見出し画像

【イベントレポート】メンタルヘルス講座「クソすぎる世の中にどう対応するか」編 前編

イントロダクション


この回は、テーマ性の強かった前回とは異なり、広い範囲で、社会がメンタルヘルスに与える影響が話題になりました。自己肯定感という言葉の解釈や、ポジティブ心理学の賛否、社会的な事件をきっかけにジェンダーの話やDV、性教育などの話が編集ではメインになっています。他に、本誌ではカットしましたが批判的思考をさせない学校教育についてや、DV加害者へのケア、中指を立てて主張することの重要性などがありました。

この回でわたしが本当に立ち会えてよかったなと思ったのは、「個人的なことなどない」という話になった時間です。もちろん一人一人がこの社会の中で、特別で、それぞれに個性があり、みんな違う、ということは前提です。でも、宇宙の中で地球が存在するということが、他にも生物が存在する星があるという数字的な証明になっているように、私たち一人一人もまた、似たような立場や境遇の人間がいるという証明でもあります。
そしてこのことが、歌や詩、小説やエッセイ、映画など個人の物語が社会の中でいかに大切かということを思い出させてくれました。多種多様な人々がそれぞれの立場から自分の物語を語り、それに触れられる機会があることが、たくさんの人にとって自分の生きる選択肢を増やせたり、生きてきた道を認めることができることにつながるのではないでしょうか。


この記事は吉祥寺DAYDREAMにおいて毎月開催されているメンタルヘルス講座の内容を紹介するものである。

私が現在、吉祥寺DAYDREAMという場所を使わせてもらえるというスペシャルな立場にいることと、自分自身メンタルヘルスへの興味、言語化できない不安や悲しみ、を感じている友人たちへの余計な心配と、同調、 知れば知るほどクソだと思い知る社会構造に対する怒りが、イベント内の会話2万4千字を書き起こし、編集する原動力になっている。 私は本来怒りという感情を持続させるのが難しい性格なのだが、学ぶたびに受け入れ難いことが多すぎ、静かな怒りが胸の奥底に広く横たわるようになってしまった。前回のレポートから引き続きこの書き起こしの記事はその渦中の記録でもある。


