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ある意味、海外よりディープ!〜皇居勤労奉仕で見えたもの

 本日、4月30日をもって天皇陛下が退位され、平成が終わりを迎えた。テレビを見て天皇陛下のお言葉を聴きながら思い出したのは、4、5年前に2度参加した皇居勤労奉仕のことだ。

 平日の4日間、皇居内の清掃などを行うこの活動は、天皇皇后両陛下に間近でお会いすることができ、一般人は決して入れない皇居の奥深くまで見学できるという、ある意味海外旅行より濃い体験ができた。日本人として生まれ育ってきた自分にとって避けては通れない皇室について考えるきっかけにもなった。平成が終わるこの時期に、あらためて振り返ってみたいと思う。


●皇居勤労奉仕に行くまでの皇室のイメージ

 私の両親、祖父母は皇室ファンに近い。私も幼い頃から陛下が地元・奈良にお越しの際は車で30分ほどの場所にも奉迎に連れて行ってもらった。

 車で我々の前をお通りになる際、にっこりほほえんで手を振られる両陛下は、「なんだか優しそうなおじいちゃん、おばあちゃん」だと思った。

 学校で社会科教師が天皇制廃止を語っていたので、そういう考え方もあるのだなーとぼんやり思う一方、地元で平城宮跡や正倉院展を見るたびに「こんなに古くから続いてるのか!」と畏怖に近い感情を抱いていた。
 天皇誕生日の12月23日をイブイブと呼ぶ若者は多いが、友達とは「天皇さまの誕生日やんねえー」「イブイブて!」と話していたし、教育がどうであれ皇室にゆかりがあり、両陛下がしょっちゅうお越しになる奈良という土地柄なのか、皇室に親しみをもっている人が多かった気がする。
 まあ、つらつらと書いたが、こういう私が書いている皇居勤労奉仕回顧録だと思ってゆる〜く読んでいただければ幸いである。


●皇居勤労奉仕とは

 戦後、空襲で荒れた上に長らく放置されていた皇居を清掃しようと、宮城の青年団が駆けつけたことから始まったそうだ。以来、今までずっと続いている。
 戦後は皇居を建て直すためのガチ作業だったが、今は落ち葉集めや草抜きといった、宮内庁職員のお手伝いをする程度。作業をちょっとしては職員の方をガイドに皇居内を見学できるという、観光に近い活動になっている。
 4日間のうち、3日間は皇居内、1日は東宮御所や園遊会場のある赤坂御用地での活動になっている。また、昭和の御代からの慣例で、両陛下が皇居にいらっしゃるときは、4日のうち1度「ご会釈」という、両陛下にお会いできるイベントがあるのだ。
 

●ご会釈後の謎の団結感


 5年前に初めて参加したときは、初日に「ご会釈」があった。場所は集会室のようなところで、団体ごとにびしーっと整列。団体のリーダーのみが両陛下と直接お話ができるのだ。

 そのとき参加していた団体はさまざまで、聞いたことのないような宗教団体や政治系の団体もあった。そろいのジャージを着ている団体もあれば、服装がまちまちの団体も。中には杖をついたよぼよぼのおじいさんもいる。「すごいよ!マサルさん」でセクシーコマンドー全国大会会場に足を踏み入れた瞬間、「あやしい-!」と言ったフーミンのごとく、私も「みんな、怪しい-!」と思っていたのだ、失礼にもほどがあるのだが。

 さて、ご会釈である。前述の通り、奈良で近くをお通りになるのを何度も見たことがあったし、それと何ら変わらんだろうと思って余裕こいていた。

 ところが、集会室に両陛下がお越しになり、各団体のリーダーとお話されながら、こちらに近づいてこられるのを見たときには、なぜか動悸が。陛下は声が小さいのだなあとか、他のリーダーが団体の説明をしているのを聞いて、やっぱり怪しい団体だなあとか、いろいろ考えて気を紛らわそうとしていたが、やはり無理!

 なぜ、なぜアタイ、緊張してるの?

