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出産ってこんな感じ(第1子・息子)

長男を出産後、入院中の病室で書いていたメモを見つけたので読み返してみる。

2021年某日 1:51 腹痛で目が覚める。
二度寝して2:30におしるしを確認したため、アプリで陣痛の間隔を測り始める。
6~7分くらいだがたまに間が空くので、朝4時頃病院に電話した。
なんとなく4時までは電話するのを遠慮してしまった。
10分以内の陣痛が2時間ほど続いたら再度電話してくださいとのことで、一旦様子見となった。
そこから2時間以上4~6分間隔が続いたため7:40に再度病院に電話。
迎えのタクシーを頼んだら急に陣痛が収まってしまって焦ったが、子宮口の開き具合だけでも見てもらおうと出発を決める。
夫を起こしてタクシー到着まで朝食のパンとスープを食べながら待っていたら、陣痛が復活してきて一安心。
ここまでは意外と人と会話したりLINEしたりできた。

陣痛の波が来ている間はひたすら長く息を吐き続けながら、アプリのタイマーを見ていた。
1回10秒、4回呼吸するとおさまると思いながら頑張って耐えた。
ここはソフロロジー出産の本を読んでいたおかげだった。
アプリのタイマーが秀逸なところは「陣痛がきたかも」「おさまったかも」という表現。
これって陣痛なのか?おさまったのか?よくわからんけど押しておこうという初産婦の気持ちにぴったり。
 
病院までの道のりをグーグルマップで追いながら病院への到着を待った。
運転手さんは朝からスーツで大変だ。
 
緊急搬入口から受付に入るが、しばらく立ったまま待たされてしんどかった。
荷物を運んでもらえて、途中飲み物がないことに気づきポカリスエットを自販機で買った。
重くてもリュックに飲み物を一本入れておくべきだったと後悔。
 
担当の助産師さんが今まで一度も会ったことのない若い方でやや不安を感じたが、その予想は後々的中する。
処置室にて子宮口の開き具合を内診で確認。
まず担当の助産師さんの確認のあと、慣れた助産師さんによる再確認だったが、痛みが伴うのでどちらかにしてほしかった。
おそらく卵膜剥離を行ったと思われるが予想よりは痛くなかった。
 
陣痛室という陣痛に耐える部屋に着き、着替えてひたすら陣痛に耐える時間が始まった。
不幸にも息子の誕生日は祝日のため、無痛分娩ができる先生は担当ではなかった。
先生に連絡がつかないため無痛分娩は出来ないかもと言われ、諦めた。
元々できないかもと言われていて覚悟はしていたので仕方ない。
 
書類を書いたり採血したり事務的な要求が淡々となされていくが、陣痛の波が来ているときはそれどころではなかった。
横になっていると余計に辛いと動画で見たので、ベッドに座ってお尻にテニスボールを入れて押してみたら若干楽になったような気がした。
陣痛の波は強くなっていくと聞いていたが、強かったり弱かったりを繰り返して平均的に強くなるようだった。
陣痛時間は大体3分程度で進んだ。
おなかにつけたモニターで赤ちゃんの心拍とお腹の張り具合を計測していて、これがいわゆるNSTだろうか、陣痛が来て初めて使ってもらえた。
機械の説明などはなく、陣痛時間は3分くらいですねと言われた。
 
痛みが強いときにお尻を押したり腰を押してもらえると楽になったが、助産師さんの力が弱めだったのでもう少し強く押してもらいたかった。
コロナが無く、夫の立ち会いができていれば色々頼めたのにと一瞬思ったが、それはそれで見当違いなところを押すのだろう。
熟練助産師さんに押してもらえるとさらに痛みは和らいだ。
 