ー社会の制度が作り出した「クソ」

フユコ)はい、メンタルヘルス講座始めたいと思います。私がデイドリーム吉祥寺でイベントの企画とか担当していますフユコと言います。よろしくお願いしします。
手島)手島と申します。普段は音楽の専門学校で講師をしていたりするんですけど、もう一つ、産業カウンセラーという資格を持っていて、カウンセリングですとか、そう言ったことをやっています。資格だけですが保育士も。資格も持ってたりします。ここ数年ですね、最初はミュージシャンに対してメンタルヘルスに関する本とか出したりしています。今日はですね、幅広く表現者ということでお話ししていければいいかなと思います。
フユコ)タイトルが結構きついタイトルだったんですけど(笑)、物おじせずにきてくれてありがとうございますという気持ちでいるんですけど(笑)はい、どうでしょうか社会情勢的に
手島)Twitterなどで経緯を見た方もいらっしゃると思うんですけど、そもそも何故にこの「クソすぎる」になったかを聞ければ…
フユコ)そうですね、自分の周りで最近、「税金がものすごく高いんじゃないか」という話をしていて、すごく単純な計算、今日本国民が今負担している税金って一人当たり46パーセントという話があって、住民税や所得税とか消費税とか全部含めてのことだと思うんですけど、さらに防衛費などのために増税しようとしていて、その社会の動きを見て、労働を増やさないといけない人が出てきたりだとか、長時間労働が前提に社会が組み立てられていることとかも、メンタルに良くないことはわかっているのに、国主導で進めていく様を見て、怒りが湧いて「クソだな」ってツイートしてたんですけど(笑)そしたら手島さんが「その通りです」と(笑)
手島)(笑)
フユコ)本人がきつい状況を国が作り出しているというか。今日もちょうど「同性婚を見送ります」とか「夫婦別姓は見送ります」とニュースで出ていて。なんかこう…うーん、勝手に作られたルールでしんどくなってる人たちもたくさんいる。大昔に作られたルールを守ることによってしんどくなる人たちがたくさんいる、自分も含めて。そういうことに最近怒りしか湧かないんですよね(笑)
手島)まあでもそういう世の中に対する批判とか、「クソだな」っていう気持ちってもっと表に出したほうがいいと思ったんですよね。ただ、言葉として強めに言っちゃうと引く人もいるからなあと。でもその時にフユコさんが「クソすぎる」と言葉で出していて、ああ、これは多分ちゃんと言ったほうがいいんだろうなあ、とちょっと思ったことがあるんですよね。
で、僕はこの講座の中でも何度かお話ししていると思うんですけど、基本的には大体の物事って世の中のせいなんですよね。メンタルに関することもそうですけど、個人の問題というよりは社会に原因がある。なんだけれども、社会の問題はとりあえず後回しにして、これはあの、メンタルヘルスに携わるものとしても問題なんだけれど「ものは考えようだよね」っていう一見良さそうなことが、いや、いい面もあるんですよ、「考え方をちょっと改めてみよう」ということが新たな可能性が広がるという。(でも)それが悪い方に利用されちゃうと、本来ならば世の中だったり社会だったり環境を変えたほうがいいものを、「ここはちょっと考え方をそれを一回受け入れて、むしろこれによって自分が幸せになる方法を探そうよ、みたいにこれによって問題がすり替わっちゃうことがあるんですよね。で、割とその問題をすり替えて自分が引き受けて、なんとなくやり過ごしてしまう人が、どんどん増えてるような気が個人的にはしていて、そしたらやっぱりしんどいですよね。いわゆる「自己責任」みたいなことが変形した形だと思うんですけど。で、そのメンタルに不調がきたときに「自分のせいだ、自分の考え方が良くないんだ」と。その時に「これは世の中がクソだから」だと言ってしまえるほうが、いいなと思うところがあったんですけど。
フユコ)「自分の機嫌を自分でとる」とかっていうことって一時期流行ったと思うんですよ。だし、ほんとにアンガーマネジメントが必要な人もいると思うんです。「自分の機嫌は自分で取る」とか「不機嫌で相手をコントロールしない」とかって、大事な面もあると思うんですけど、それを「そうだよねーそうしなきゃ」って思う人って元々そんなに問題がない場合が多いというか(笑)怒鳴り散らしたりすぐ激昂したりする人に「アンガーマネジメント必要ですよ」っていうのはもちろんなんですけど、「不機嫌になっちゃだめだ」「怒っちゃダメだ」ってなんか思わされてるというか、そういう感じがすごくして、そういうのが誰にとって都合がいいのかなって。やっぱり、力を持っている人とか社会的に強い立場にいる人にとってはとっても都合がいいことだったりするなとも思って、そういうの嫌だなあって。
手島)実際最近そういう指摘をされることもあって、僕は不定期なんですけど、メンタルヘルスとか心理学に関する本を紹介する連載を持っていて、そこで最近「ハッピークラシー」という本を紹介しまして、フランスの学者が書いてるんですけど、簡単にいうと、アメリカで、90年代くらいからポジティブ心理学というものが流行ったんですよ。要はポジティブに考えよう、です。平たくいうと。それまでは人間のネガティブな面ばかりに注目してきたと。精神医学は。それはそれでいいんだが、やっぱり人間は幸せを求めるほうが良いと。だからポジティブなことをもう少し研究しましょうと。それ自体は別に一見悪くないんですけど、それがさっき僕が言ったことにつながります「ものは考えようだよね」と。「それによって幸せになっていこうよ」と。それがどうなったかというと、アメリカのいわゆる新自由主義の自己責任社会みたいなものをさらに後押しした。例えば極端な話、解雇されたとしても「これはあなたにとってチャンスだ」と。いやよくいうじゃないですか、ピンチはチャンスみたいな。(笑)確かにそういうこともあり得ますけど、全てそれで解決しちゃうと、全ての問題が個人に返ってきちゃうんですよね。「あなたが幸せになれないのはポジティブに考えてないからだ」と。これは非常に良くないんですけど、これがこの20年くらいじわっと浸透してしまった面があって、何かピンチがあったりとか世の中的な大きな動向、何かこう例えば不景気とか、それでうまいこと生活を成り立たせられなかったり苦しくなってる時に、社会を責めないで自分を責めちゃうことになってる。こんな状況でもなんとかできない私が悪い、みたいな。なのでちょっとよろしくないんですよね。そういうポジティブさっていうのは、もちろんいい面もあるんですがかなり過度に行き過ぎちゃうと良くない。

