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母の戦争体験(3) 回覧板
ある日回覧板が回ってきました。
内容は、『今家で使っていない鉄瓶や薬缶、その他いらなくなった金属類を供出することになったので、どんな小さなものでもよろしいから。』
とのことであった。
次の日、市の職員がリヤカーを引いて1軒ずつ回っていましたが、私にはその姿の背には負け戦の影が見えるようでした。
また、家のガラス戸全部に幅3センチ、長さ10センチほどの長さに切った半紙を十文字または斜めにガラス戸が割れないように貼ること、全戸がすぐに実行するようにとの回覧でした。
また、家の電灯の光が外に漏れないように、黒っぽい大きな布を電灯の傘につけて、夜は生活すること。
これは全国への回覧板でした。
各家がバケツを持ち寄って班の職員の呼び出しで、みんな1列になり、水の入ったバケツをどれだけ早く手渡しできるか。母や嫁たちが、毎日のように集まって練習していた様子を記憶しております。
今から思いますと、やっていることに何の疑問も抱かず、ただお国のためにという素直な気持ちだったのでしょう。
また、あるときの回覧には、町内の○○さんに赤紙が来たので、何日何時に町内全員で見送るようにとのものでした。
どんな人に赤紙が来たのか、今は記憶にありませんが、皆はおめでたいことだと言っていました。
赤紙は濃いピンク色で、縦十二、三センチ横十センチぐらいのペラペラの紙で、どのように書いてあったかは知りません。
その男の人は、赤紙が来た翌日に、会ったこともない方と結婚し、2日ほどで町内の皆さんの、日の丸の旗とバンザイ、バンザイの声の中に包み込まれ、軍人となっていかれました。
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