見出し画像

批判される覚悟、断罪される覚悟。


 随分と、まあるくなったと自分を改めて思う。
つまらない人間になった、批判されるのが怖くて事なかれ主義に走った。

 そうすれば叩かれることも揚げ足を取られることもないから。心が平穏でいられるから。
 それでいいじゃないか。争いもなくみな仲良くにこにこ笑って幸せに生きる世界が理想なのだから。

 そう、事なかれ主義になれば平和な人生を送れるのだ。


 昔の自分は、尖っていて攻撃てきで、けれど芯のある人間であった。いつしか世間の色に染まって控えるようになり、イエスマンになった。だってそれが一番楽に生きる方法だから。

 けれど、楽して生きることは正しいのか?
みんなと同じように頷いて思ってもいないお世辞やおべっかを並べ、いくら人間関係を円滑にしたところで、正しいと言えるのだろうか。

 ずっと違和感があった。
他人と違うことをすると怒られる。怒られるのは嫌だ。
けれど起こる人は、なぜ怒るのかを説明はしてくれない。
改善策は自分で探さねばならない。

 いくら普通のフリをしても、心のどこかに違和感があり、こんなのは自分ではないと大声で叫びたがる自我を必死で抑え続けるしかなかった。


 平和こそすべて。
協調性、相互援助、褒め合い、上っ面だけの友人、言葉に感情を込めない好きですというおべっか、群がるコバンザメの様。


吐き気がする。


 ずっと、ずっと言いたいことは言ってはいけないとある時を境に、我慢してきた。
退屈で窮屈な日々。
生きていることがつまらなかった。

 何をしても事なかれ主義で平和に世界は回る。
そんなの、恵まれた人達だけの幸せ。

 恵まれなかった人間は、口を噤み下を向き唇を噛み締め言いたいことを大声で叫べない。
弱者は勝者のために奉仕をせねばなるまい。

 弱者から強者へ上り詰めたとき、見える景色はどんなものなのか。
果たして美しいのか。


 言葉に棘を、思想に茨を、己に鎖を。


 つまらない、どこにでもいる人間になるくらいならば、嫌われても構わない。恨まれても構わない。

 自分に足りなかったのは、傷つく覚悟。


 だから傷だらけになっても進まねばならない。
命尽きるその時まで自分の意志のまま、生きねばならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?