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招かれざる侵入者(ホラー)

妻の悲鳴と嗚咽が聞こえる。

長男の恐怖に満ちた表情と大粒の涙。

1歳を迎えた双子が寝ていたのが不幸中の幸いだった。



蒸し暑い夏の夜。

夜21時を過ぎた頃だった。

玄関を開けた瞬間、猛烈な違和感に襲われた。


非日常の空間に引き摺り込まれたのを本能的に感じた。

できることなら1分前に戻りたいと心の底から思った。



我が家に招かれざる「あれ」の侵入を許してしまったのだ。


1ヶ月ほど前から「あれ」の存在には気づいていた。

でも心のどこかで自分は大丈夫だろうと思っていたのかもしれない。

断っておくが、ゴキブリが出たと言うような類の話では無い。



「あれ」はじっとチャンスを伺っていたのだ。


生きてる人間にとって「あれ」の考えは分からない…
いや到底理解が及ばないと言うべきか。

何から何まで人間とは全く違うのだから。

とにかく「あれ」とは絶対に関わってはいけない。


しかし…とうとう我が家に…


一瞬にして妻と長男をパニックに陥れた。

私も一気に心拍数が上がるのが分かった。
しかし私までパニックに陥ってしまったら我が家は終わってしまう。

「あれ」に支配されてしまうのだけは何としても防がなければ。

念仏を唱えたところで通用する相手では無いことは分かっている。


とにかく「あれ」を封印するための道具を必死に探した。


部屋中をひっくり返して、両手に収まるサイズのダンボールを見つけた。

自分でも情けないほど腰が引けているのが分かっていたが、とにかく「あれ」をダンボールで一旦は封印できた。


妻と息子に安堵の色が伺える。


さて問題はここからだ。

二度と我が家に侵入しない場所で解き放たねければいけない。


封印が解けぬよう段ボールの下に適度な厚みのある紙を差し込んだが、なんとも不気味な足が段ボールからはみ出している。

あまりの不気味さに目を逸らしたくなるが、とにかく家から出さなければ。


家族の平和を取り戻したいという一心で、マンションのエントランスまで降りてきた。

少し緊張感が途切れたのか、私は力なくへなへなと植え込みに腰掛けた。


そして段ボールをひっくり返して封印を解こうとしたその時。


なんと言うことだ…

被せた段ボールに「あれ」がしっかりと捕まっているではないか…


想定外だった状況に、私は再びそっと段ボールを被せた。

振り出しに戻ってしまった。

家に戻って酎ハイでも飲もうと思っていたのに。


途方に暮れる中、踊る大捜査線の青島刑事がふと頭に浮かんだ。

「室井さん!封印が解けません!」と叫びたい気分だった。


もう私が手に負える状況では無い。

私も「あれ」も、出会う前には戻れないのだ。

出会うべきではなかったのだ、お互いに。



段ボールの封印は翌朝また対処するとして、とりあえず今夜は自宅に戻ろう。





平和を取り戻した家族が、帰ってきた私を迎えてくれた。

封印を解くのに失敗したが明日また戦う決意を妻に伝え、まずは最悪の危機を脱した喜びを家族で分かち合った。


パニックの後は思うように熟睡できないものだ。

疲れが抜けない重たい体を起こし、カフェオレを飲みながらタバコを吸い、再び「あれ」と対峙する状況のイメージを膨らませていた。

できれば逃げ出したい気分だったが、「あれ」を封印をしたまま放置したマンションの植え込みに足を向けた。


昨夜と同じ光景だった。

ただ昨夜とは違い、朝日が降り注いでいる。

明るさは人間の不安を軽くしてくれる効果があるようだ。


いよいよ意を決して段ボールをひっくり返した。



しかしそこに封印したはずの「あれ」がいない。

忽然と姿を消していたのだ。


もしかして誰かが封印を解いてしまったのかもしれない…


しかしマンションで被害者が出たと言う話は聞いていないので、幸い何事もなかったのだろう。

…いや、そう思いたい自分がいた。と言うのが正しい表現だ。


いずれにせよ、目立った被害者を出す事なく「あれ」をやり過ごす事ができた。



この夏の夜の悲劇は私だけでなく、妻にも、そして長男にも忌まわしい出来事として記憶に残ってしまうだろう。

まだ5歳の長男にとって、トラウマとならないことを願うばかりだ。





…ったく、ほんとセミ嫌い。

なのなのアイツ。

死んでるかと思ったのに、いきなり家に飛び込んでくるんだもん。

バタバタジージーうるさいし、予想不能な動きで飛ぶし。

体パリパリしてて気持ち悪いし。

もう最悪。


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