フユコ)政治的な話とか社会の制度に関する話とか、親しい人としかしなかったりするじゃないですか、その時、意見が違ったり、対立する時もあると思うんですけど、あまりにもちょっとそれは差別なんじゃないの?とか不理解なんじゃないの?という発言を相手がした時にできるだけこう、その人を怒るというよりはその人はその人の育った環境とか地域性とかそういうものが悪いから、その人に対して怒りをぶつけないようにしてるんですよ。で、私はそれが今自分の中ではそうあるべきだなって思ってるんですけど、社会とか政治に対してクエッションを投げることって今おっしゃったように真っ当だと思うんですけど、どっかですり替わって、「いや、何何人のせいだ」ってなっちゃう人もいるじゃないですか。もちろんそれも雑に言って仕舞えば教育とかのせいだと思うんですけどなんか、難しいですよね…
中略

手島)ほとんどの日本教育を受けてきた人にとって、話しあったって無駄だなとか、話し合ったところでと思ってる人は多いですよね。そこで、さっきの話で、状況とか環境が変わらないんだとしたら多くの人はそこで考え方を変えて適応する、もしくは我慢して適応する。そこで我慢ができなかったりとか、なんで適応しなければいけないのかよくわからないだとか、ストレスが溜まっちゃった、みたいな人が学校に行かなくなったりするわけで、本来の問題の所在みたいなものが、本当は周囲にあるのにそれが個人に還元されたり。ひょっとすると税金の使い方みたいなこともそうなのかもしれないですけどね。「国民が責任を持って」という前にお前なんとかせんかい、みたいな話だったわけじゃないですか。世の中の問題を全部我々のせいにされてもっていうのはあると思うんですけど。意外とでもそれをすうっと受け入れちゃってる感じもあるかなと。こんな時だからこそ一人一人が頑張って、ってそうかもしれないけどそもそもなんでそうなった?って思いますけどね。
で、現実的にすぐ世の中を変えられないとしてもせめて、自分の心だけは解放したほうがいいとぼくは思います。ここにいる皆さんが世の中はおかしい!と言っても明日から世の中は変わらないから、そこはなんらかの適応をしていかなければ確かに現実問題生きてはいけないんだけど、自分のせいだと思ってやってるのか、仕方なく、ある程度合わせてやるよ、と思ってやってるのかはやはり全然違うんですよね。せめて、自分のマインドはそこにもっていったほうがいいのかなと思いますね。