お昼ごはんが運ばれてきて、お昼の前にシャワーはどうかと言われたが、それどころではなかった。
無痛分娩ができる先生と連絡がとれ、昼過ぎに来てくれるとのことで一気に気が抜けた。
無痛に向けて?レントゲンを撮るため、車椅子でレントゲン場所まで運ばれた。
赤ちゃんが骨盤を通れるかどうかの確認とのことで、無痛は関係ない気がするが。
陣痛の波は構わず繰り返すため、車椅子でも長い呼吸を続けた。
車椅子に乗っていたため腰をさすってもらえなくてつらかった。
レントゲン撮影場所は男性ばかりで陣痛中の妊婦にあたふたしている感じにも見えたが、こういう場面に遭遇することは珍しくはないはずだと思うのだが。
妊婦はレントゲン禁忌だと思っていたが、直前は問題ないのかな。
無痛にしろ自然にしろ、レントゲンをとるなら、陣痛が軽かった到着直後に撮ってほしかった。

産科に戻ったらLDRに入り、無痛のためのチューブを背中に入れることに。
先生は休日にも関わらず呼ばれてやや不機嫌そう?で申し訳なかった。
足のしびれの具合を先生と確認しながらチューブから薬を入れてくれた。
まだ増やせるレベルで止めておいた。
痛みをゼロにしてしまうといきむタイミングがわからないし、健診時に散々事故についての話で脅かされていたので、麻酔はあまり強くしたくなかった。
麻酔使用後は、波の合間の数値が1~30くらいでは痛みがほぼなく、合間でしっかり休めた。
数値が50~70の強いときはそこそこ痛かったが耐える時間が短かったためなんとかなった。
無痛分娩をやってもらえて本当に良かったと思った瞬間だった。
無痛処置ができたのと引き換えにお昼は食べ損ねた。
 
14時頃の時点で子宮口は9cmほど開き、あと少しだった。
10cmで出産準備完了である。
このときも内診は二人で、若い助産師さんに教えながらの処置でつらかった。
全開になるまではいきむなと事前情報で聞いていたが、何も言われなくて戸惑った。
子宮口の準備はほぼ整っていたが赤ちゃんがやや高めなのと、回旋がイマイチとのことで時間がかかりそうな予感がした。
14:30頃には子宮口は全開で、降りてくるのを待つだけ、いきみたければいきんでも良いと言われた。
今まではいきんでは駄目だったのか。言われてないけど。
ソフロロジーのDVDのように長く吐く呼吸を続けて待ったがなかなか赤ちゃんが降りてこなかった。
何回か内診を繰り返して、回旋も問題なく、いきむ指示が出た。
あまり急にいきむと会陰に負担がかかりそうだったのでのんびりやってたら、結構煽られた。
私も早く終わらせたかったけど、息子はなかなか出てきてくれなかった。
陣痛の波のタイミングを待っていきむが、合間に少し元の位置に戻ってしまうというのをしばらく繰り返し、徐々に出口まで降りてきた。
終盤でようやく破水した。
立ち会う助産師さんが増えてきて、色々と褒めてくれた。
しかし、もう無理だから言葉ではなく物理的に早く引っ張り出してくれと思っていた。
ある時からみんながビニールエプロンをし始めたり防水シーツを敷き始め、本格的に取り上げる準備を始めた。
ここまでは「あと少し」と言われ続けていたけど、まだまだだったのかと騙された気分だった。
終盤に現れた助産師さんだと思っていた人は、女医さんだった。
15:00におやつのお饅頭が出されたがそれどころではない。
と言いたかったが、それ以上にすごく食べたかったので全部食べた。
この時食べておいたことで後々力が出て良かった気がする。
 
