ヴァイオレット・エヴァーガーデン映画ネタバレ感想

やっとヴァイオレット・エヴァーガーデン映画観たネタバレ感想。小説既読だからわかってたけど、バトルシーンとか入らずに、ただただ生きてた少佐との再会に尺をガン振りする判断を下した京アニすごいわ。

■原作小説とアニメ/映画
原作小説では、ヴァイオレットが戦う兵士、それも武術的に優れているという設定を活かした立ち回りがあり、それが自動手記人形になったという「ヴァイオレットのギャラクター造形」とそれに携わる人々の気持ちが主体となっていたように思う。手紙はそのための手段。
それに対し、アニメ/映画は手紙という媒体と気持ちの伝達、戦後の人々と文化の発展を強く描いていた。手紙というものの魅力自体も、一つの焦点になっていたというか。
もちろんどちらが良い・悪いはないけど、見せ方で印象が変わるんだなあとしみじみ思った。
 

■ただの少女の話
小説にバトルシーンを含むエピソードがまだアニメ化されず残ってあったので、映画ではそこをやるのかと思ったらまったくバトルシーンはなく、本当にただ再会までの道のりと手紙を主題として描いていたので、びっくりした。
「戦闘ができる少女」というヴァイオレットというキャラクターの特異性ではなく、ただのヴァイオレットという少女と少佐の関係性だけを描こうとしたの、まじで完結篇ですね。
派手な見せ場としての動きが少なくなって、映画として地味になるだろうに、それでも描きたかったんだろうな京アニ。恐ろしい子だよ京アニ。


■働く女性
カトレアさんから分岐した2人含め、女性の働く姿も印象的なアニメだったなあ。時代背景がそう思わせるところもあるんだろうけど、エリカの片思いが描かれず、夢を叶えて小説というか劇作家になっていたのはちょっと衝撃だった(会話シーンなどで視線がベネディクトに向くこともなかったので、おそらく恋心は消えたものとして考えて良いのだろうな)。
博物館に座っていたおばあさんって、アイリスだよね…?一瞬しか見えなかったけど、瞳の色がアイリスの色だった気がする。きっとたくさん働いて、あの場所を愛したんだね。


■手紙と電話
手紙が「伝えられない、言えない思いを伝えるもの」「時間の壁を越えて伝えられるもの」なのに対し、電話が「伝えたい言葉を伝えるもの」「今すぐに伝えられるもの」という対比が見事だったと思う。
両者にそれぞれ利点があることを示したというよりも、電話という次世代の文明の機器が発明されても、手紙には手紙の良さがあるということを、確かに教えていた。


■少年
実際のところ、ヴァイオレットと少佐のシーンよりも、病死した少年の母親が手紙を読み上げるシーンの方が泣いてたかもしれない。
自分が死ぬことをわかっている人間が、「自分が死んだ後なら伝えても良いかな」「自分が死んだ後にこうなってほしいな」と託す行為は独りよがりだし、受け取る方は拒否できない強制なので、個人的なは人生最大のずるい免罪符だと思うんだけど、いや大っ嫌いなんだけど、それでもずるいからこそ、泣いてしまうんだよ。


■少佐
自分が間違った道を与えてしまったと後悔し、数年彷徨った末に先生をしていたの、本当におまえそういうところだぞ!!という気持ち。小説よりもだいぶこじらせてますね。実家にも隠してたもんね。社長が少佐の文字の手紙を見つけなかったら、永遠に再会せずに暮らしていたのかもしれない。すごいな。義手もなしに放浪してたんだよね。悩んで、悔やんでいたんだろう。

その気持ち、想像できなくもない。ヴァイオレットが有名になって、その名前が風の噂で聞こえてきていたのは、さらに負い目を強く感じさせたんじゃないかな。「ほら、証明された。彼女は自分が武器という道を与えなければ、平穏に生きられたのだ」とか思ってそう。好きだからこそ、自分の預かり知らぬところで幸せにってほしい。