 ここで回想がファーンと入る。以前、母から「元寇のとき戦功を立てて時の天皇から錦の御旗をもらった先祖がいるんやで」と聞かされた。鎌倉時代、武将が天皇に拝謁してあまつさえ何かいただくなど、名誉の極みだったに違いない。今の時代に生きる私は侵略者の首をとってもいないし、ぼーっと生きているだけなのに拝謁しちゃってるのである。それに、先祖と同じ推し(特に推してないけど)っていうのも、何だかすごい。もしもいろんな先祖の霊と話ができたとしたら「私、125代の天皇に拝謁したもんね」と、かなり自慢できるんじゃないだろうか。 

 などと考えて余計に緊張がマックスになったとき、我々の団体に両陛下が近づいてこられた。天皇陛下の質問にリーダーがきびきびと答える。私より年下の男子だ。すごい。よく噛まずにいられるな。感心しながら両陛下のお言葉を聞き、礼をしてお帰りになるのを見送った。

 正直、何を話されていたかよく覚えていないのだが、何をされている団体ですが、どこから来られましたかと聞かれていたと思う。

 驚いたのは、ある地域から来た団体の人たちに、あの災害は大変でしたね。その後はいかがお過ごしですかとねぎらわれていたことだ。東日本大震災やその他近々に起きた災害でなく、いつ起きたか覚えていない災害だった。お声をかけられた人たちは「あんなに偉い方が覚えてくださっていたのが、嬉しい」と言っていた。

 さて、古代において仁徳天皇が国の様子を見たとき、民家から炊煙がたっていない、つまりその日の食べ物にも困っていると知り、税金を免除した。その間、自分の宮殿の屋根さえ直さず、民と苦しみを分かち合おうとしたという話がある。このご会釈は仁徳天皇の国見のように、両陛下が国民の現状を知るためのものだったのだ。               

 ご会釈後はなぜかばーっと涙が出て、気づいたら他の団体のおばさまも泣いていて。みんなで「すごく感動したよねえー」と言い合っていて。私が怪しいと思っていただけでなく、やっぱり知らない人同士なので、どこかよそよそしかったのだが、ご会釈後には団体を超えて謎の連帯感が生まれた。「そのキャラクターかわいいわねー。お宅の団体さんのマスコットキャラ?」「そうなんですよ。うふふふー」といった会話をするようになり、作業中は助け合うようになった。
 そう、推しが同じだから。推しのファンミーティング後は、自然とファン同士で仲良くなる、あれと同じなんだろう。私はさほど推していないつもりだったが、やはり何か「すごい!」と感じるものがあった。とにかく両陛下のオーラが半端なかったのだ。


●国民のために祈り続けて125代

 勤労奉仕何日目かに、賢所という陛下が祭祀を執り行う場所の周辺を清掃する日があった。賢所は今日、陛下が退位の儀式をされたところである。

 当然ながら賢所に入ることはできないが、門の前に立ったとき、身が引き締まるような感覚がした。あまりパワースポットを信じない私だが、ここは何だか違う!と感じた。神社に行くとスーッと気持ちよくなるような感じの、さらに強いバージョンといったところか。

 陛下はここで年間100をこえる祭祀をされていると聞いた。国民の平和と五穀豊穣を祈る祭祀だ。1000年以上も前から祭祀を守り、行い続けているというのは、日本人として心にぐっとくるものがある。これがもしも他国に侵略されていたら、そうはいかなかっただろう。

 さて、その日は清掃だけでなく畑作業も手伝った。水田があり、ひえ、あわ、きびなどの畑がある。その、あわの芽の間引き作業をしたのだった。
 稲は陛下が自らお手植えになったという。あわ、きびなどは両陛下、皇太子殿下ご一家と秋篠宮ご一家がお植えになり、育てられているという。てことは今、ぶちぶちと間引いているのはロイヤルファミリーの・・・と思ったら恐れ多い気がしてきた。「ほら、もっと抜いてくださいね」と職員さんに言われ「は、はい」とびびりながら抜く。

 稲もあわ、きびもガーデニングのノリでお育てになっているのではなく、新嘗祭で神様に捧げるためのものだそうだ。新嘗祭と聞いて、余計にびびる私。古典の時代から続いているあの祭祀に、ちょっとでも関わらせてもらって光栄である。