16:00頃、女医さんからご相談で、薬で陣痛を弱めるのをやめて、促進させることにしましょう、と言われ麻酔を切られた。
相談と言っていたが私に選択権はなかった。
麻酔を切られたが痛みが増したようには感じず、痛いというよりとにかくしんどかった。
「痛い」というと〇〇が痛いと場所を説明できるが、どことは言えない感じだった。
陣痛の波のタイミングで、一回目は息を吐いていきみを逃し、二回目と三回目で大きくいきむのがうまくいっているとのことで、それを繰り返した。
いきむときは、呼吸を止めて目はつぶらない、声は出さない、足を踏ん張るがベストのようだったが、過酷な状況でそんなに多くのことに注意できない。
同じことを3時間ほど繰り返したころ、相談という名の麻酔オフに続いて、次はちょっとお手伝いをしますとのことで、何が行われるか不安で仕方なかった。
鉗子や吸引だったら保険の申請がいるかと一瞬巡ったが、手法はいたってシンプルだった。
お腹を頭側から押すこと。これは保険適用外だ。
 
次が最後だから頑張ってと言われたがそれは最後ではなかった。
頭がはまってしまって不快だったのでその後すぐにいきんで、それが本当の最後になった。
頭が出ると体は簡単らしく、ひたすら力を抜いて息を吐くよう促された。
取り上げる瞬間を私に見せてくれようと、下を見ててと何度も声をかけてくれたが、しんどくてそちらで色々うまいことやってくれと思っていた。
取り上げられた赤ちゃんは血まみれで、顔も紫色で驚いた。
でもすぐに泣き声を上げてくれたので安心した。
17:25 母子ともに健康で出産した。
血まみれの赤ちゃんと一緒に写真を撮った。
そういえばいつの間にか助産師さんが私のスマホを操作して写真や動画を撮ってくれていた。
取り上げる瞬間は写真と動画どちらがいいか聞かれ、動画を希望した覚えがあるが、いきんでいる最中によく冷静に答える余裕があったなと思う。
見返してみて、動画にしてもらって良かった。
最後の方は痛みではなくて気合と体力の勝負だった。
ただ、比較すると体力的にはハーフマラソンや10マイルマラソンの方がキツかった。
違うのは、マラソンはいつでもギブアップできる精神的余裕があるところだが、出産はドクターストップ(=帝王切開)にならない限りは、最後まで走り切る以外に選択肢は無い。
私の出産は、初心者の部で前半調子がよくて、後半失速して最終的に真ん中くらいでゴールした感じだった。
ゴールできてほんとに良かった。
分娩全体を振り返ると、麻酔のかけ方や切る判断など、私に合った方法だったと思う。
 
赤ちゃんのへその緒を切ったあと、胎盤を出して処置した。
後陣痛は感じず、いつ出たのかわからないくらいだった。
ここから麻酔また入れておきますねと言われたが、まだ痛いなんかあるのは勘弁してくれという感じだった。
会陰切開について聞くと、してないけど少し傷がついてしまったのでこれからキレイにしていきますとの女医さんのお言葉を頂いたが、その後の処置時間から傷は少しではないことが予想できた。
会陰縫合のための局所麻酔がちゃんとかかっているかの確認をしてくれたが、かかっているのがわかったのは最初の方だけで、途中からなんだか普通に痛かったが、もはや主張するのも面倒になって甘んじて痛みを受け入れた。
会陰縫合が終わると2時間そのまま分娩台で休む。
途中で綺麗に洗われた赤ちゃんを連れてきてくれ、一緒にたくさん写真を撮った。
ちゃんと人間になっていた。
30分くらいすると助産師さんが来て、子宮の具合の確認と言いながら激しくお腹を押して子宮に残っている血液を出した。
顔が青くなりかけたが、このくらいではそこまで動じなくなっていた。
子宮内の血は出してしまわないとならないようだった。イマドキの医療で吸引とかないのかな。
 
休んでいる間に初の母乳をあげた。
泣いている赤ちゃんの頭をかなり無理やり押し付ける動作がかわいそうで仕方なかったが、そんなものらしい。
私も朝食のパン以来の食事を採った。
バランスの良い和食で、ベッドに寝たまま食べてとのことだったが、お茶と味噌汁はどうしたらいい?
お腹が空いていて、とにかく美味しかった。
油断してパックのお茶を寝ながら飲んだら気管に入りかけ咳き込むが、全身が痛いので咳が上手くできず、重症化しそうだった。
 
