日常:教養教育の本領

昨日,ひょんなことから論文の書き方の話をしてしまって,そこに出てきた戸田山先生というすごい先生の本で,一冊思い出した.

友人に紹介したら,ドはまりしていた本.
紹介された側のほうがハマるって、漫画のおすすめとかでもよくありますよね..

なぜ学ぶのか,なぜ大学で学ぶのか,なぜ大学で教養を学ぶのか.

専門知識とともに教養教育を学ぶ意義がこれでもかと濃密に語られている.
めちゃくちゃ振りかぶったタイトルだけど,全然負けてない.むしろタイトルが小さすぎるんじゃないか.

著者の戸田山先生は言わずとしれた科学哲学の大御所だが,所属されている大学で教養教育を担当されていて,その時の思いが込められた一冊.

私も昨年まで所属していた大学では「共通教育センター」というところにいて,要するに学部ではない教養教育の部署に居た.

教養教育というのは,語学や哲学,情報教育というように,専門科目ではない幅広い知識,教養を身に着け,学徒としての深みを醸す学びである.
と書けば聞こえは良いが,いわゆる必修系の授業で,専門科目ではないためにとかく軽視されがちである.

学生が軽視するぶんには致し方ないのだが,大学の教員の中でも専門の教員のほうがなんか「偉い」ような雰囲気がある.ソンナコトナイヨと言っていても,そんなことある! もちろん,そういう先生はごく一部だが.

教養科目で学生が単位を落とそうものなら,「先生,ちょっと困りますよ」「国家試験がありますので優しめにお願いしますよ」「この学生は卒業がかかっています」なんて言われることがある.いや出席5回で単位は出まへんで,とは思うけれども致し方ない.

さすがにこっちがゴネたりしたら大変なことになるので(何故自分が?と思いつつ)成績修正の(始末書的な)書類を書く.
私自身は,組織に所属している以上は全体の流れに従って粛々と業務をやるタイプですけども,ごく一部のそういう先生のおかげで,教養教育が萎縮して専門教育に忖度する風潮ができているとしたら,とても嘆かわしいことに思える.

そういう,目に見えない,大学の中に居ないとわからないような,言い方が悪いが鬱屈した教養教育の思いのようなものを,一挙に吹き飛ばしてくれるのがこの本だ.読んだときには胃の中に爽やかな黄緑色の風がすっと吹いた思いがした.

だから誰に読んでほしいかというと,専門性を伸ばしていこうとする高校生や大学生はもちろんなんだけど,大学の教員も読むべきだと思った.

この本はいい本だ.でも残念ながらこの本が響くのは,教養の重要性を分かっている大人(社会人),あるいは教養教育をしている教員なのだろう.意外と中学校,高校の教員には刺さるかもしれない.
誤解を恐れず言えば,この本が響くのは,「ある程度教養がある人」だということだ...!

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