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赤塚不二夫さんの言葉

赤塚さんの漫画が大人気だった時代
もの凄いスケジュールで創作作業を行っていた時きます。

連載を何本も抱え、寝る暇を惜しんで
漫画を描き続けていた

そんな時の噺です

赤塚先生が人気絶頂の頃、時は1973年。

「少年マガジン」に連載中だった『天才 バカボン』の
出来上がったばかりの原稿を、編集担当者の
五十嵐さんがタクシーの中に置き忘れてしまう。

売れっ子の先生だからもう〆切はギリギリのギリギ リ。

編集者も徹夜徹夜で付き合ってるから
そんな一大事も起こってしまうのだろう。

どのタクシー会社だったかも判らず、
顔面蒼白になって謝りに戻って来た五 十嵐さんに、
赤塚先生はこう言った。

「まだ時間はある。飲みに行こう!」

そして酒場に行ってもギャグを言い続け、
意気消沈している五十嵐氏を励まし続け たという。 

やがて朝になり飲み屋から戻ると

「大丈夫。ネーム(吹き出しの中に書いた台詞やト書き)が残ってるからもう一度描ける」 と、先生はもう一度ペン入れを初め、
再び同じだけの時間かけて仕上げる。

そして五十嵐さんに手渡すのだが、
その時の台詞が素晴らしい。

「二度目だから、 もっと上手く描けたよ」。


TV等で良く見た、あの笑顔が眼に浮かぶようだ。


これだけ書くと、底抜けに優しい人というイメージかもしれない。

けれど僕はそれ だけじゃないと思う。

赤塚不二夫は、モノを作る苦しさも楽しさも

すべて知り尽くしていた。

また、それが決して自分だけの力で成り立って
いないことも知って いたのだ。

読んでいただきありがとうございます

これからも楽くに力を抜いて
綴っていこうと思っています。


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これからも楽しいnoteライフを!

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