ここにはいられなくなる。今のこの心地よい場所から立ち上がり、険しい道へと向かわねばならない。そんなことせず平凡ににこにこと笑って社会を受け入れ社会の一員となって事なかれ主義に徹すれば、ここに居続けることができるのに。


 けれど自分はそれを、本心では望まない。

 今はぬるま湯に浸かりそんな風に生きているけれど、それに合わせ耐え続けられる性格ではないと、自分が一番理解してしまっているのだ。行かねばなるまい、自分が目指す場所へと。進まねばならない。


 そう、わかっている。ここにはいられない。居続ければ心がいつか死ぬ。それでも、それでも動けないのは、もう怠惰以外の何物でも無いと認める。

 行かないといけないのに、どこにも行けない。動けずにいる。このまま時間だけが流れ続けることが怖い。


 誰か背中を押してくれ、いいや蹴り飛ばしてくれ。怠けている自分を叱り窘め、一発殴ってくれ。

 大人になると、そんな事を頼める人も居なくなってしまう。


 どこにも行けないと俯き呪詛を唱えるようなここから、居なくなれる日を切に願う。願いながら、自分の不甲斐なさを自覚し、抜け出す方法を探し続けることだけはサボらずにいたい。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?