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怒りの生き先

怒りは、何処から来るのだろうか?なんて思ってしまう昨今。激しい暴言となって飛び出てくる。私に向けて激しく、どんどん激しくなっていく。何を言っても謝っても終わる事は無い。言葉はまるで私を根こそぎ腐らせてしまうかのごとく、深く深く浸透していく。

必死に自己肯定感を保とうとしている自分がいる。どうにもならなく負けてしまうこともある。数日は気持ちが上がってこなくどんよりしてやる気が起きない状態になる。そこで心に傷を負ったことに気づく。

傷が癒えた今、思う事がる。あの怒りの暴言、激しい声、これでもかと追い打ちをかけてきて止まらない状態、これは哀しい心の叫びなんだろうな…、何度も何度もあの哀しい声が私の耳の後ろ辺りを彷徨いてくる。考えると心が潰れそうで辛くなる。辛いのは私じゃないでしょうと、自分に言う。

怒鳴りたくって怒鳴ってるんじゃない、どうしようもない気持ちを吐き出しているんだ。きっと受けとめてくれるとちょっとは私を信じて、暴れてみせてるんだ。他に甘える人がいないのだろう。一人きりなのかもしれない…という思いでいっぱいになった。受け止めきれるほどの懐はないのだけれど、精一杯できるところまで、やってみる。何処が限界なのか分からなくなる。私は未熟なんだ。

怒りの素は人生の中に様々あるのと思う。それが怒りとなってでてきてる。「コントロールができない人なんでしょう」とある人は言う。簡単に言うんだなって私は思う。誰しも心のコントロールって難しいんじゃないのかな?そう思ってるのは私だけなのかな?

もし怒りが外へ向けて出て行かず、裡に貯めてしまったら、とっくに逝ってしまっているんじゃないかと思うと、出せてよかったのかもしれないとも思えてきた。

自分の心を守ることを忘れてはいけないけれど、聴くという行為は、相手をちょっとでも癒してこそだと思うと、未熟なことも忘れて足掻こうとしている自分がいる。

一度、頭を冷やそうと、テキストにしてみた。考えてばかりでもぐるぐるするだけだからな…。と思って…(^^;

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