JFLと言う存在。

先般、JFL(日本フットボールリーグ)でクリアソン新宿対鈴鹿ポイントゲッターズのゲームが10月に国立競技場で開催されることが、リーグと主催となるクリアソン新宿から発表されました。

鈴鹿にはレジェンド三浦知良選手が所属していますから、相当な動員が望めることでしょう。
私も行きたいくらいです。
Jリーグでも今シーズン2試合設定されていますが、JFLとしては史上初めての国立競技場開催となります。

さて、JFLというのは、現在の日本サッカーのスキームから言えば4部相当にあたります。
ところが四半世紀前は2部相当だったのです。
そもそもJFLはJリーグ発足に伴うそれまでの日本サッカーリーグの解消で、Jリーグに参加しない(もしくはできなかった)チームをベースに発足したのです。
当時は「ジャパンフットボールリーグ」とされていました。
顔ぶれは発足に間に合わなかったJリーグのチーム(当時は準会員)、企業チームなどでした。
当初は1部2部の構成でしたが、数年して1つに統合されました。

そのチームの中に、後にFC東京となる東京ガスフットボールクラブが参加していたのです。
そして、1994年9月15日に施行された東京ガス対柏レイソル戦(江戸川区陸上競技場)が私自身初めてのJFL観戦となります。
あの時は5000人キャパのスタジアムの95%が柏レイソルのサポで埋まり、黄色がスタジアムを覆うかのような感じだったのを思い出します。
概ねJ準会員のゲームを除いては閑古鳥が鳴く状態で、東京ガスなどはホームゲームがだいたい1,000~2,000人くらいでした。
主に西が丘や江戸川、駒沢、夢の島などで開催していましたがとてものどかでしたね。
時折当時の大熊清監督の大きな声の指示がスタジアム中に響き渡っていましたし。(特に西が丘)
当時の東京ガスは「JFLの番犬扱い」をされていて、準会員のチームからすれば壁のように立ちはだかっていました。
で、今のFC東京のゴール裏にあたるヒト達もいまして、結構なものでした。
今ならばできないようなチャントを普通にやっていましたからね。
へそ曲がりだった私にはJリーグなんかよりJFLの方が観ていて楽しく感じていました。
で、東京ガスというチームを中心にJFLを観ていたわけですし。
(いずれこのことは記す予定です)

で、このJFLにいた企業チームからJリーグを目指すべくクラブチームに変わっていったチームがあります。
思い浮かぶ限りでは以下でしょうか。
・富士通川崎→川崎フロンターレ
・NEC山形→モンテディオ山形
・川崎製鉄(水島)→ヴィッセル神戸
・東芝→コンサドーレ札幌
・中央防犯(藤枝)→福岡ブルックス(後のアビスパ福岡)
ちなみにコンサドーレ札幌の赤黒のユニホームは前身になる東芝のユニホームカラーを継承しているようなのです。
一方で、JFLから脱退しチーム自体が解散したのも視ています。
思い浮かぶとすれば、西濃運輸や福島FC(今のJ3福島とは無関係)でしょうか。
そして今のサガン鳥栖の様に運営母体が変わったチームもありましたし。

当時のプログラムはあるところに寄贈しましたので、もう手元にはありませんが、見たら見たで思い出すことでしょう。

あの頃から東京ガスと川崎フロンターレとの特にサポーター間のじゃれ合いはあり、どちらかというと東京ガス側が焚きつけていた印象はあります。
特に1998年シーズンは最終節に川崎が負けて東京ガスが勝利して首位が入れ替わり、東京ガスが優勝したというのもあります。
これ元に互いにJ1に上がってから川崎側の提案で多摩川クラシコにしていったというのがありますが。

そして1999年シーズンからJリーグの2部制が施行され、当時JFLにいた多くのチームがクラブチーム化等行ってJ2に参加することになり、東京ガスも運営会社を立ち上げてFC東京と名称変更してJ2に参加することになりました。
そして「新潟の奇跡」でJ1に上がったわけですが。

そして、J2発足により残されたチームを元に当時のJFLを解消し、改めて現在のJFL「日本フットボールリーグ」が誕生したのです。
当時は3部相当でしたが、後のJ3の発足で現在の4部相当に落ち着いています。
とはいえ、J3に入るためにはJFLは絶対に避けて通れないのです。
ちなみに、JFLに当初から参加している数少ないチームの中で本田技研(浜松、ホンダ)があります。
実はホンダもJリーグ入りを狙っていたそうですし、かなり具体的な話も出ていましたが、本社サイドの意向で断念してJFLにずっと参加をしています。
旧のJFL同様今でも「番犬」としてJ3入りを狙うチームの前に立ちはだかっています。
そして、ホンダは個人として活躍したらJリーグへの移籍を引き留めないそうで、何人かの選手が後にJリーガーになっています。

