雷の恐怖を克服する ~余談㉕~ どう成れば良いのか
noteの投稿頻度は落ちましたが、毎日の雷動画の視聴は欠かさず行っています。『半年も続けば習慣になる』とよく言われますが、そろそろ独自の暴露療法を始めてから半年になります。この月日は、VR動画を見始めた6月には考えられなかった事ばかりです。
そう、始めた6月頃には、本格的に雷の季節に入る前に恐怖症を克服しようと思っていたんですよね。夏に向けてダイエットするとか身体を鍛えるとかに似てますが、もっと陰鬱なものであったと思います。ほんとは、決意とか決心じゃ無かったのかもしれません。もう逃げるのが嫌だったんです。
さて、夏を越えてそろそろ冬になりそうです。
今までは『どう成ったら克服したと言えるのか』という問答を自分の中で繰り返してきました。でも最近はちょっと違った考えをするようになりました。
もしかして『成る』のでは無いのではないだろうか。
ちょっと自動車の運転免許証を例にしてみます。
教習場に通って実技に合格し、免許センターで試験に合格すれば運転免許証というライセンスを得ることができます。免許証を持っていれば、交通ルールに則って自由に車を運転する事ができます。これが『成る』だとします。
しかし、運転免許証を持っていたとしても何年も運転していなかったらどうでしょう。
教習場以来、何年も車のハンドルすら握っていないのに、突然誰かを乗せて運転しなければならなくなりました。しかも教習場のセダンとは違って大きなワゴンです。そして、行く先はまったく知らない土地だったりしたらどうでしょう。私なら、怖くて誰かに代わってもらいたいです。
それは『成っている』とは言えるでしょうか?
相当度胸のある人でもない限り、成り続けているためには、適度に運転をして慣れてなければ怖いはずです。しかも、行ったことも無い土地へ遠征するのならば、頼れるのは自分のハンドルさばきしかないでしょう。
さて、話を運転免許証から雷恐怖症に戻しましょう。
VRの視聴や雷動画の聞き流しに私は慣れてしまいました。たまに、何のために視聴しているんだろう、とも思ったりします。
当初わたしは、雷を怖く無くなる事が最終的な『成る』のだと思っていました。しかし、雷恐怖症を克服した、というライセンスは無いのかもしれない。
ライセンスが無いのだとしたら、『成る』ための基準もありません。
私はその有りもしない『成る』を自分の中で問答していたのかもしれない。そんな風に思ったのです。
つまり、毎日わたしは『成る』ためにではなく、実際に雷がきた時のために『慣れておく』ように視聴しているのではないかと考えたのです。それはペーパードライバーにならないように、毎日ハンドルを握るのに似ています。
いや、もちろん、何かのきっかけで『成る』ことが出来るかもしれません。しかし、雷恐怖症に免許センターはありませんから、試す方法が無い。つまりは自己判断に頼るしかないのです。もしくは、何かの契機で『克服した』と宣言するしか無いのです。
半年弱も続けてきたからそれを否定したくない、コンコルド効果だと言われるかもしれませんが、私は来るべき本物の雷と対峙するために、今日も雷動画を視聴します。
最後まで読んでくださいましてありがとうございます。
また別のnoteでお会いしましょう。
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