Fuyuhiko Kiso

長らく広告会社で働いたのち現在はクリエーティビティのアワードを運営する法人に所属してます。 広告やらマーケティングやらデジタルやらの周りを生業にしながら生きてきています。

Fuyuhiko Kiso

長らく広告会社で働いたのち現在はクリエーティビティのアワードを運営する法人に所属してます。 広告やらマーケティングやらデジタルやらの周りを生業にしながら生きてきています。

最近の記事

「being digital 2007」その5

Ⅲ-2-C.収益モデルの考え方 前述のようにこれまでの広告会社の収益の源泉がマスメディアのコミッションにあったと言う事が、これまで述べてきたような広告会社の課題解決能力に対してフィーと言った形で対価を求める事に対して広告主サイドに抵抗感を産んできたし、請求する側の広告会社も「マス媒体セールスのサービス作業」として提供する事によって、マスメディアのコミッションレートを守れるものであれば、「タダで提供しても惜しくないもの」と言う位置づけに置かれていた事も否めない。 しかし、広告

    • 「being digital 2007」その4

      Ⅲ-2-A.コアとなる組織、職務のイメージ Ⅲ-2-A-1.「プランニング機能」の再定義 ビット=デジタル化した情報をハンドリングしたコミュニケーション・プランニングを行う時の前提として、「自動適応性」「自己記述性」と言うビットの持つ性質をハンドリングする「情報設計」を行う機能を持つ事が必要になってくる。 広告表現或いはコンテンツを、メディアを超えてミックスし、情報を届ける大きなシナリオの設計を行う役目を持つ人間が、コミュニケーション・プランニングのセンターに座り、コミュ

      • 「being digital 2007」その3

        Ⅲ.ビット・ビジネスとしての広告業の明日Ⅲ- 1.広告会社に求められる役割の変化 日本における広告会社のビジネスはこれまでテレビ、新聞などのマスメディアの広告枠の販売によるコミッションをその収益の中心に据えてきた。しかし、前章までに見てきたような広告・コミュニケーションのビット化と言う現象が進展してゆくと、TVスポットの枠や、新聞の掲載枠と言った、「広告スペースと言うアトム」の相対的価値が下がってくると言う現象が起きてくる。 1995年にネグロポンテが指摘していたことが、こ

        • 「being digital 2007」その2

          Ⅱ.ビット化がコミュニケーション・ビジネスにもたらす影響 広告と言う仕事に携わる人間は、多かれ少なかれ自分の仕事が「情報」に携わる仕事であり、そこから価値を生み出す仕事なのだと言う自負を持っているのではないだろうか? 「何をいまさらビット(情報)なのよ」と言った声が聞こえて来そうであるけれど、今一度「ビット=デジタル化された情報」と言う視点で見た時にこれまでの広告と言うビジネスとのマッチングと言った事について考えて欲しい。 本当に「ビット=デジタル化された情報」と言う事の可能

          「being digital 2007」その1

          Ⅰ、being digital 19951995年。 ビル・ゲイツ率いるマイクロソフトから「Windows 95」が世の中にリリースされ、パーソナルコンピュータが本格的に、オフィスや家庭に普及を始めた。1993年当時の米国副大統領だったアル・ゴアによって提唱された、全米のコンピュータを光ネットワークなどの高速回線で繋ぐ構想「情報ハイウェイ構想」が具体化し、世界が「インターネット」と言う情報ネットワークで繋がれ始めた。でも、2007年の現在のようにその事によって、インドのムンバ

          「being digital 2007」その1

          広告右往左往

          今を去ること10年以上前、今は懐かしい「はてなブログ」でこういうタイトルのブログをちょこっと書いてました。 その頃は、ちょうど広告やらマーケティングやらに本格的にデジタル化の波が押し寄せている時期で、まだ広告会社の現役社員だった私はその事にとても危機感を持っていました。 2009年くらいの日本の広告会社の収益構造は、まだまだ「テレビ広告」を中心としたマスメディアのコミッションが主で、そのビジネスとしての効率性、参入障壁の高さ(大手代理店であればあるほど)故に、数年先を読んだ「

          広告右往左往