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母の戦争体験(4) 最後の英語授業

当時は現在のように小学校からそのまま中学校へは行けず、
六年生の一年間は女学校へ合格するための猛勉強をし、合格すれば、女学校へ四年間通って勉強し、そして大学へ上がるか、社会人として勤めることができたのです。

女学校に合格した私は、昭和17年の4月から女学生として学校に通っていました。

今日は英語の授業が初めてある日と、とても楽しみにしていました。

授業のベルが鳴って入ってこられたのは中年の女先生で、先生は元気良く

「皆さん初めまして、私は小沢と申します。
皆さんにお会いできるのを楽しみにしていました。
皆さんも、楽しみだったでしょう。
皆様には誠に申し訳ございませんが、今日が最初の日でもあり、また最後の日になってしまいました。
その訳は、英語は敵の言葉であるから、教えることが禁止になってしまいましたので、今日の授業を最後に学校を辞めなければならないことになりましたが、皆さん方が大人になられる頃には、きっと英語が必要になるときがきっと来ますので、これから黒板にAからZまでを書きますので、ノートにしっかりと書き残してください。」

先生は大きなはっきりした声で、黒板にA、B、と読みカナもふってZまで書き終わられ、
「歌で覚えましょう。その方が早く覚えられますから、私の後について大きな声で歌ってください。よろしいですね。」

私達も大きな声で歌い、何回か歌っているうちに、揃って歌えるようになった頃、授業終了のベルが鳴り、「起立、礼」が終わった瞬間、
誰かが「先生、どうもありがとうございました。」と言ったら、
「先生 お元気でね、先生、さようなら」と、全員の声が感謝の声となり、
皆、教壇に駆け寄って、最後の別れをしました。先生も涙ぐみ、大きく手を振って出ていかれました。

私は今でも先生の顔と声は忘れません。

母の戦争体験(5) 挺身隊員

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