ー自己肯定感


手島)何度もこれまでも言ってたのですが、「自己肯定感」というキーワードが何度も出てくるんですけど、ただ本来の意味からどんどん離れていって、今世の中で使われている自己肯定感というのはどちらかというと「自己有用感」のことですよね。要は役に立つとか、誰かよりも優っているとか優れているものがあるということを自己肯定感と言ってることが多くて、それはそれで一面的には大事なことではあるんですが、あくまでそれは機能的な問題なので、いくらでも落ちるんですよ。非常に表面的なことで、本来の自己肯定感は「あなたはあなたのままで大丈夫ですよ」という。いい悪いの判断はしてないんです。それで、大丈夫、ちょっと禅問答みたいになっちゃうんですけど、それでオッケーっていう。いいとか悪いじゃない、良くても悪くてもひっくるめて、とりあえず存在がオッケーなんですよ。なので、何かに役に立つとか、誰かより優ってるとかとりあえず本来後回しなんですけど、世の中では役に立つとかが挙げられちゃってるなと。一つはそのアメリカからやってきたポジティブにいこうぜっていうのとちょっと関係があってそれによって利益が生まれるよ、儲かるよ、人に勝つよっていうところで自己肯定感を上げてくみたいにいっちゃってるので本来の意味と離れてるんですよね。まず基本的にはそのままの存在で存在していてOKということを持つこと、また周りが与えていくことなんですよね。
フユコ)これってこのメンタルヘルス講座を初めて、来月で1年になるんですけど、毎月やるにあたって、その間に本を1冊読もうと、何か自分の関心のあるメンタルとか社会学についての本を一冊読もうとして、1年間蓄積してきたんですけど、それで自分でも知識を身に付けたりしてきたんですけど、そして、この自己肯定感の話を聞くのも何回めかなんですけど、思考的にまだそれがこう、その思考になれないと(自分に)定着しないですよね。
手島)しないですね。

参加者との対話


―女はずるい?

手島)うーんなんだろう、ここ最近、これは自分の経験する範囲のことなので、世の中が、と言う話ではないんだけれど、僕学校で働いてるんですよね。18歳〜25歳くらいまでの人たちで、最近若い18歳の男の子たちと喋っていて、それこそYoutuberとかそう言うやつの話なんですけど、「結局さあ、女は女の武器が使えるからずるいよな」って言うわけですよ。最近ちょっと増えてきたのが「ずるい」って言い切るんですね。男の子が「女はずるい」と。男はそもそも高い下駄を穿かされてんだぞっていう話を延々しなきゃいけなくなるんだけど、ここがまたちょっと難しくて、すぐすると、「ぷんっ」て行っちゃうから、しばらく信頼関係を持つまでに3ヶ月くらいかかる。ずっと我慢して、「でさ、」ってやっとこの前喋れたんですけど(笑)、みたいな、時間をかけないといけない時もあるんですけど、まあそれはさておき、その感じはありますね。「女はずるい」と。だから結局その男性性的なものに本人もしんどいことになってるんだど、その、そっちの方にちゃんと向かわないで、弱い方とかにずるいとか言っちゃう感じの若い男の子今すごい増えてるかな、という感じがしますね。まああとその、ストーカーとかD Vとかは専門の方じゃないとすごい難しい問題で、僕も簡単にコメントできないですね。カウンセラーとかやっててもすごく難しい領域なので言いにくいんですけど、あれですよね、基本的には自分が思う通りに行かなかったらぶっ壊す、みたいな感じがありますよね。そういう人たちには。あと「俺を怒らすお前が悪い」、とか。そうなっちゃうとね、手に負えないですよね…。よほど専門の臨床心理士さんとかじゃないと。
あの、今日「クソすぎる」っていうことがタイトルについてるんですけど、うんこって踏んだ方だけに被害が及ぶんですよね
会場)笑
手島)踏まれたうんこって単なるうんこで踏まれようが何しようがただ臭い汚いんですけど、踏んじゃった方は「うわあ」ってなるっていう笑 厄介なやつなんですけど、クソすぎる世の中ってほんとに流すしかないんですよ。踏んじゃだめ、みたいな。

