「being digital 2007」その2
Ⅱ.ビット化がコミュニケーション・ビジネスにもたらす影響
広告と言う仕事に携わる人間は、多かれ少なかれ自分の仕事が「情報」に携わる仕事であり、そこから価値を生み出す仕事なのだと言う自負を持っているのではないだろうか?
「何をいまさらビット(情報)なのよ」と言った声が聞こえて来そうであるけれど、今一度「ビット=デジタル化された情報」と言う視点で見た時にこれまでの広告と言うビジネスとのマッチングと言った事について考えて欲しい。
本当に「ビット=デジタル化された情報」と言う事の可能性を生かしきった形で、いま広告と言う仕事が成り立っているのだろうか?
Ⅱ-1.ビット化すると言う事の意味
ネグロポンテはbieng digitalの中であらゆるメディアがデジタル化する事により、全ての情報が等しくビット化すると言う事が起きてくると言う事実を捉えて、二つの根本的、直接的な結果が生じてくるとしている。
①「ビットはたやすく交じり合う」
例えば新聞やテレビなどと言った「メディア」に載っている情報もビット化する事によって、その載っているメディアの種類に捉われることなく交じり合うことが出来る。
結果として、全てのビット(情報)が受け手の側の事情に従って再構成する事が可能となり、そこには新しい価値を持った情報と言う形での再構成が行われる可能性が出てくる。
ネグロポンテはこれを「マルチメディア」と呼んでいるが、今となってはなんとも懐かしい響きを感じる言葉となっている。
とは言え、現状でこの本来的な意味での「マルチメディア」を前提とした「情報の提供の仕組みの設計」を、広告に携わるプレイヤーがきちんと提供できているのかと言う事については議論のわかれるところだろうと思われる。むしろ、cgm(consumer generated media)と言った形で、情報の受け手である消費者が主導的にこれらのビットを再編集して発信すると言う事の主役を担おうとしていると言うのが現状かもしれない。
「広告表現」と今まで定義されてきたものが、デジタル化されたプラットフォームの上でビットに分解される事で、受け手の側に存在する再編集のためのエージェントによって再構成がされると言うこれまで述べてきた出来事は、環境に合わせて自動的に交じり合うビットの「自動適応性」と言う特性によるものである。
今後テレビのデジタル化など、動画を含むビットが、ネグロポンテの主張するように「交じり合う」状態になり、受け手の側で再編集可能な状態で提供されるようになる事は、これまでの「メディアごとの広告表現を考える」と言ったアナログな発想からの大きな変換を要求される事になり、そのコミュニケーションプランで使用される全てのコンタクトポイントのどこで「自動適応」が発生しても、当初設定されたコミュニケーション上の戦略目標が達成できる形での「情報設計」を念頭に置いた広告表現の設計をする「新しいクリエーティビティー」を要求される事になってくると考えられる。
②「新しい種類のビットが誕生する」
ネグロポンテがここで主張した「新しい種類のビット」とは、そのビットがどんな情報を持っているかを知らせる「ヘッダ」であるとしている。
これはビットの持つ「自己記述性」と言う性質であり、ビット自体がどんな性質、内容を持つビットなのかを説明できると言う機能をもつと言う事である。このヘッダが提供する情報によって、情報の受け手である消費者(或いは企業)が自らのインテリジェンスを持って情報を再編集すると言う事が発生してくるとしている。
現在WEB上で展開されている情報のやり取りの中で、「タグ」と言われるwebのコンテンツ内容を表すヘッダをどのような形で埋め込んでおくかが、現在のSEO(Search engine optimization)対策において重要な役割を担っていると言う事などはまさに「新しい種類のビット」がコミュニケーションのフィールドで大きな役割を担っていると言う事だと考えられる。
前述の「交じり合ったビット」を再編集するための記号として、このヘッダは広告の設計上大事なポイントとなる事は明白であり、広告の発信者側の意図に沿った形での再編集が行われ、届けたいターゲットへ確実に到達する事の出来る「情報設計」をする力と言う「新しいクリエーティビティー」がここでも必要となってくる。
Ⅱ-2.スケーラビリティと言う考え方
「デジタルの世界は、本質的にスケーラブル【拡張や変更が自由】なものである。」 とネグロポンテは主張している。
アナログなシステム、或いは考え方の下では新しいものや事が登場する時には、古いシステムや考え方が「過去のもの」として捨てられ、新たなシステムや考え方がそれらの過去に置き換わる形で登場すると言うスタイルを採る事になる。
これに対して、デジタルの世界では新しいものや事の登場が、連続的、有機的な成長と言う形で連続的に現れてくると言う特性を持っている。
ビット化されたプラットフォームの上で展開される広告・コミュニケーションも、このスケーラブルな考え方から逃れる事は必然的に出来なくなる。
例えば、ある時期にテレビでON-AIRされる事を想定されて制作された広告表現であったとしても、ビットの特性である「自動適応性」によってデジタルなプラットフォームの上で、再編集が行われ、You Tubeの上で発信者側の想定された期間を超えて視聴されると言った事が既に起きている。
これは広告キャンペーンの期間と言う時間軸を拡張、変更してしまっていると言う事であり、発信者側の意図を超えた形で、デジタル世界のスケーラビリティの中に好むと好まざるに関わらず、コミュニケーション・ビジネスが置かれていると言う事の証左といえる。
この事はまた、特定のエリア(国、地域)でのON AIRを想定して考えられていた広告表現が、インターネットと言うボーダーを越えるインフラの上で展開される事で、発信者側の意図を超えた範囲のターゲットへのリーチを獲得してしまうと言う事を生じさせ、露出予定のエリアと言う空間軸の拡張、変更と言う事が起きてくると言う事を表している。
前章で見てきたビットの特性である、「自動適応性」、「自己記述性」と言う性質が、スケーラブルな空間であるデジタルワールドの中で飛び交うと言う事を前提に置いた「情報設計」を行うための方法論、組織と言ったものを装備する事が、本来的な意味でデジタル化してゆくコミュニケーション環境へ広告会社が対応し、新しい形でのIMCプランニングを行うと言う事なのでは無いだろうか?
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