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春蘭 水墨 描くということ

読書の秋がやってきました。なんて書いても、「君は食欲だろう」って言い返されること、重々承知之助 笑。

久々に面白い小説に出会って、ずんずん読んでしまったので、ちょこっと、忘備録と紹介兼ねての掲載です。

「線は僕を描く」は、一年前ですか、メフィスト賞を受賞しているみたいですから、きっと話題になったことでしょう。

「蘭に始まり、蘭に終わる。水墨画家のすべては、ここに始まり、ここに終わる。」そうで、最初の練習は春蘭を描く。森で見た春蘭がこんなところに出て来て、さらに興味が湧いたのです。「蘭は、孤独や孤高、そして、俗にまみれずひっそりと花を咲かせている人物の象徴」ということだそうです。

水墨画は、線にその描き手が表れるようです。書き直す事が出来ない1本の線を描くことに、自分の全てが表現されてしまう。

「光は止まれない。…動き続け、刻々と変わり。姿を変え、形を変え、また現れる。それが自然というものだ。それを描くにはどうしたらいいのか、昔の人たちは考えたんだ。……この菊に教えを請い、描いてみなさい。………私には伝えられないものがここにある。………絵は絵空事だよ。」(途中省略)

「命とは、つまるところ、変化し続けるこの瞬間のことなのだ。」主人公の青山霜介が、水墨画を描くことを通して、失ってしまっていた「生きる」を取り戻していく様が、とても瑞々しく表現されいて、引き込まれるように読み進んだ物語でした。

読みながら、自分のこの数年を振り返ったり、カメラを手に生き物を撮ることと重ね合わせたり、私にとって「生きる」ということを、更に意識させてくれる一冊でした。

色々書きたいことがあった筈なのに、いざ書き出すと、上手く表現出来ないものですね。そうそう、水墨画では、「描いてみせる事=伝えた(教えた)」 となるそうです。なるほど…言葉より実演、そこから感じ取るものは、各自の自由に任せているということなんでしょう。

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