2時間休憩後の20:00、車椅子にて4人部屋へ移動後、引き続きベッドで休んだ。
トイレへは6時間後までは車椅子移動、その後の6時間は助産師さんと一緒に移動となる。
車椅子のラストを狙って2:00ぴったりに呼んだが、思惑が外れ歩いていくことになり、一番キツい条件になってしまった。
立ち上がった瞬間に目眩とふらつきがひどく、血が足まで垂れてきて恐怖でしかなかった。
脳貧血の軽いような症状と耳鳴りがし始めたが、深呼吸を続けてなんとかトイレに辿り着いた。

部屋の乾燥がひどく、すぐむせるので、濡れタオルを隣に置いて寝ることにした。
産後はこの夜の乾燥環境が一番しんどかった。
エアコン設定24℃、湿度25%くらい。
翌日からは濡れタオルを干し続けたのと、体も回復してきたのでだいぶ改善された。
 
前日陣痛で2時間ほどしか寝ていないが、産後も4時頃目が覚めてしまってあまり寝られなかった。
痛みと、ホルモンと、なにより乾燥の影響だと思う。
7時起床、7:30朝食、9時から3時間置きに授乳というのが入院中のスケジュール。
1日目は食事とトイレと授乳+ミルクだけが仕事だった。
食事は相変わらず美味しく、据え膳下げ膳で最高だった。

そして赤ちゃんが元気にミルクを飲む姿がとてもかわいい。
授乳は難しく、吸い付いても2秒くらいで寝てしまうが、とにかく繰り返すことが大事とのことだった。
まだ出産の疲れで眠いとのことで、私だけじゃなくて赤ちゃんも大変だったんだと思った。
赤ちゃんはいきなりおなかの外に出されて、泣かされて肺呼吸を覚えて、母乳を吸わされて、重労働だ。
手を顔に持っていく動作が好きなようで、伸びていた爪で引っかき傷がどんどんできてしまった。
途中から爪を切り、手を服で隠すようにしたらそれ以上はできなかった。そして、新生児の傷の回復は早い。
 
母体の診察で問題がなかったのでシャワー許可が出た。
出産時の汗で気持ち悪かったのでありがたかった。
シャワーは予約制で一人30分だが、動きが遅い産後ママにはカツカツだった。
タオルやパジャマ、シャンプーなどのアメニティが使い放題というのは相当快適である。
普通の動作がうまく行かなくて確実に汚れるし、洗濯している余裕もないが、それを見越して持っていくのも大変なのでありがたかった。
事前に産院内の見学をしているところがあり、なんのためにするのかと思っていた。
しかし内部の状況を知っておくことは重要で、もし別の病院で生む場合は見学または十分に聞き取りや見学をしたい。
 
翌日からは母子同室が始まり、コットごと自室に赤ちゃんを連れてくることができた。
と言っても、授乳とミルクは授乳室でしなければならないため、部屋でするのは赤ちゃんの観察とコロナのため面会できない人々とのオンライン面会くらいである。
泣いたら同室の方に迷惑なのでコットを持って授乳室であやすが、2秒くらいを数回しか泣かず、静かだった。
 
全身が痛いし、授乳もうまくできず、数日前に出産を終えたママがスタスタ歩いていたり上手に授乳しているのを見て、大先輩のように思えた。
でも日を重ねるごとに少しずつ慣れてきて、上達した。
わが子の癖や特徴もわかってきて、より愛着が沸いた。
自分の子はかわいいというが、心中かわいいどころの騒ぎではなかった。
こんなにもかわいいと思うのは自分でも驚きだった。
これから間違いなく心身ともに大変な日々が始まるのは間違いないが、それを上回る喜びと楽しい日々が待っているに違いない。

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