でも、だからこそヴァイオレットの手紙の「ありがとうございました」の連続が、少佐が過ちと評した過去の時間を肯定し、かつ感謝したことは、彼が走り出すための救いになったのかな。

海で再開した時の少佐の最後の方の声が甘々すぎて乙女ゲーかと思った。いや乙女ゲでよく聞く演技…言いたいこと伝わります?これ。こんな声出されたら、ヴァイオレットじゃなくても泣くでしょ。

あと、少佐と大佐の再会シーンで、最初は弟の記号としての帽子をかぶって顔を深く隠してたところや、大佐が高いところから見下ろしてたけど、ヴァイオレットの元へ走るために大佐を越えてかけ登っていくところ、わかりやすくグッときますね。


■泣き顔
京アニの泣き顔はすごい。ハルヒのGod knows…の時と同じで、ヒロインの顔に美しさを求めるのではなく、リアルな動きを表現しようとする。鼻水が出るほど泣き顔を、よく描いてくれました。
私自身が泣き過ぎると過呼吸になって言葉を発することができなくなるタイプなので、あの泣き方には覚えがある。いやわかるよ、言葉が出ないんだよ喉と肺がいかれて。それぐらいの感情が溢れ出て、それぐらい泣いてしまったというの、何かしらを言葉を伝えるよりもリアルだった。すごいぞ京アニ。


■大佐
好きです結婚してください。「すまないと伝えようと思っていたが、今はお前を麻袋に入れてヴァイオレットの前に引き摺り出したい気分だ」的なこと言った時に本当ときめいたわ…やだ好き…
「家督は俺が継ぐからお前は自由だ」といった旨を少佐に告げるの、ぶっちゃけ状況からしてとうの昔に家は大佐が継いでるような状態だと思うんだけど、それでも父の期待に応えようとした少佐を真の意味で自由にするための言葉だったと思う。
それに、大佐は自分自身に言い聞かせてもいたんだろうな。それが大佐にとっての、せめてもの贖罪になる。

どれだけ時間がかかっても、誰かからの直接的な言葉や手助けではなく、自分自身で立ち上がる人が好きなんだよ。だって、本当の希望は自分の中にあるものだから。「それまで自分が見てきた世界」が、自分の中に歴史や思い出として存在していて、それこそがその人にとっての世界の真理であるから、希望も絶望もいつだって自分の中に生まれるものなんだよ。
その希望の「結論」の先にある合理的な自己犠牲は、とても美しいんだよな…このあたり、Fate/Apocryphaでジャンヌちゃんが自ら立ち上がり、そしてラピュセルという自身の(鯖としての)命を引き換えにする宝具を使う流れも思い出すのだけれど。希望の結論の先にある合理的な自己犠牲は、それ自体が道しるべだから。

いや、社長に謝ったのもそうなんだけど、大佐が一番最初に素直になったから、歯車は前に進んだんだよ。えらいね。
あと髪型補正も入ってる気がするけど、目元のシワが最高にかわいいね…


■ヴァイオレット・エヴァーガーデンの「あいしてる」
サブタイトルとして白文字ババーン!と「あいしてる」と出てきたけど、ヴァイオレットがそれを口に出して言ったのだろうか。見えなかったけど、手紙に書いてあったのだろうか。それともこれから少佐に伝えるのだろうか。
いや、サブタイトルの「あいしてる」は少佐の言葉でもあるとは思うんだけど、小説を読んだ身としては、同時にヴァイオレットの言葉でもある説を推したい。
きっと、愛してるが少しわかった後に、愛してるを言えるようになったんだ、と。

 
■完結
放映時は観ていなくて、ここ数ヶ月でアニメ、OVA、小説、映画と見てきたけど、たくさん泣いたし楽しかったなあ。

そして自分でも地獄だなと思うんだけど、アニメだけで終わっていたら(少佐が死んだものとしてヴァイオレットがひとりで自立して生きていくストーリーだったら)、それはそれでめちゃくちゃ好みというか、再会するよりも好みだったかもしれないなと考えてしまうのでした。終わり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?