フユコ)なんかこう…友人のそういうコメントは…日本の文化の中で、正しい人権感覚とか、ジェンダーの価値観とかを知る機会に恵まれなかったと飲み込もうとする…
手島)納得できないものには理屈をつけてしまうというのはよくありますけど、その人も自分の中で何か「ん?」って思ってる部分があるかもしれないですね。認めにくいことを別のことに置き換えている…
フユコ)関連して、こことかで働いていて男性のスタッフさんとかとプライベート、帰り道に喋ってたりすると「自分は男女差別には反対です、男女は平等であってほしい、平等だと思ってます。でも、やっぱり女性は困ったら体を売って風俗の仕事ができるから、野垂れ死ぬことはないじゃないですか」とかいうんですけど
手島)よくあるやつですね(笑)
フユコ)そう、ああ…って、どこから説明しよう、って。そういう心理が私わからなくて。
その人が何を言いたいのか…それも「ずるい」みたいなことなんですかね。
手島)それもあると思うし…でもなんだろう、色々拗らせてると思いますね。そういう人いっぱいいますよね。すぐそういうこと言う人…なんて言ったらいいんだろう…
フユコ)下駄を履いてる側の、下駄を履いてると言うことにも気付いてない男性もいっぱいいると思うし、抑圧されてると思ってない女性もいっぱいいると思うんですよ。なんか、最近そこが一番、リアルに会話として噛み合わない時に、何て説明したらいいんだろうってなるんですよね。
手島)ちょっとぬるい言い方になるんですけど、そう思うのは勝手だけど、人に強要しないでね、っていう最低ラインがあると思うんですよ。何事においても。いろんな考え方、価値観があるでしょうけどなんだけど、それを当然のように全体に当てはめないでくれ、っていうのってルールだと思うんです。そこをつい逸脱しちゃうのは何故なんだって話なんですけど、要は、押し付けるなって言う話じゃないですか。世の中こういうもんだって言って一括りにするなバカ、って。あんたがそう思ってるだけでしょ、そこでとどめといてくれないかな、って。なんかそこ逸脱しちゃいますよね。
参加者A)sexワークすればいいじゃん、って言うやつって、なんとなくですけど、レイプされたらなんだかんだ言って喜んでるんでしょ、みたいな、もろ性教育の欠陥なんですけど、まあ、私、武蔵野市で出しているまなこというジェンダー平等の雑誌を編集してるんですけど、次の号が3月に出るんですが性教育についてなのでもしよかったら手に取っていただければと思うんですけど、やっぱりそのセックスについて、それはあくまでコミュニケーションの延長だったりしたり、同意がなかったりお互いにパワーがあった上でのセックス、それはもしかしたらレイプかもしれない、と思うんですけど、そこが、自分が犯すことがなんだかんだ言って嬉しいんでしょ、男性から、パワーで押しつけられてるから嬉しいんでしょというところで、セックスワークも別に、最悪ではないんじゃない?って思うかもしれないんですけど、ほんとに、自分が望まない状況で、もちろんセックスワークをお仕事にしてて、自分が望んでたらそれはいいと思いますけど、同時に何か補償しなきゃいけないと思うんですけど、そうじゃない方が、頑張ってやっている時点で、それはもはや自分の殺人であるかもしれないっていうのが想像できないっていうのはそれは性教育がきちんと多分ヨーロッパなどでは、セックスはコミュニケーションだっていうことだったり、ピルの話だったり(教育がある)。そういうところに繋がってくるのかなと。
フユコ)最悪ではないという考え方なのか。


後編へ続く


●次回イベント●


6/15(木)表現者のための メンタルヘルス講座 vol.12
オタク人生から考える「生きがい」
吉祥寺デイドリーム
20:00~22:00
入場¥1000(予約不要)

ゲスト 上村彰子(ライター・翻訳者)
話し手 手島将彦(音楽学校講師/産業カウンセラー/ライター/保育士)
企画・聞き手 フユコ(デイドリーム吉祥寺/ミュージシャン)

何かに夢中になる強い気持ちは、人生を豊かにするはず。ハマっているものの影響で、社会や人に対する考え方が変わっていくこともあります。中学生の時に出会ったパンクやイギリスのバンド、ザ・スミスのモリッシーの影響で、思いがけない方面にも関心が広がっていったというライター・翻訳者の上村彰子さんをゲストに迎え、自身のオタク人生から考えた「生きがい」についてトークします。


デイドリーム吉祥寺
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-1-4-6F
京王井の頭 / JR線吉祥寺駅南口(公園口)を出てすぐのバス通りを右へ、天下寿司6階(エレベーター5階)
0422-24-8281
http://www.studiopenta.net/daydream/index.html


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?