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親の喧嘩に巻き込まれて3針縫う怪我した話

私は3年ほど前に、いい歳して親の不仲に巻き込まれて怪我をしたので、それをネタとして漫画にしようかと思ったのですが、血などをリアルに描くとグロいので文章で経緯を残します。

伏線1.
両親は10年以上の長きに渡り別居している不仲夫婦だったが、父が退職し実家をリフォームしたことをきっかけに同居を再開していた。

伏線2.
私の夫の車が故障したが車屋に丁度台車がなかったため、夫に私の車を使ってもらい、私はしばらくの間、父の車を借りて通勤していた。

事件当日の経緯:
夫の車の修理が終わったという連絡が入ったので、私は仕事帰りに実家に寄って、父に車を返すことにした。
夫には先に子供を保育園に迎えに行ってもらい、その後、私の実家に迎えに来てもらい合流するという予定にした。

当日、仕事の後、父に無事車を返し、後は夫が迎えに来るのを待つのみ、というところで、予想外の事態が待っていた。

キッチンの奥にいた母の様子がおかしいのである。

どうおかしいかというと、あきらかに澱んだ陰のオーラを放っていて、目はうつろで下を向いており、こちらの顔も見ないまま、いきなり「これ運ぶの手伝って」と言うのである。そこにはかなり重そうなテレビ台があった。
「なんで?どうかしたの?」と聞くと、「もうここにいるの無理」と言う。
リフォームした実家の一階は、大きなキッチンを挟んで、父のリビングと母専用のリビングスペースを離して、各々が使用していた。
それでも同じ空間にいることが母には耐えられないらしく、「2階の個室に移りたいけど一人じゃ持てないしアンタがいるうちに運んでしまいたいから。早く!」と急かしてくる。もうテレビの本体など一人で運べるものは既に2階の部屋にあると言う。

私は内心「えぇ〜〜?!」と叫びたいくらい困惑した。
まず、今部屋を移すために物を運んでいることは、当然父には相談もしないで進めているだろう。父がそれを知ったら、声を荒げて怒るほどではないにせよ、少なくとも不快にはなる筈だ。それを分かっていながら私が運んだら、母に加担したことになる。
まずは落ち着いてもらおうと、「ちょっと待って、今じゃなくてもいいんじゃない?」と声を掛けたが、母はもうかなり切迫していて、人の話に聞く耳など持たない。

そして私は更なる事実に気付いて焦った。
もし今このタイミングで夫や子供が迎えに来てしまえば、この面倒な事態に巻き込んでしまう羽目になる。
重そうなテレビ台は夫が運ぼうとしてしまうかもしれない。今日まで父から車を貸してもらっていた私達がもしそんなことをしてしまえば、恩を仇で返すようなものだ。父からの夫への印象まで悪くなってしまう。

そうなるよりだったら、今のうちに速やかに運んでしまった方が良い!

そう判断した私は「分かった」と、急いでテレビ台を持ち上げた。その時だった。

ガッッシャーン!!!

そのテレビ台は母がDIYか何かをかじって組み立てたものだったようで、極めて慎重に取り扱わないと危険なブツだった。しかし何せ私は焦りながら手を掛けたので、一瞬でバランスを崩したのだ。

そして重い素材の角にあたる部分が私の右足の親指に墜落していた。

「何した?大丈夫?!」とそこで母はこちらに来た。私の足からは黒い靴下を履いていてもはっきり分かるくらいの血が溢れ流れてきており、最早これ以上何かができる状態ではないのは明らかだった。

それを見て母は、「はあ〜〜〜〜〜っ……」と深く大きなため息をついて、肩をがっくり落とした。
せっかく後少しでこのリビングから離れられる所だったのに、娘の怪我のせいで叶わなくなり、心底ガッカリした、というような溜息だった。

そこにちょうど夫と子供が迎えに来た。
私はとりあえず怪我した足の方にタオルを巻き、片足でひょこひょこ歩いて玄関に行くと、夫は「えっ、どうした?」と驚き、外で一服していた父も気付いて「大丈夫か?」と来たので、「大丈夫大丈夫」と、そのまま帰ることにした。
何にせよこの場を(夫も子供も含めて)速やかに離れる口実ができて良かったと思った。現在の家族を毒親の毒影響から守るためには、どうしても自分が盾にならざるを得ないという事例みたいなものだと思ったり。
多分ケガはそこまで大丈夫ではないが、さっさと病院に連れて行ってもらった方が話が早い。

大きい病院の夜間の救急に行くと、運良く外科の先生が当番だったので、すぐに手術になった。

テレビ台の角が落下したのは、ちょうど親指の爪の生え際あたりで、そこから割れていた。なので、爪が完全に剥がれてしまわないよう、縫うという処置だった。

後は、毎日水で洗って清潔にして、ある程度爪が伸びてきたら抜糸して、しばらくしたら治るとのことだった。

最初のうちは歩くのも大変で、割れた爪は変な形になるしで、結局、新しい爪が根本から先まで伸びて痛みがなくなるまでは2年近くかかった。とても小さなケガだったけど、完治2年。もちろん親は、そんなことになっていたとは露も知らない。

ちなみに、結局その事件の後、母は一時的に2階の部屋に移動はしたが、すぐまた荷物をまとめて家を出て、別居に戻った。
2階に運んだ物も、運ぼうとしたことも、私の怪我も、全て茶番というか、無駄だった。
ついでに言えば、母が父と同居する前提でリフォームに口出しして作った実家の大きなアイランドキッチンも無駄だった。(おしまい)



実家を出た今だからこんな出来事は笑って書けるけど、高校生くらいのときは、家から逃げることができなかったので両親の不仲はキツかった。
逆に文章では表現しきれない地獄だったので、いずれ漫画にして描いてみたいと思う。毒親がいる人の苦しみが少しでも世間に認知されるように。

あの頃心に受けた傷は、今回のようなケガの比ではない。

10代後半から20代の私は自ら危険な目に遭うようなことに飛び込んだり(他者を使った自傷)、統失と躁鬱が混ざったような重い精神病になった。これは寛解はしても一生完治はしない。

妹は自殺未遂を何度も繰り返した。車に乗ったまま川に飛び込んだり、薬を大量に飲んで(OD)、死亡率5割と言われる4階から飛び降りた。なんとか骨盤骨折で済み生還したが、人格障害かも何かも分からない心の歪みについては、精神科医も匙を投げた。今は離婚して子供も手放し行方も分からない。

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