穴の空いた靴下(3話)

スタッフルームに入り、タブレット端末のタイムカードを切る。13時3分。柴田は本日の労働を終えた。

スタッフルームは入り口から右側にロッカー置き場、左側は休憩スペースになるテーブルと隅には社員用の——と言っても社員は店長のみだが——机とパソコンが置いてあった。

柴田はロッカーを開けてジャケットとトートバッグを取り出して脱いだエプロンを代わりに入れた。

社員机の方に目をやると店長が仕事をしていた形跡はあったが姿はなかった。昼飯でも食べに行ったのだろうか。

社員机の反対側にある裏口への扉から出て、ジャケットの内ポケットから煙草を取り出す。口に咥えてくすんだ金色のジッポーで火をつける。扉から少し離れた本屋の壁沿いに灰皿が立っていた。柴田はそこまで歩きながら煙を吐き出す。

「早く仲直りしなよ」

森野の何気ない一言が、柴田の耳にベッタリとした指紋のように残っていた。

溜息とともに、ゆっくりと空に向かって煙を吐き出す。朝より雲が重くなっていた。もしかしたら雨が降るのかもしれない。

「なーに黄昏てんだよ」

柴田は右肩を小突かれた。いつのまにか隣に店長の坂木がタバコを咥えて立っていた。

「痛いっすよ。あと別に黄昏てません」
「いや、ここまで近づかないと気づかない時点で黄昏てたろ」
「ちょっとボーッとしてたんすよ」
「どうせ彼女となんかあったんだろ」

坂木は100円ライターでタバコに火をつける。

「そんな、わかりやすいっすか?」
「いつものことじゃん」
「ええ……そんな頻繁じゃなくないですか……」
「月一くらいでケンカしてるイメージあるぞ」

柴田の前を横切って坂木はタバコの灰を灰皿に落とす。

「そんなことより、今日はやけにシックな格好だな。靴も革だし。なんだ合コンか?浮気か?」
「ちがいますよ……今日はあれっすよ」
「あれ?」

柴田はタバコを灰皿に押し付けて火を消し、もう1本目に火をつける。

「三上さんの追悼式ですよ」
「今日だっけ……そっかぁ。献花できるんだよな?何時まで?」
「19時までだったと思います」
「間に合わねぇなー。だからお前、今日半日でシフト出してたのか」
「そういうことです」

2人は壁に寄りかかりながら無言でタバコを吸い続けた。柴田は2本目のタバコを灰皿に押し付ける。

「じゃあ、そろそろ行ってきます」
「ちょい待ち」

坂木は2本目のタバコに火をつけて、尻ポケットから財布を取り出し千円を渡した。

「お金貸してましたっけ?」
「ちげーよ、献花代。俺の分も供えてきてくれ」
「了解です。てか、花っていくらくらいするものなんですかね?」
「知らねーよ、買ったことないし」
「森野さんにも?」

坂木は柴田の頭を軽く叩く。

「ちょ、暴力はよくない」
「あいつ、客にファン多いんだから聞かれたら困るだろ」
「闇討ちされそうですもんね」
「怖い想像をするな」
「そういや、森野さんにも早く仲直りしろって言われましたわ」
「お前わかりやすいからな」
「そんなにですか……なんか恥ずかしいな……」
「気づかれないように平静を装ってる感じが出てる」
「一番恥ずかしいやつじゃないですか……」

坂木は煙を吐き出して笑う。余裕のある男の微笑み。坂木は時折見せる仕草や表情がかっこいいと柴田は思っていた。引く手数多の森野が、坂木を選んだ理由もこういうふとした一面にもあるのかもしれない。バツイチだが。

「じゃあ、行ってきます。駅まで歩くんでチャリは置いてきますね」
「はいよ。あ、金は余ったら返せよ」
「はーい」

柴田は本屋を後にして、そこから5分ほどの距離にある最寄駅へと歩いていった。鞄からイヤホンを取り出し、スマートフォンへ繋げる。

音楽アプリを起動して、今から花を手向けに行く三上が所属していたバンド、loch(ロッホ)のアルバムを選択する。

デビューしてから4枚目。それまでのバンドサウンドがメインだった路線から一転、エレクトロニカなアプローチを試みた幻想的な作品だった。

当時は賛否両論だったらしいが、柴田は一番好きなアルバムだった。

この文章をお読みになられているということは、最後まで投稿内容に目を通してくださったのですね。ありがとうございます。これからも頑張って投稿します。今後とも、あなたの心のヒモ「ファジーネーブル」をどうぞよろしくお願いします。