あのとき始まったこと
"もし木曜夜お時間あったら都内のどこかでお会いできませんか?"
Facebookの共通の友達、10人。
私と同じく、学生時代にアカペラサークルに所属。
隣の県の大学に通っていたその人との接点はこの2つしかなかった。
直接顔を合わせたことがない、ごく稀にリプライといいねを送りあう関係を3年間続けていたフォロワーと初めて会う約束をするなんて、ちょっとした賭けみたいなものだった。
だからその人から前向きな答えが返ってきたことに、自分から誘っておきながらびっくりしたのを覚えている。
それから少し時間を置いて届いたDM。
それを開いた時、私の期待は確信へと変わった。
"有楽町マリオン前で待ち合わせしてみたいのですが!"
まるで私の愛読書のストーリーをなぞるかのように、指定されたその場所は登場人物たちの物語が動き出す、10年ぶりの再会で待ち合わせた場所とまったく同じだった。
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中村航さんの本を初めて読んだのは、高校生の時。
図書委員だった私はカウンター当番で学校の図書室に来ていた。
当番は2〜3ヶ月に一度のペースでやってくる。
担当制で一週間単位、1年1組、1年2組、1年3組…というようにローテーションしていく。
特に読書家でもない私は、図書当番の週にしか図書室に行くことがなかった。
実は図書委員になったのも消去法だ。
クラスで必ず1人一つは係や委員の仕事をしなければならない。その中で一番ゆるく負担の少なそうなものが図書委員だと思ったから、立候補した。
なのでその本を見つけた時、ちょうど私が消去法で図書委員をしていて、ちょうどその週当番に当たっていて、ちょうどその本の貸出が開始されたばかりで…そんな偶然が重なった出会いだった。
今思えばこの重なり合いは偶然なんかじゃなくて出会うために仕組まれていたのかもしれないし、もしかしたら、あのときに蝶が羽ばたいたのかもしれない。
水彩画の淡いグラデーションの夜空に浮かぶ、赤や青、黄の銀河。
タイトルの文字が星座のようにバランスよく並んだその表紙は、1枚の完成された絵として私の目に飛び込んできた。
「僕の好きな人が、よく眠れますように」
それがその本のタイトルだった。
その頃の私は今よりもずっと消極的な女の子だった。
授業や部活以外では男子と話すことがなかったし、クラスの男子がちょっぴり苦手だったりもした。
だけど、というか、だからこそ、恋愛には人一倍興味があった。
恋人ができる気配はまったくなかったけれど、いつか誰かに恋をして、付き合って、一緒にデートに出かけてみたい。一晩中電話を繋いでいたい。そういう甘い関係を築きたい…という妄想じみた憧れを抱いていた。
だから「残像が見えるくらい好き」「一日に25時間はあっていたい」と言い合うこの2人の甘い恋模様にどきどきと憧れが止まらなくて、夢中で本を読み進めていった。
航さんの紡ぐ文章や描く登場人物は、なんだか魔法にかけられたみたいに生き生きとしていて、表紙の星々そのままに私にはきらきらして見えた。
私の知らない新しい世界。
言葉でこれほどの表現ができるのかと、16歳の私には衝撃だった。
それから私は書店で航さんの本を見つけてはレジへ運び、新刊が出るたびにすぐ手に入れた。
100回泣くこと、夏休み、あなたがここにいて欲しい…
大学生になり、甘い恋だけではなくどうにもならない恋の痛みを経験しても、航さんの書く「好き」という感情の純粋さ、青春の瑞々しさ、ありふれた日常を特別に変えるような言葉選びに魅了され続けた。
絶対、最強の恋のうた、あのとき始まったことのすべて、星に願いを、月に祈りを…
大学2年生の時、その人と偶然Twitterで繋がったのも「中村航さんが好き」という共通点からで、今思えばたった2つしかない接点はもしかしたら後付けかもしれなかった。
人生を変えるものとの出会いはいつも突然にやってくる。
私を構成するジグソーパズルのように、私を形作るのに欠かせない大事なものなのだと分かるのはいつだって自分の形に収まってからだ。
出会ったその時はまさかそれがその一部だとは思わない。
だから私たちはその欠片を集めるために、偶然を積み重ねていく。
今の自分に必要なものは、きっと自分で引き寄せているのだ。
私の愛読書を同じように愛読書と掲げる、この人は一体どういう人なんだろう。
いつからかその人自身へ興味が募っていった。
私が2回目の大学4年生をしている時、ほんの気まぐれで「会ってみたい」とDMを送ったのも、もしかしたら知らずのうちに引き寄せた結果だったのかもしれない。
一週間後の木曜日。有楽町マリオン前、18時。
手帳に記した文字は踊っているみたいに見えた。
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約束の当日。
はじめて降り立った地で、私は地図アプリを拡大したり縮小したりを繰り返しながら、途方に暮れていた。
駅を出たらすぐマリオン前に出られるんじゃなかったのかー!
自分のあまりの地図の読めなさとどうにかなるだろう精神でここまで来てしまったことにがっかりする。
時計はもう17時58分を指している。
画面を見ると先に待っているねとの通知。それに元気よく迷子と返して、私は顔を上げ動き出す。
様々なネオンの光。街の雑多な音。行き交うサラリーマンの波を掻き分けていく。
物語の中では、2人は00分にからくり時計の仕掛けを眺める。
お話と同じようにはいかないものだなあ。
それでも私たちの物語はとっくに始まっていた。
たった一人、その人に会うために。
私は夜の有楽町を右も左も関係なしに進み続けた。
この後ようやくたどり着いたマリオン前で私を待っていた人の名前を、数年後"パートナー"として緊急連絡先に登録することになるとは、まだその時は分からなくとも。
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