そしてそのJFLの下部には各地域リーグがあり、それらの優勝チーム等が戦う、JFL参入をかけたリーグ戦があります。
全国地域リーグ決勝大会、今で言う全国地域サッカーチャンピオンズリーグ。
1次ラウンドでは3~4チーム、1次ラウンドを勝ち上がった4チームが決勝ラウンドを2~3日間で2~3試合、つまり中ゼロ日で戦い、決勝ラウンドでの概ね上位2チームがJFLに昇格します。
過酷な日程に加えて勝てば天国、負ければ・・・というのを地で行くリーグ戦なのです。
世界各地で指揮を執った監督をして「世界一過酷なリーグ戦」と言わしめる位の。

なぜこうなるのかは、そもそもの立て付けの違いがあるからなのです。

Jリーグとは違い、JFL以下は「アマチュア」扱いになっていますので、所掌も微妙に違っています。
特に地域リーグ以下のリーグはそもそもはアマチュアが戦っているという前提ですので、選手達の休暇の関係もありこの手の大会は集中開催にせざるを得ないのです。

アマチュア、特に社会人の概念は地域リーグや都道府県リーグでも生きていて、中には個人資格を厳しくコントロールしている組織もあるようです。
実際に資格要件を満たない選手をゲームにエントリーさせたとしてチームを失格にした連盟もあるようですし。

で、JFLは有料試合が大前提ですので、きちんとしたスタジアムの確保(観客席がありかつ芝のピッチ)が求められています。

ところが地域リーグや都道府県リーグでは、JやJFLとは違い、ほとんどのケースでスタジアムでの開催はありません。
チームが持っているグラウンドや、(そこで集中開催にしてそれを間借りする形もある)公共のグラウンドで、お世辞にもピッチコンディションが良くないところで戦っているのです。
当然椅子も無くて観客もスタンディングみたいなところで。
そういうグラウンドは交通アクセスが良いところなどほぼ皆無なのです。
私もとあるチームに縁あって観に行ったことはありますが、駅から30分かけて歩いて行ったこともありますし、自家用車を出して観に行ったこともあります。
ちなみに、駒沢陸上競技場開催の時はきちんとしたリーグ戦では絶対に入れない、メインスタンドの中央のゲートから堂々と入ったものです。
むしろそこしか開放していないのですし、ひっそり行われていたわけですが。
そもそもそういうゲームを観に行くヒト達はチームの関係者、家族か熱烈なファンしかいませんから。

今でも地域リーグからJへ成り上がろうとしているチームは見受けられます。
ただ、スタジアムの確保というのが重くのしかかっている訳なのです。
お世辞にもニホンはそういう所に理解が未だにないですので(特に昭和の堅物ども←リスペクトの欠片もない)、まとめて陸上競技場でやりゃいいじゃねえかという発想になってしまうのです。
野球場だとガタガタ言わねえくせに。
(それでも酷いところはありますが)
そのスタンスが、今回の新国立競技場の五輪後の使用の例にも出ているわけなのです。
ですので、パナソニックスタジアム吹田(市立吹田サッカースタジアム)などは行ってみて本当に夢のスタジアムだなと感じたものです。
(ただバックヤードと交通アクセスがアキレス腱かなとは感じていますが)

そしてチーム自体もどういうコンセプトでやっていくのかがあるのかなと思います。
例えばFC東京のようにサッカー一本足打法の様なところもあれば、東京ヴェルディや湘南ベルマーレのような色々なスポーツをチームに組み込んでいる例もありますし。
この辺は難しいですよね。
チームと地域をどう共存していくのかという所が。
強ければ応援して貰えるわけでもないわけですし。

あと、J1を最終的なゴールにしていくかと言うところもあります。
あえてそこを目指さないチームもあるそうですし。

今思うのはJFLという立ち位置がもの凄く曖昧になりつつあるのかなということでしょうか。
あくまでもJへ上がるためのステップみたいな位置づけという感覚を感じてなりません。
四半世紀前のある意味「ごった煮」みたいな感じが一番観ていて楽しかったように思います。

とりあえず、カズさん(畏敬の念を込めて)のおかげでJFLにスポットライトが浴びることにはなったわけですから、それもそれでありなのかなとは思いました。

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