 さて、作業を進めていたとき、職員さんが「もうすぐ陛下がお越しになるから早くここを出て」と。
 夕方近くである。ご会釈以来、新聞の「天皇皇后両陛下ご動静」欄で陛下の予定をチェックしていた私は、その日陛下が実にハードスケジュールだったことを知っていた。その上、ご動静欄になかった畑作業をされると!? 五穀豊穣を祈るために!? 80を過ぎたおじいさんの動きではない・・・・・・!
 今、陛下がご退位されることになって本当に良かったと心から思う次第である。


●昔と今をつなぐ

 昼休みは休憩所で皇室にまつわるビデオが流れる。お弁当を食べつつ見ていたのだが、けっこう面白い。

 2度目の参加のときだったが、皇室の養蚕についてのビデオを見た。桑や蚕を育て、絹糸をとるところまで、両陛下がガッツリ行っていらっしゃる。皇后さまが蚕の幼虫を素手で触っているシーンでは、休憩所に「ヒイッ」という声が上がった。特にそばにいた専門学校の女の子が「皇后さまなのに!?」と驚いていたのが思い出される。

 さて、蚕にも種類があるらしく、古い蚕を廃棄する提案があったそうだが、皇后陛下がもう少し育ててみたいと、引き続き育てることになった。
 その「小石丸」という品種が、正倉院宝物の修復で唯一使えるものだった。それ以来毎年、小石丸の繭を正倉院に送っているのだそうだ。もしも、小石丸を廃棄していたら重要な美術品が消滅していたかもしれない。


 また、活動に参加する中で宮内庁ホームページにある過去の記者会見を見てみたら、平成4年、中華人民共和国を訪れる際に記者会見をされていた。そこで「昔の遣唐使のことを忍びたい」と仰っていたのだ。遣唐使のありがたみなど、普段忘れていた。考えてみれば彼らがいたからこそ中国から最新の文化を取り入れ、今の日本文化ができあがったことを思うと、遣唐使の功績は計り知れない。その会見記録を読んであらためて感じたのである。

 この2つの話に共通しているのは、両陛下の、今と昔をつなぐ歴史観だ。今の時代だけを見ていたら、小石丸はとっくになくなっていたし、遣唐使を偲ぶなんて言葉が出てこなかった。普段から先祖から受け継いだ祭祀を行い、古典に親しみ、そして過去から今の国民を思う皇室ならではの歴史感覚なのだろう。すごいことだ。


●動物がいっぱい


 赤坂御用地で清掃していたとき、遠くの方に何か生き物がいた。猫より大きい何かだ。「狸です」と職員さん。普通、狸は夜行性なのだが、ここの狸はなぜか昼間に堂々と出てくるのだという。

 数年後、天皇陛下が「皇居におけるタヌキの果実採食の長期変動」という論文を出されたとき、ああ、あのタヌキかと何だかほっこりした。

 大小さまざまな鳥もいて、小さな鳥が大きな鳥から隠れられるように、皇居内の一部の草はわざと伸ばしたままにしていることも聞いた。

 また、一般人も自由に出入りできる皇居東御苑の池には、天皇陛下がプロデュースされたヒレが振り袖のように長くヒラヒラしている鯉も泳いでいる。本当にヒラヒラできれいだった。

 生物学を専攻しておられる天皇陛下は、退位後、皇居や赤坂御用地を回りながらいろんな生き物を研究されることだろう。新しい論文が楽しみである。


●令和に向けて

 5月1日から新しい御代が始まる。各地で令和元年をお祝いムードで迎えられるのは、天皇陛下が譲位をご決断されたからこそだ。

 連日、テレビでは天皇陛下が災害のあった地域を慰問され、戦争で甚大な被害を受けた地域に出来る限り足を運び慰霊されたことを報じている。この国で最も偉い人が、ただひたすら国民のため、世界平和のために祈り、行動されているのは素晴らしいことだ。

 昔と違って今を生きる私たちは、身分の上下を否応なく意識させられる皇室に対してアレルギー反応をどうしても起こしてしまう。しかし皇居勤労奉仕を経験して少しでも皇室に触れたことで、思い至った。どういう形であれ、皇室は存続させるべき。安定的な皇位継承の方法を探っていくべきだと。

 皇居勤労奉仕は、日本に生まれ育った者なら避けては通れない皇室に向き合うきっかけになる。令和の御代でも募集されるそうなので、機会があればぜひ参加してほしい。


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