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母の戦争体験(2) 学徒出陣

その当時は現在のように小学六年生を卒業したら、そのまま中学生にはなれなかったのです。六年生の一年間は中学の試験に合格するため猛勉強、そして五年間勉強して合格すれば、大学生にもなれ、社会人として働くことができたのです。

巷で、「大学生になったら戦争に行かなくてもいいらしい。」との、
それらしき噂はあっという間に広がり、全国に広がったようでした。
そのために、中学五年生の男の子はもう勉強に打ち込み、それぞれの大学に合格したそうです。


その学生さんたちは、どのくらい学生生活を楽しまれたでしょうか。
半年ぐらいだったのではなかったのでしょうか?
ある朝7時のニュースを聴くのに、何気なくラジオのスイッチを入れると、突然軍隊口調で、
「日本全国の大学生諸君全員に申す。陸軍司令部からの発令により、〇月〇日までに、明治神宮競技場に集合せり。県からの通達があるから、
そのようにすべし」
朝刊にも大きく取り上げました。

大学生を持つ持った家族は、これをどんな気持ちで聴かれたでしょうと、
私はそればかりを感じていました。

プラットホーム

嫁に行った姉の弟が、その中の1人でした。
東京へ集合する日が来て、家族で見送りに行きました。
夕方4時頃でしたでしょうか。駅は人であふれていました。
プラットホームは人でごった返し、身動きもできない有様。

そこで目にした光景は、どれも悲しいものばかりでした。
母親と息子が強く抱きしめ合い、顔を合わせ涙に暮れ、離れない姿があちこちに見られました。
姉、妹、恋人もいたでしょう。

「兄ちゃん、兄ちゃん」と涙でむせびながら兄ちゃんに抱きつき、大きい声で泣く子供。

手を握りしめ、目を合わせ、涙を流しながら抱き合ってる老いた親と子の別れの姿が、プラットフォームを埋め尽くしました。
この光景は、寂しく、悲しいものでした。

駅員さんが「もう汽車が出る時間です。危ないですから皆さん下がってください。」と言われると、見送りの人たちが一斉に抱き合って、最後の別れをし、汽車が少しずつ静かに動き出すと、みんな一斉に大声で「サヨウナラ、元気でね。・・」
大きく皆、手を振り、汽車が見えなくなるまで誰も動きませんでした。
そこにしゃがみ込んで泣き崩れて人いる人もあり、とても悲しい別れの光景でした。

声を掛け合う人もなく、皆黙ったまま1人ずつの階段をゆっくりと降りていきました。
私はまだ14歳でしたが、この寂しい光景はせることができません。
(この光景は、日本中どこの駅でも見られたのでしょう。)

学徒出陣式は明治神宮競技場で執り行われ、その実況放送はきっと日曜日だったと思いますが、私はラチ”オの前でじっと聞いていたのを思い出します。

制服に制帽、足にはゲートルを巻き、肩には鉄砲を担いで堂々と歩く姿、日本中から見送りに来られた人があふれる観客席の有り様をラジオは一日中放送していました。

70年ほど経って、ようやくこの映像をテレビで見ましたときは、頭の下がる思いでした。
あの頃は戦勝、戦勝、とラチ”オは盛んに放送していました。

母の戦争体験(3) 回覧板

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