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4月3日

bundleの新刊「わたしが部屋にいるときは」にエッセイを書きました。久しぶりにまとまった文章を書いた。


自分が、どうして文章を書くのかを考えていて、別に書くこと自体は好きなわけではないと気が付いた。要は、わたしは誰かに伝わってる感じが好きなだけで、別に文章じゃなくてもよかったんだな、とわかった。それに気づいたら、自分が自分に課していた謎のプレッシャーから解放された。


誰かと感覚を完全にわかりあうことは、実際のところできないと思ってるけど、わかろうと思って、耳を傾けてくれること、気持ちを向けてくれることが本当にうれしいと思う。これを読んでくれているあなたも本当にありがとう、見えないけれどわたしの励みです。

わかり合えないという前提に立って、それぞれが、それでも手を伸ばしてみよう、と思えることはとても美しいことだと思う。気力がもう少し戻って、態勢を整えられたらわたしも、もっとそうしたい。

どうして突然こんなことを考えたのかというと、最近どんな風にやっても「わかってもらえない」と思う出来事があったからです。

誰ともわかり合うことなんてできないと頭では思っているし、簡単に口にするのに、本当はやっぱりわかり合いたいと思ってしまうから、こんなに哀しい気持ちでいるのだと思う。


「わたしが部屋にいるときは」は文学フリマから先行販売されるそうです。なんだかふわふわとしたエッセイになったけど、最近の自分の感じがよく表れていると思う。タイトルと装丁ががすてきな本。

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