私が寄付を始めた理由
女に生まれてよかったことなんて一度もない。
制服でスカートを履くのが嫌で嫌で仕方がなかった。
不自由な女の体なのに旧い田舎の跡取りで、男に期待されることも女だからと押し付けられることも、どちらもこなしてこなければならなかった。
母は父と不仲だからって、娘兼彼氏みたいな役割を私に期待した。
父に対する愚痴もいつも共感しながら聴いた。買い物に付き添えば言われずとも重い荷物を持った。
17歳頃から周りの男の私を見る目から「ヤリたい」という欲を読み取れるようになった。その期待に応える見返りに、寂しさを受け止めて欲しいと思えば、粗末に扱われて終わり。
逆にちゃんと彼氏彼女だと決めて付き合ってくれる人には、こちらも責任感と義務感を発揮し過ぎてしまい、気持ちが冷めても付き合い続けて、もう身体は「したくない」と言っているのに、断れなかった。好きな人から粗末に扱われるより、こっちの方が拷問のように辛かった。
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妊娠した時、絶対子供は男の子が良いと思った。
女に生まれたら、私と同じような辛さを味わうかもしれない。そんなの可哀想だし嫌だと思った。
自分の子供に自分と同じような思いをしてほしくない。。。
ところが切迫早産で入院中に女の子だと分かって、ショックで呆然とした。マタニティブルーかもしれないけど、もう何もかもどうでも良くなって、名前も全部旦那に決めてもらった。
そんなとき、携帯で「Because I am a Girl」というピンクのページが目に入ってきた。有名なプランジャパンの広告だった。
あぁ、世界には女だからという理由で、私よりもっと理不尽で辛い状況にいる子がこんなにもいるんだなぁ、、といてもたってもいられずページを進めた。これが最初の寄付となる。
世界の女性の辛さがほんの少しでも軽くなれば、自分や生まれてくる子の辛さも軽くなるんじゃないかと、願うような思いだった。
我が子には、私がされてきたような子育てはせず、自分の気持ちを受容・尊重できて「嫌なことは嫌」とハッキリ言える子に育てよう、と気を持ち直した。
娘が生まれると、想像を絶する可愛さで、毎日100枚くらい写真を撮って、毎日300回くらい「あり得ないくらい可愛い」と悶えた。しかもその可愛さが日々益々増してくる。
同時に恐ろしくなってもきた。どんなに親が気をつけていても、何の罪もない女の子をターゲットとした事件が起こる。そういうニュースを見聞きする度に、被害者とそのご家族の気持ちを想像し過ぎてしまい、辛くて一日中起き上がれなくなることもあった。
どうしたら子供を事件事故災害から完全に守れるんだろうとひたすら考え、怯えて眠れない日々が続いた。。(子供可愛さが強過ぎての副作用みたいなものかもしれない)
ついに耐えられなくなり、精神科に行った。強い抗精神病薬が出された。
せっかく、妊娠が分かった時から断薬して、母乳を飲ませることもできていたのに、半年ぽっちで泣く泣く断乳せざるを得なくなった。
そこまでしたのに、薬の効果は大してなかった。
やはり辛くて辛くて、とにかく何かに縋りたかった。でも考えが止められず、救いがなかった。
当時、特に辛かったのが、ベトナム国籍少女の誘拐殺害事件だった。
記事を調べていたら、その子の名前には、日本とベトナムの架け橋になるという意味が込められていると知った。
そこで、悲しみ憤るだけじゃなく自分にも何かできることはできないかと考えた。
その子の生の意義を継いで、せめてベトナムの女の子に寄付していこうと決めた。
それで、公益財団法人民際センターとプランジャパンを通して2人の子に寄付を始めた。
プランの方は月額制で、一人の子というよりその地域活動への寄付だった。文通ができてちょっとした小物を贈ったりもできるというのが魅力だったが、コロナで小物の送付は叶わず、現地は手紙を書く習慣がないとのことで地域のボランティアの方が代筆して何度か返事をくれた。もう少し娘が大きくなったら贈り物を一緒に選んだり、手紙を通して外国に興味を持ったり英語の勉強にもなるかと思って楽しみにしていたが、昨年私が仕事を辞めて生活が苦しくなったので、仕方なくこちらへの寄付は中止することにした。
民際センターのダルニー奨学金は、決まった生徒一人が一年間学校に通えるようにするための年額寄付だ。
センターから届いた写真の、最初可愛らしかった女の子が一年経ち、とても大きくなり、賢そうな顔つきになっていた。
この子が無事卒業するまで続けようと思っている。
寄付は人のためというより、自分のために始めた。自分が寄付することで、救われている。
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