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「聴くこと」について

以前、「臨床とことば」という河合隼雄氏と鷲田清一氏の対談の書を忘備録として書きました。あの中に書いてあったことを頭に置きながら傾聴するようになりました。これが分かったようで分からず、出来そうで出来なく、出来るようになったら…などと想像して、研鑽しているところであります。

先日、友人から紹介されて、また読み始めた書があります。今度は河合隼雄氏と茂木健一郎氏の対談でした。茂木健一郎氏は脳科学者として、賞をとるような著書があり馴染みのある学者さんのようです。私はほとんど名前しか知らなかったのですが、経歴は中々面白い方のようです。

脳科学のお話は私には難しく馴染めなませんでした。そして箱庭の話、これは、興味がありますが、実際やってみたことがなく、謎の世界。夢診断は、面白いお話でしたが、夢をほとんどみない私には、身近なことではなく、このまま読み終わるのかな…って思いながら読んでいました。

ところが、最後の章「『魂』を救う対話」というところまで来て、目が心が釘付けになりました。また、河合隼雄マジックだ!そう思う言葉が綴られていました。

こられた方に「どうですか」いうたら「いや べつにふつうです」いうて、そんなに困ってないようなことえを行っておられるんだけど、そのうち聞いている僕がものすごく疲れてくるんです。すごくしんどくなってくる。こういう人は、絶対、むずかしい人がと思いますね。その人の言語的表現と違うものが僕に伝わってくるわけですね。そういうものをキャッチできる人間に自分を鍛えているんじゃないかとおもいますれれど。(省略)そのときの言語以外のものを全部キャッチしているんです。

さてどうしたら、そうなれるのでしょう…。言葉に依存しすぎる現代人ということを言っておられます。

苦しんでいる人がこられたら、苦しみをとるんじゃなくて、苦しみを正面から受けとめるようにしているのが僕らの仕事やと思っています。逃げない真直ぐに受ける。(省略)まっすぐに感心して「はぁ〜」と聴いていると、その人の視線がまっすぐになってくる。(省略)そうすると、本当に自分の問題に向き合えるようになって…くるんですね。不思議ですね。

「相手の苦しみを正面から受けとめる」となります。言葉でいうと簡単そうですが、やってみると手応えが無かったりする気がします。

中心を外さずに、ただそこにいる。それができれば、その人は治る。自分の中心を外さずにただそこにいること。ただもうそれだけなんです。

自分の中心て、何だろう…。

そして、河合氏は、相づちの達人らしいです。その相づちを機械にやらせたら…という茂木氏の問いに、河合氏の返答は「『はぁ〜』のトーンの音階がどうやとか、そんなこというたってしょうがないわけでしょう。中心を外さずにがぴったりくる」と言っていました。そしてお話は、「相手の『魂』だけをみつめて」という方へと進んでいきました。

その人を本当に動かしている根本の「魂」これと僕は勝負している。こういう気持ちです。だからそおっと聴いてないとだめなんですよ。相手の言葉に動かされてはもいけない。だからふつうにいう、冷たいとかあったかいとか、親切とか、一生懸命とかいうのと、全く違う次元で座っているんですよね、そういう風に自分を鍛えてきたというか…。

ずっと現場で臨床をしてきた方の傾聴の姿勢、感性だからこそ、そこにある何か、何だろう?、よく分からないのだけれど、惹かれる触ってみたい掴んでみたい、そう思わせてくれるのだと思いました。

忘備録として…。




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